第150話 興味本位
「上がってください」
女子寮の入り口から人がいなくなると、アリシア先輩が室内のテーブルセットの前に立った。
「中に入っても怒られませんか?」
中に入ったらかかったなあほめ、とか言って通報されたりしないだろうか。
何せここは未婚の貴族令嬢が暮らす寮である。
齢13歳にして、エロ小僧なんて不名誉な罪を背負いたくない。
「怒られるようなことを私があなたにするとお思いですか?」
いや、そんなこと言われても、俺この人のことあまり知らないしなぁ。
たしかヘズボーン侯爵家の長女だっけ。
国内国外問わず顔が広い家で、国の外相を任じられることの多い家だ。
はっきり言って油断ならない。
「問題ないのですね?」
「誓ってありません」
「では失礼します」
俺が中に入ると、アリシア先輩はカーテンを引いて外からの視線を遮断する。
少し警戒度を上げた俺に、アリシア先輩は軽くため息をついた。
「あなたも色々ありますから、視線は避けたいでしょう?」
「お気遣いありがとうございます」
「警戒心が強いですね」
「国内でのセラーズ家の立場は理解しているつもりです」
「なるほど。その上でマリヴェルさんやイレインさんとお付き合いをされているわけですね」
確かこの先輩は寮監なんだっけ。
余計なトラブルになるから、お付き合いは避けろとでも言いだすのだろうか。
それ自体は至極当然の要求だと思うけれど、他人に言われてやると考えると釈然としないのはなぜだろうか。
俺が黙っていると、先輩は続ける。
「別に怒っているわけでも注意しようというわけでもありません」
「……そうなんですか?」
「ですからそんなに警戒心を露わにするのは止めていただけませんか? まるで私が後輩をいびっているようです」
……俺、分かりやすいのかなぁ?
殿下とかローズくらいだと、感情がばれることも少ないんだけど。
貴族の学園で何年も過ごして感性が磨かれた先輩方には通じないってことか。
「率直に、ご用件をお伺いしたいです」
これ以上ぼろを出したくない。
精神的に不利な相手といつまでも話しても疲れるだけだ。
「まだ警戒していますね? ……そうですね、マリヴェルさんが喜ぶので交流をするのはいいことと思います。ああ、イレインさんも、あなたと話すとすっきりとした表情をしていますし。そのことで起こり得るリスクも理解されているようですし、それについて私から言うことはありません。これで少しは安心しましたか?」
じゃあ何の用事だよ。
むしろ何言われるのか全く分からなくなって、余計不安になったんだけど。
「駄目そうですね。では率直に用件を。あなたとイレインさんは、未だに婚約関係にあるのでしょうか?」
は?
「……一応そういうことになっています」
「なるほど……。では、ルーサー様は将来的にイレインさんとご結婚されると」
「……あのですね、その辺りはかなり複雑なお話しなので、あまり触れないでいただきたいのですが」
イレインが許婚であることによって、父上の王国での立場は悪くなった。
今は曖昧に過ごしているから蒸し返したい話題ではないのだ。
というか、俺たちとしては、感情的にも許婚であること自体を蒸し返したくない。
「いま政治的な話はしておりません。私とあなた。生徒としてお話ししていると考えてください。どうなのです、イレインさんのことが好きなんですか?」
「……好きですけど、男女として考えたことはありません」
一応の許婚なんだから、好きじゃないなんて答えられるわけないだろうが!
俺の返答になぜかアリシア先輩は満足げだった。
「では今、男女として、恋心を抱く相手はいらっしゃいますか?」
「ちょっと待っていただけますか?」
「なんでしょうか?」
こいつそんな質問するために、ここに俺を呼び出したのか?
俺、結構マジで警戒してたのがめちゃくちゃ馬鹿らしいじゃん。
女子寮に足を踏み入れるのとか、ものすごく勇気が必要だったんだぞ。
「本当に質問はそれでいいんでしょうか?」
「はい、そうです。それで、好きな子はいるんです?」
女子かよ。
いや、女子だけど。その前に貴族令嬢だろう?
アリシア先輩くらいの年齢だったら、普通に婚約者とかいてもおかしくないぞ。
好きな子いるんですかとか、頼むから同級生の女子同士で話してくれ。
「恋愛的な意味ではいませんけど……」
「そう! では私としてはマリヴェルさんを推すわ」
「大丈夫ですか?」
頭とか。
じゃなくて、そんな他人の家の婚姻事情に口出したりして。
セラーズ家もスクイー家も国内では非常に影響力の大きい家だ。
アリシア先輩のヘズボーン侯爵家だって、きっとイレインとの婚約関係を破棄した後のセラーズ家の動向は注視しているはずである。
「心配しなくても、マリヴェルさんの家ならセラーズ家とも釣り合うはず」
「それは……、ヘズボーン侯爵家としてのお言葉でしょうか?」
「いえ? 私とマリヴェルさん見守り隊の総意ですけれど?」
「帰ってもいいですか?」
「もうちょっとだけお話をしましょう」
「帰りたいです」
わがままな子供を見るような視線を向けるのはやめて欲しい。
今自分がやっていることと俺の行動、どちらに理があるかまともな淑女なら理解できるはずだ。
「じゃあ今日はもう一つだけ」
「今日は?」
「今日は」
「はい……、何でしょうか」
いくら俺が押しても全く動じないので、強く出るのが無駄だというのはよくわかった。多分脳がお花畑へお散歩に出ている先輩は、プロネウス王国とか、貴族社会とか、そういうのを度外視したところで会話している。
「今のところ、今のところよ? イレインさんとマリヴェルさん、どちらをお嫁さんにしたいとかあるかしら?」
「……両方友達ですけど」
「どちらかと言えばよ?」
「……ベルって言えば満足するんですか?」
胸元の前で小さくガッツポーズ。
貴族令嬢がはしたないですわよ。
俺は宣言したわけじゃないからな。
お前がさっさと開放してくれそうな洗濯をにおわせただけなんだから、勘違いしないでよね。
「帰っていいですか?」
「……ええ! ありがとう。またお話聞かせてほしいわ」
「…………お時間が合えば」
嫌ですという言葉を一生懸命飲み込んで返事をした俺は偉い。
さっさと退散しようと立ち上がったところで、最後に一言アリシア先輩が俺に告げた。
「少なくとも今年いっぱいは、私が二人のことは守ります。来年までに立場と仲間をしっかり作って、イレインさんとマリヴェルさんを守れるようになってくださいね」
「……それは、ヘズボーン侯爵家の意向ですか?」
「いいえ? あの二人と、あなたたちの関係が気に入った私個人の意向です」
俺は振り返って頭を下げる。
どんな変な人でもこの人は寮監だ。
力もあるし、それに……本当に二人のことを気に入ってくれているようだ。
「ありがとうございます、努力します」
しょうもない人だと思って話していたけれど、にっこりと笑ったアリシア先輩は意外と頼りになりそうな顔をしていた。
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