第96話 後始末

 あー、やった、やりました、やってしまいました。

 頭にかっと血が上って、魔法を放ったまではそうでもなかったけど、それ以降はだんだんと冷静になってきていた。

 いや、ルドックス先生を馬鹿にされて怒ったこと自体には全く後悔はない。

 あそこで怒らなかったらむしろ自分を許せない。


 問題はもうちょっとうまくやれなかったのかってことなんだよ。

 取り巻きの面前で、あそこまでプライドをぼこぼこにするのはやり過ぎた。

 あちらに言い訳をする余地があるようにしておいても良かったんじゃないだろうか。

 貴族ってのはプライドが高い生き物らしいからなぁ。

 冷静になった時絶対あいつは俺のことをめちゃくちゃ恨む。


 うーん、余計な敵を作ったか。

 ……いやぁ、元から敵だったよなあいつ。

 俺が避けて通ったのに、わざわざ近寄って因縁つけてきたわけだから。


 いやでもなぁ、怪我させてるんだよなぁ。

 証拠的に俺が不利になるか?


 ……隠ぺいするか。


 回れ右。

 名乗りすらしなかった物だからどこのどなたかもわからない、おそらく貴族の息子である何某の下へ戻る。できれば格上の爵位じゃないとありがたいけれど、どうだろう。


 取り巻きがざわついたことで俺の接近に気づいたらしい何某君は、息を吸って小さな悲鳴のような音を立てた。

 おお、結構ビビってる。

 案外放っておいても大丈夫だったかもしれない。


「な、な、なんだ、なんなんだ」

「怪我をさせてしまったので、治そうかなと思いまして」

「い、いや、結構だ」

「後に残っても困りますから、治します」


 お前がいるとかいらないとかじゃないんだよね。

 俺が治した方がいいと思ってんだよ。

 残念ながら取り巻き達も、俺の行く手を遮るほどん忠実ではないらしい。

 座り込んだ何某君の耳のあたりは、丁度俺の手を少し動かせば届く位置にあった。


 また袖の中に収納していた杖を滑らし手に握ると、何某君が後ずさった。


「ああ、名前、聞いていませんでしたね。僕はご推察の通り、セラーズ伯爵家嫡男、ルーサー=セラーズと申します。先輩は?」

「あ、いや、私は、その……」


 ほう、こいつ、名前を名乗らないで後で探されないようにしようとしてるのか?

 もしかしてまだ舐められてる?


「お名前、教えていただけませんか?」

「マッツォだ! フルベルク子爵家嫡男、マッツォ=フルベルク!」


 ああ、ウォーレン領の近くだな。

 すべての貴族の名前を完璧に覚えているわけではないけれど、ウォーレン王国関係の話題で見かけたことがあるから覚えている。 


 最近ウォーレン王国の周りでは、運営に困っている領地が多いのだ。

 その理由はウォーレン王国の制度にある。

 税率の低さによる領民の流出と、探索騎士の採用による、探索者シーカーの流出。どっちも対処しないほうが悪いじゃろがい、って話ではあるのだけれど、先に先に手を打たれてる現状、身を切る改革はなかなか難しいのだろう。

 どの領地にもだいたい小さなダンジョンくらいはあって、そこの生産物は市井の暮らしを潤し、金を巡らせている。

 逆にダンジョンに潜る者がいなくなると、ちょっとした便利な品や加工品の材料なども手に入らなくなったりする。光石なんかを外から買うようになると、それだけでちょっとした財政圧迫になるだろう。


