第92話 エル
アウダス先輩のことだから、自分より年上には流石に敬語を使いそうな気がする。ということは多分、この糸目先輩はアウダス先輩の同級生なのだろう。
まずこの強面に軽い感じに声をかけられた時点でただ者ではない。
「いきなり声を掛けたら委縮させてしまうかと思って紹介を頼んだのになぁ……」
パタンと本を閉じながら独り言を言った糸目先輩を観察する。
あー、なんかいびつなハートみたいな形をしたロザリオぶら下げてるな。
〈光臨教〉の人か。あんまりかかわったことないけど、最近プロネウス王国にもかなり深く入り込んでるらしいんだよな。イレインの親父を裏で支援してたのも〈光臨教〉って話だ。
あんまり油断ならないな。
基本的には神様がいてーとか、普段から善行を積んでーとか、いざってときは救いの手が来るからー、みたいな普通の宗教なんだよな。
ただ問題がいくつかある。
長く続き広く知られているのに、内部の一部が間違いなく腐敗していること。
これは各国が警戒している問題ね。
それからもう一つは、いざってときにくる救いの手が、勇者と聖女ってことだ。
言い伝えによればすでに生まれているはずらしい。
つまり、そろそろ世界やばいって言ってんだよね、〈光臨教〉は。
終末を煽って何かをしようとしているのか、それとも本当にやばいことが起きるのか。どちらにしても不穏な気配しかない。
そしておれはそんな勇者と聖女を邪魔する、悪役貴族として配置された説が濃厚になってきている。
だってそうじゃん!
物語的にはどう考えてもそうだもん!
〈光臨教〉の言うことを聞く、ウォーレン王国。
そこと微妙な関係のプロネウス王国。
ウォーレン王の友人のはずなのに、手伝わない父上。
その息子の、ウォーレン王女の許婚の俺。
国内で評判の悪いセラーズ家。
俺は悪役貴族。
Q.E.D.
まあでもここ4年の間に俺も色々考えた。
俺は俺なりに頑張って、セラーズ家を守りたい。
家族、ミーシャをはじめとした使用人。師匠としてずっと一緒にいてくれたクルーブ。街を歩けば良くしてくれる領民。
それらすべてを守るのが、貴族であり領主になるであろう俺の務めだ。
父上はそれを乗り越えて国や友人までも手を伸ばしているようだけれど、俺にそこまでできるかわからないから、とりあえず最低限の線引きがここになる。
まぁ、余裕ができればもうちょっと手を伸ばしてもいいけどさ。
イレインとか、殿下とか、マリヴェルもローズもヒューズも、あいつらは友人だし、俺が手を貸すことはあっても守るとはまた違うしな。
多分悪役貴族の俺だが、できることは全部やるんだ。
そのうえで畳の上で大往生出来たら最高だと思っている。
気負い過ぎてアウダス先輩の件ではいきなり失敗しそうになったけどな!
というわけで、まずは冷静に糸目先輩に対処しないとな。
あと一つだけ言わせてほしいことがある。
パタンって音を立てて本を閉じるな。かっこつけてんじゃねぇ、本が傷むだろ。
前世と違って今世の本は一つ一つ丁寧に製本されてんだからな!
昼日中の直射日光の元広げていることといい、何読んでたか知らないがもうちょっと丁寧に扱ってほしい。
「はじめまして。私はエル=スティグマというんだ。アウダスと同じ3年生だよ。こんなに怖い顔をしたアウダスと一緒に歩いている勇気のある君の名前は?」
うーん、わかんない。
笑ってるから余計に表情が読めない。
「ルーサー=セラーズと申します。先輩はいつごろから学園に戻られたんです? まだ学園が始めるまで随分ありますが」
「昨日戻ってきたところだね。ルーサー君こそ来るのが随分早かったんだね。退屈をしていないかい?」
「お陰様で。早く学園に慣れることもできましたし、頼りにしてもよさそうな先輩にも出会えました」
アウダス先輩をよいしょしてみたけど表情は変わらない。
何でできてるんだあの表情筋。
「頼りにしてもよさそうな先輩?」
鸚鵡返ししてアウダスの方を見たエルは、糸目が開き瞳が覗いている。
「なんだ」
「いや、なんかよかったね……」
「なにがだ」
「ルーサー君、良くしてあげてよ。アウダスはこんな怖い顔で、訓練になれば容赦なく人を叩くけれど、根は優しいいい奴なんだ」
「そう思っていなければ一緒にいません」
「……驚いた。アウダス、間違ってもこの子と訓練をしたりして怖がらせてはいけないよ」
「もうしている」
「なんだって!?」
驚いたエルは手に持っていた本を取り落とした。
オーバーリアクションだよ。
俺はかがんで本を拾い、そっとほこりを払って閉じる。ちらりと見えた文字から察するに、王国やこの地域全体の歴史を描いた本のようだ。多分昔に一度目を通したことがある。
肝心な部分は伏せてあるにしても、読み物として十分に楽しめる内容だったはずだ。
「なかなか強い。本気をまだ引き出せていない」
「ははぁん、アウダス、君も冗談を言うようになったんだね、いい傾向だ」
……ばれてるか。
剣術だけで戦うことが俺の本気ではない。
あれだけ魔法の訓練をしてきたのだから、俺の剣術の根本には当然魔法を撃つ動作というものが混ぜ込まれている。
癖になった余計な動作の一部から察せられたのかな。
ということは、もしその時に魔法を撃ったとしても致命打を与えるには至らなかったかもしれないということだ。アウダス先輩、やっぱり強いな。
そっと先輩の表情を窺うと、お前の手の内は分っているぞと言わんばかりの憮然とした顔だ。
いや、いつもと変わらないから俺が勝手にそう受け取っているだけだけどさ。
「冗談……冗談でしょう?」
エルの問いかけに俺たちは答えない。
それが俺たちの返答でもあった。
=====
今後2,3日に一度お休みの日があるかもしれません。
おやすみの日には、明日はお休みだよってこちらで報告いたします。
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