第95話 顛末

 訓練場をまっすぐに突っ切れば、マッツォとルーサーの距離はすぐに縮まった。

 それなりに顔を知られているマッツォの道を遮る者はいない。

 何せ今はみそっかすしかいないのだ。

 その中での子爵家嫡男の名はなかなかに重い。

 例えマッツォのことをよく知らなくたって、肩で風切って歩いていればその邪魔をしようなんて思うものはいない。


 本来学園は、身分を気にする場所ではないのだが、それを知っている生徒たち自身が気にしてしまっていると、なかなかそれを正すのは難しいのだ。


 ルーサーは集団が近づいてくると、それに気が付き場所を移した方がいいかなと、杖をこっそりと袖の中へしまった。

 ただ、ここは訓練場の端っこだ。

 移動しようにも必ずこちらへやってくる集団とすれ違う必要はある。

 わざわざ自分が訓練している場所へ向かってくるなんて、いやがらせでもしたいのだろうなと、ルーサーは呆れてため息をついた。


 また訓練場の端っこを歩いていこうと一歩踏み出したところ、マッツォが声を上げる。


「まて、君はもしかしてセラーズ家のご嫡男じゃないのか?」


 そのにやけた顔、を見てルーサーは思う。

 知ってるくせにわざとらしいな、この野郎、と。


 しかし外に見せる顏は笑顔のままだ。

 身長はいまだ150cm台。

 子供らしい顔つきは優しげで、少し儚げにも見えて、溌溂としている王太子と比べてもよほど王子様らしく見えてくる。


「よくご存じですね、おっしゃる通りです」


 しかしその一見大人しそうに見えるルーサーは、声をかけられると怯える様子も見せずに正面からその言葉を受け止める。


 それはマッツォに生意気だと反感を買わせるには十分な態度だった。

 セラーズ家ならば、多くの貴族から嫌われていることを自覚しているはずだ。

 自分を避けて訓練場を歩くくらいならば、怯える姿の一つくらい見えようと。


「新入生で自主的に魔法の訓練をするとはいい心がけだな。さて、セラーズ家のご嫡男と言えば、神童と名高かったはずだ。特に魔法の腕に関しては王都でも噂されるくらいにな」


 マッツォは一拍空けて様子を見るが、ルーサーは答えない。

 それは周りから見れば気圧されているようにも見えたけれど、マッツォから見ると少し違う。

 その一見穏やかそうに見える瞳が、まっすぐ自分の目を見返してきているのだ。ルーサーの心が折れていないのは明白だった。


「一つ、手合わせをしてみないか?」

「成程、ご指導の申し出ありがたいですが、生憎僕は、手合わせのやり方を知りません」

「何、降参するまで魔法を撃ちあうだけさ」


 嘘だ。

 正確には嘘ではないが、そんな命に係わる様な訓練は教師立会いの下でしか行われない。


「怪我でもしたら危ないですから」


 この言葉も周りから見ると、自分の身を守っているように聞こえる。

 しかし、マッツォの頭にはカッと血が上った。

 冒頭に隠された『あなたが』というニュアンスを受け取ったからだ。


「成程、なるほどな」


 息を吐いたマッツォに、周りはホッする。

 この嫌な緊張感のあるやり取りがようやく終わるのかと、気を緩ませたその時だった。


「勝負も受けられないか? はっ、神童というのは所詮噂が独り歩きしただけか」

「はは、すみません。僕は魔法の訓練をしに来ただけですから……」


 ルーサーが困ったような表情で答える。

 実際は呆れかえっているだけだったけれど。


「その調子じゃ、魔法の腕も大したことないのだろう?」

「そうですね、皆さんに披露するほどのものではないかもしれません。お邪魔になりそうですから、これで失礼いたしますね」


 一歩歩き出そうとしたルーサーに、逃がす者かとマッツォが追撃をかける。

 大人げない挑発だと本人も思っていたが、傷つけられたプライドが口の滑りを良くしていた。


「なるほど、散々持ち上げられているが、きっとお前に魔法を教えた『賢者』というのも大したことなかったんだろうな」

「……はい?」


 ルーサーの雰囲気ががらりと変わったことに気づいたのは、冷静に様子を見ていた周囲の取り巻き達だった。

 小首をかしげ、目を細め、うっすらと笑みを浮かべたままの美少年がマッツォを見る目は、道端に落ちている汚物を見るようであった。


「聞いたぞ。最後は賊に負けて無駄死にしたんだろ? はっ、師匠が師匠なら……」


 ルーサーの腕が僅かに動き、直後一瞬見えた杖の先端から何かの魔法が放たれ、マッツォの耳の一部を削り飛ばして空へ消える。

 マッツォがその暴挙に気づいたのは少し後。


「あつっ」


 何が起こったかわからぬまま耳を抑えて身をかがめたところへ、目を見開いたルーサーが詰め寄り、その眉間に杖をごりっと押し当てた。


「殺すぞ」


 紅顔の美少年から放たれる言葉としてはおよそ適当な言葉ではなかった。

 その場にいる全員が、一瞬幻聴ではないかと疑ったが、見開かれた目と眉間に寄ったしわがそれを否定している。

 しかしそれもほんのわずかな間だった。

 もう一度杖の先端がごりっと、押し付けられる間に、ルーサーの表情は少しずつ柔らかくなり、そして最後には冷たい、冷静に人を見下すような表情だけが残る。


「ルドックス先生が、なんですって?」


 問いかけに、マッツォは唾をのみ、ごくりと喉を鳴らした。

 一瞬にして乾ききった喉が、返事をすることを邪魔していたからだ。

 命を握られている。

 まさか学園内で殺しはしないだろうと思っても、今両手で押さえている耳からは、その命の一部が流れ出し続けている。


 やるんじゃないか。

 こいつなら本当にやるんじゃないか、という恐怖が心に宿ってしまったらもうダメだった。


「い、言い過ぎた、口が滑ったんだ」

「口が滑ったということは普段から思っているということですね」

「違う! 神童である君とどうしても手合わせがしたくて、つい」

「つい、でルドックス先生のことを侮辱したと」


 本人を持ち上げたというのにさらに怒りのボルテージが上がってしまう理由が、マッツォにはわからない。

 ここに至って言い訳も何も思いつかなくなったマッツォは悲鳴を上げるように言った。眉間にさらにめり込んだ杖の先端は、もはやマッツォの身体を押し倒さんとするような力が込められていた。


「申し訳なかった! 私の全てが間違っていた、許してくれ、頼む」

「……僕のことは、最悪ある程度気にしません。しかしルドックス先生や家族のことまで触れるようでしたら、次はありません。よく覚えておいてください、次はありませんからね」


 ルーサーは十分に忠告をすると、杖をひっこめ、視線を外し、歩き出す。

 マッツォはその場で地面に崩れ落ち、ルーサーの後姿を目で追いかけることすらしなかった。



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