 後継ぎなのにこの時期に寮がいるのはそのせいかもな。だとしたらフルベルク領はかなり切羽詰まった状況になっている可能性が高そうだ。


 おっと考え込んでいる間に、だいぶ怯えた目で見上げられてしまった。


「ではマッツォ先輩、手をどけてください」

「な、なにをする気だ!? わ、私は、子爵家とはいえ嫡男だぞ? い、いくらセラーズ伯爵家が大きな家だとしても、こ、殺したりは……」


 何言ってんだこいつ。


「殺す? 僕、治しますって言ったでしょう?」

「治す……? つ、杖を頭に突き付けて、何をどう治すというのだ……」


 いや、だから……ああ、そうか。

 こいつ、俺が治癒魔法使えるの知らないもんな。

 そりゃあさっき自分の耳をえぐり取った杖の先端が頭に向かってたら怖くもなるか。


「治癒魔法が使えます。先ほど見た程度の傷であれば、5分もあれば治せます」

「治癒魔法は……第五階梯だぞ……?」

「いいから、手をどけてください」


 恐る恐るどけられた手のひらには結構な量の血がべっとりとついていた。

 でもパッと傷口を見る限り、宣言通り5分以内には治せそうだ。

 言っておいてできなかったかっこ悪いから、この程度の怪我で良かった。


「では……」


 俺は詠唱をせずに杖の先に魔力とその動きのイメージを送り込む。

 焦ってはいけない、魔力はなんだってできるけれど、俺が使うことのできる治癒魔法は万能のものなんかじゃない。

 この程度の傷は5分以内に治せる、は、逆に言えば、この程度の傷ですら、治すのには5分程度はかかるということだ。


 母上の目を完治させるまでに、俺は毎日1時間の治癒魔法をかけたうえで、半年の時間を要した。

 俺が、それなりに魔力を消費してもそれだ。繊細な魔法なのである。


 まぁ、正直ここで適当な加減で一気に魔力を流し込み、耳にでっかい腫瘍を作ってやることもできるのだが、治癒魔法を使うものとしてあまりに外道なのでそれはやらない。

 治すのだったらできるだけ綺麗に治してやることが、俺の魔法使いとしてのプライドだ。痕が残って治癒魔法が下手だなんて噂が流されたら、俺は多分かなり悔しがると思う。


「……治りましたよ。後で鏡で確認してください」


 マッツォは両手で耳を触り、その形を何度も確認している。

 この野郎、全然信用していないな。


「本当に使えるのか……第五階梯を……」

「使えますよ、嘘をついてどうするんですか」


 マッツォがごくりと唾をのんだ。

 ああ、想像したんだな。第五階梯の魔法で、自分が消し飛ぶところを。


 やらないよ、反省しているならね。


 ところで俺、さっきから気になってたことがあるんだよな。

 取り巻きの女の子のうちの一人が泣きそうな顔して、ほっぺた腫らしてるんだよ。


「そっちの先輩、ほっぺ、怪我してるならついでに治しましょうか?」

「……あ! いえ、私は……」

「遠慮しなくていいですよ。……ああ、もし怖いとかなら、やりませんが……」


 一歩踏み出したところでめっちゃ後ずさりされた。

 善意100%の提案だったのだけれどちょっとショックだ。

 普通に落ち込む。

 

「な、治してもらえ!」

「え、あ……、は、はい」


 マッツォから偉そうな言葉が飛んできて、女の子はびくりとしながらもこちらに近寄ってきた。

 なんか、権力をか暴力をちらつかせて女の子に悪さするやつみたいに見えない?

 俺、今すごく悪役っぽくないかな? 大丈夫か?


「痛みとかないので。マッツォ先輩の時と同じで、5分程度で治ると思います。体を楽にしておいてください」

「うん、お願いします……」


 ちょっとはにかんでくれた。

 これ、俺のこと怖がってたわけじゃなさそうだな。


 よく考えてみれば、さっきまで主人が敵対しようとしていた相手からの提案なんだから、断ろうとするに決まってるか。後でこの子の立場が悪くなったりしないといいんだけど。

 しばらく黙って治癒魔法を使っていたけれど、沈黙に耐えられなくなって尋ねる。


「この傷はどうして?」

「あ、えっと……」

「ああ、答え辛いことを聞いてしまいましたか。申し訳ありません」

「う、うん」


 うーん、寮にいる以上DVとかではないんだろうけどなぁ。

 同室の人と喧嘩したとか?

 いじめとかだとしんどいけどな。

 しかし取り巻きに入っているのに、そんなこと起こり得るんだろうか。


 ……待てよ。

 この子、さっき俺に手を振ってくれた子だよな。


「…………マッツォ先輩」

「な、なんだ?」

「この人のこと、叩きました?」


 返事なし、沈黙が答え。


「ち、違うんですよ。私がすぐに返事できなかったのが悪くて……」

「こう言ってますけれど?」

「……私が、短気を起こして手を挙げたのだ。すまなかった」


 俺に謝っても意味ねぇけど。


「僕、ちゃんと見てますから」

「な、何がだ?」

「マッツォ先輩の名前も顔も、それからここにいる全員の顔も、ちゃんと覚えましたから。くれぐれもこの後妙なことはしないでくださいね?」

「……しない、約束する」


 どうかなー、返事までのちょっとの間が怪しかったなぁ。


「何か嫌なことがあったら教えてください。僕のせいで叩かれてしまったようですし、僕のできることならやりますから」

「え! いや! そんな、本当に全然そんなことなくて!」

「……はい、治りました。本当に、遠慮せずに言って下さい。知らないうちに妙なことになっているほうが嫌なので」

「は……、はい……」


 よし、とりあえずこれでオッケー。

 さて、けが人もいないし、今度こそ寮に戻るか。


 いや、訓練の途中だったな。事も片付いたし、このまま継続してもいいんだけど……。


 そんなことを考えていると、取り巻きの人たちが再びざわついた。

 なんだと思ってみんなが見ている方を向くと、5割増しくらいで険しい顔をしたアウダス先輩がまっすぐこっちに歩いてきている。

 そして俺の前でピタッと足を止め、ぐるりと辺りを見回してから、マッツォの手に着いた血にを見つけて動きを止めた。


「喧嘩か?」


 俺が目を逸らすと、マッツォの焦ったような声が聞こえる。


「い、いや! 俺が勝手に転んでけがをしただけです!」

「本当か?」

「は、はい! それを新入生のルーサー君に治してもらいました!」

「……本当だな?」


 取り巻き達をぐるりと見ると、全員がこわばった顔をして縦に頷く。


「分かった。ではそういうこととする」


 よし、ごまかしがきいた。

 俺は訓練の再開でもしようかなっと……。


「ルーサー」

「……はい」

「寮へ戻るぞ、話がある」

「はい……」


 アウダス先輩の声色がかなり硬質だ。

 全然誤魔化せてなさそうだなぁ、これ……。

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