第90話 少し肩の力を抜いて

 戻ってみると少しばかり人が増えたカフェテリアの中をアウダスが練り歩いていた。そうして軽食を手にして戻ってくる。

 眉間には皺が寄っていて、俺と相対している時と変わらぬ怖い顔をしていた。

 なんとカフェテリアに滞在している生徒たちも、アウダスが横を通るとさりげなく目を逸らしたり、会話を止めたりするのだから驚きだ。


 背も高くて顔が怖いというだけの理由で、そこまで影響力があるとは思えない。

 勢いで戻ってきたけれど、さてなんて声をかけるのが正解なんだろう。

 念のため気配を殺していたつもりだけれど、カフェテリアから出てきたアウダスには普通に気付かれた。ばっちり目が合ったままつかつかと歩み寄ってくる。

 歩くの早いんだよなぁ。

 考えがまとまる前にやってきてしまった。


 アウダスは態々俺と少し距離を置いて立ち止まり、結んでいた口を開いた。


「……俺はあまり口が回る方ではない」

「……はい」


 表情はさっきのままなのに、自分の精神を落ち着かせてみれば、なんのことはない。

 最初ほど攻撃的には見えなかった。

 いや、黒目が小さすぎるし、眉毛短いし、口を閉じるとへの字になるし、怖いことには違いないのだけど。


「だが寮監だ。困ったことがあれば頼るといい」

「……頼っていいんですね?」


 これは確認だ。

 本音で言っているのか、役割として言っているのか、しっかり観察して見分ける必要がある。

 アウダスはほんの少しだけ鼻の穴を膨らませて、普通にしてても伸びている背中をさらに逸らすほどにピンとさせてうなづいた。

 そうしてつかつかと歩き去っていく背中に、俺は声をかけた。


「……アウダス先輩、先ほどの無礼な言葉を謝罪します。肩肘を張り過ぎました」


 ぴたりと足を止めたアウダスは、わざわざきちんと振り返って正対して答える。


「いや、警戒することは間違いではない」


 ああ、こういう人から見てもそう思うくらいの環境ってことには違いないのか。

 でもなんか、全員が全員本気で敵対してるわけじゃないって分かっただけでも、ちょっと気が楽になった。

 そりゃそうだよな。

 父上ってしっかりと仕事をしてきていたわけだし、元々陛下の右腕のようなものだったのだ。その間に世話になった貴族だって絶対にいるはずだ。

 というか、いきなり襲い掛かってきて俺達を傷つけるようなことは基本的にあり得ないんだ。だって、セラーズ家が裏切ったらマジで国がやばいのだから。

 ちょっとダンジョンに通いすぎたせいで、警戒心の調整の仕方が馬鹿になっていたのかもしれない。反省しないとな。


 イレインはうまくやってるといいんだけど……。


 それにしても現地の情報不足だ。

 こうなってくると4,5年、おそらくちゃんと貴族子女と交流していたと思われる人物による協力が欲しい。

 表立って敵対している貴族、こっそり敵対している貴族、中立。

 それだけわかればいいか。


 そうすると適任は……ローズだな。

 ローズの家は侯爵家で、元々セラーズ家とは仲が良くなかった。あちらの情報もわんさか持っていそうだ。

 マリヴェルはしゃべらないし、ヒューズはコミュニケーション能力に難があるからなぁ。

 イレインが頻繁に連絡とり合ってたっぽいけど、俺にはその内容教えてくれない。

 プライベートな話だろうから探る気もねぇけどさ。


 あと気になっているのは殿下だ。

 あれだけ仲良くしてた殿下だけど、王都を離れてからは連絡が取れていない。

 ヒューズによれば、俺のことを疎ましく思っているわけではないらしいけど、王族だけあって勝手なことはできないらしい。

 セラーズ家の跡取り息子と仲良しこよしじゃ、上手く回るものも回らなくなるというところだろう。


 逆に言えばセラーズ家が立場を取り戻すことができれば、また仲良くできるってわけ。


 ……これじゃまるで、俺が殿下のこと大好きみたいだな。

 まぁ、実際割と好きなんだけどさ。


 今後のことは、明日以降イレインと合流してからだな。

 女子寮とか今の状況で尋ねたら変態扱いされてものすごく不名誉なことになりそうだし。


 そしたら寮の探索の再開だ。

 えー、2階の途中からだな。


 基本的に1階部分にシステム周りがすべて集まっているから、2階より上は部屋ばかりだ。

 さっきも同じようなこと思ったけど、本当に変わり映えしない景色だよな。

 ちょいちょいドアの横に飾り物をしている部屋とかを見ると、ああ、こいつお洒落なんだなーとか思うくらいだ。表札がついているわけじゃないから、誰の部屋かなんてわからない。

 男でこれなんだから、女子寮の廊下とか華やかそうだな。


 長い廊下だからか、階段は3つ用意されていた。

 4階建てなんだからそれくらいあってもおかしくないか。

 通学の時間、一つの階段に人が殺到しても危ないからな。


 しかしどうやら非常口のようなものはないみたいだ。テラスのようになっている場所は見つけたけれど、そこから下へ降りるための階段は用意されていない。

 石造りの建物だから火事になっても延焼とかはしなさそうだし、まぁいいか。


 三階は2階と変わり映えしない。正直見る価値はあまりなかった。

 しいて違う点を挙げるとするならば、部屋数が若干少ないことと、テラスの設置されている場所か。

 2階と別の面に設置することで、太陽光を遮らないように工夫されているらしい。

 歩いているうちに数名の生徒とすれ違ったけれど、ほとんどの者は俺が誰だかわかっていなさそうだった。

 わかった奴も知らないふりをしていたけどね。


 4階、俺が割り振られた部屋がある。

 正直登ってくるのがめんどくさいけれど、基本的に高位貴族は上層階に部屋を割り振られているみたいだ。あまり目の届かないところで、上位貴族に下位貴族がいじめられても問題あるしな。

 平等とか言っても、そのフロアごとの身分は同じくらいにしておこうってことなのかもしれない。


 多分4階にもテラスがあるんだろうなと思って端まで行くと、案の定あった。


 他の階よりも用意されているセット類が豪華で、広々としている。

 部屋数が少ない分、ここに広さが割かれている形だな。キャッチボールくらいなら気軽にできそうだ。


 景色も随分と良かったから、誰もいないことをいいことに深呼吸して体を伸ばす。


「よし、頑張るか」

「なんだ、普通の子供じゃん」


 びびった。

 気づかなかった。

 テラスの端の、屋上というにはおこがましい、ただの屋根の部分に褐色の肌をしたたれ目のヤンキーみたいなのがダルそうに座っていた。


「だ……、どなたですか」


 誰だよお前、と言いそうになるのを堪えて尋ねる。


「お前、セラーズ家の嫡男だろ?」

「そうですが……、何か御用でしょうか」


 さっきのアウダスの件もある、冷静に対応したいところだ。


「いや、用はないけど。帰っていいぞ」


 それだけ言って体を横にしたその男は、それから本当に一言も発さずに寝転がっているだけだった。

 だから、誰なんだよお前は……。

 俺のこと一方的に知ってるのずるくない?


「あの、あなたのお名前は……?」


 無視。

 それどころか、片手だけ挙げてしっしと俺を追い払うような動作をしてきた。

 くそう、嫌な奴だけど、何考えているかわからないし退散するか……。


 アウダスとは正反対のダウナーなやる気のなさそうな雰囲気に、こっちの気力までちょっと削がれてしまった……。


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