第105話 陥落

 新年度からは最上級生になる彼女は、貴族向けの女子寮の寮監を務めることになった。


 彼女は自分が凡人だと認識している。

 確かにそれぞれの寮にいる半ば変態的な才人たちとは違い、特別何かに優れているわけではない。


 侯爵家の令嬢という身分であり、成績も生活態度にも問題ないことから選出されに過ぎないというのは、彼女の一側面であるだろう。

 だからこそ彼女は、寮監という身分に相応しい態度で毎日を過ごさなければいけないと考えていたし、それが学生たちから、そして生家から、求められていることだと、割り切って考えていた。


 実際のところの彼女はどうかと言えば、成績は何をやらせても常に上から3番目以内をキープし続けていたし、品行方正で、先輩を立て後輩を慈しむ、正に優等生を絵にかいたような超人であった。

 ただ一つ、彼女に問題があるとすればそれは、自己評価が異常に低いということくらいだ。


 さて、そんな彼女の紹介はともかく、その日は新入生の入寮開始日だった。

 彼女は寮の内外を完璧に整え、予定を一切入れずに寮のエントランス付近で新入生を待つ。


 例年通りならば、入寮開始日に来るものなんてまずいないのだが、もしやって来た時に不安な思いをさせてはならない、という彼女の気配りだった。

 学校の開始まではまだひと月もあるのだ。

 早めについて慣れるにしたって、1週間もあれば充分である。

 1カ月も手持無沙汰であると、むしろホームシックになってしまいかねない。

 

 彼女は今日はそれでも、エントランスにて今年度の授業の予習をしながら新入生をひたすら待っていた。

 本来であれば新入生を案内するのは、雇われている寮の管理人の仕事だ。

 学園は、寮監にそこまでの負担をかけるようなことはしない。

 飽くまで何か起こった時や、学生同士のトラブルの際に頼りにされるのが寮監というものの役割である。


 とすれば彼女のしていることはやりすぎであるのだが、誰かが損をするようなやり過ぎではない。

 管理人の方も「学生が案内した方が馴染むのも早くなると思うので」と真摯な態度で言われると「じゃあ、そうする……?」となってしまうわけだ。


 当然だが、寮や学園内を自主的に巡回しているアウダスも、相当な変人であることを追記しておく。


 昼下がりの眠たくなる時間帯に差し掛かって、彼女がふと顔を上げると、換気のために開け放たれた扉の奥に人影を見つけることができた。

 手荷物だけを持ったそのシルエットはすらりと背が高かったので、彼女は初めのうち生徒の誰かかなと思った。しかしその影は動くことなく、じっと彼女へ視線を向けている。

 何か用事があるのかと見つめ返してみても、声はかからず、ややあってから彼女は立ち上がって声をかけた。


「新入生かしら?」


 角度が変わると顔が見えてくる。

 背は高いけれど幼い顔立ちをしたマリヴェルがこくりと頷くと、彼女は表情を柔らかくしてその身をよけて道を空けた。


「ようこそ。名前を教えていただけるかしら? お部屋へ案内するわ」

「……マリヴェル=スクイーです」


 彼女は素早く頭の中の資料をめくって、該当人物の情報を探り当てる。

 スクイー侯爵が普段から仕事に連れ回している愛孫で、あのセラーズ家の嫡男と仲良くしている。


「アリシア=ヘズボーンよ。寮監をしているから、分らないことがあれば何でも聞いて」


 ヘズボーン家はスクイー家と同じ、古くからある年季の入った侯爵家だ。

 その家風は黴臭く堅苦しい割に、付き合いは多く、王国内の噂にはなかなか詳しい。家であの家はどうだこうだと話をする当主である父のことが、アリシアはあまり好きではなかった。

 相手にするなと言われたセラーズ家の関係者であっても、しっかり世話をしてあげようと心に決めていた。早速やってきた1人目がそうだとは思っていなかったけれど、アリシアにとってマリヴェルの来訪は望むところだったというわけだ。


 そうして張り切っていたアリシアは翌日も、エントランスで一人予習を続けていた。

 すると気にしないでもわかることがある。

 マリヴェルが寮の前の石階段に一人ちょこんと腰を下ろしているのだ。


 もちろんたまにいなくなることもあるけれど、その頻度はアリシアと変わらない。

 何をするでもなく、ただじっと寮から延びる道の先を見つめている。


 その日はたまたま風の強い日だったにもかかわらず、ただじっと座っている姿を見ていると、アリシアはなんだか無性に切ない気分になってしまった。

 アリシアは席を立って、部屋から上着をとってくると、座り込んでいるマリヴェルの方にそっとかけてやった。

 ずびっと音がして鼻をすすったマリヴェルは、座ったまま振り返って、アリシアのことを上目遣いで見つめる。


「……ありがと、ございます」


 なぜだか胸を締め付けられるような気持ちになったアリシアは、その横にそっと腰を下ろす。


「あそこにテーブルセットがあるわ。使っても構わないのよ?」


 令嬢が地べたに座るなんてはしたない。

 新入生だから遠慮しているのかと思い教えてあげると、マリヴェルはふるふると首を横に振る。


「使ってる人、いるので。ずっとここにいるから、邪魔になります」


 とりあえずテーブルセットの数を増やそうかしら、と思うアリシアである。


「どうしてずっと座ってるの?」

「友達が来るの待ってます」

「そう……」


 アリシアにはセラーズ家の嫡男と関わっていて、今年入学してくる女の子にあと2人心当たりがあった。

 あまり突っ込んだ話をすると面倒なことになりそうなので、アリシアは立ち上がり際にそっと栗色の髪を撫でてやりながら言った。


「ここにいてもいいけれど、暖かい格好をするのよ?」

「……はい、ありがとうございます」


 中性的な見た目のマリヴェルがへにゃりとほほ笑む。

 その瞬間アリシアは、先ほど締め付けられていたように感じた心臓が、ドクドクと音を立てて脈打ったのを確かに感じたのだった。

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