第89話 落ち着いてみれば
アウダスから距離を取って階段を昇り、部屋ばかり並ぶ廊下を歩きながら少しばかり考え直す。
さっきのやり取り、大人げなかったかなって。
『ただでさえ人に疑われているのだから』
これはよく考えれば公然たる事実だ。
失礼には違いないけれど、平等を謳っている学園内であり、先輩と新入生という関係性を考えればぎり許されるような気がする。いや、やっぱり許せないけど、人によっては口から出てきても必ずしも悪意があるとは限らない。
それに続く『こそこそ』云々も、盗み聞きしていた俺の方が悪いという捉え方もある。というか、悪いだろ、盗み聞き。趣味が悪い。
ふーむ……、まずいな、ちょっと警戒心強くなりすぎてたか?
いつもの俺だったら多分怒ってない感じのことだぞ、これ。
3つも4つも年下の俺がかなりむかつく発言をしたはずなのに、あいつ『態度の大きな奴め』で済ませてたよな。しかも名前先に名乗ってたぞ。
冷静に考えて無礼者はどっちだ? 身分さを鑑みても6対4くらいで俺の方が悪い気がしてきた。……さっきの考え方も、思い返してみれば身分をかさに着た悪役貴族そのものじゃなかったか?
どうも冷静じゃなかったな。
あの先輩が俺に気配察知させないで近づいてきたせいで、メンタルが敵対モードになってたのかもしれない。
さてどうするか。
選択肢は3つ。
1つは、やっぱりあいつは悪い奴に違いないと判断して、このまま寮の探索を続け、いつか潰す。
2つ目は、これからの行動次第で敵対するか判断し直す。とりあえずめんどくさいし今は保留。
3つ目は、今すぐ戻って観察をして、場合によっては謝罪する。
いやぁ……3つ目か。
かなり恥ずかしいけど、いったん様子見に戻るべきだろうな……。
父上でも、ルドックス先生でも、きっとそうするはずだ。いや、あの二人だったらそもそも最初のコンタクトで失敗なんてしなさそうだけど。
回れ右。
戻って先輩の観察、開始。
★
アウダス=パワーズは誇り高き近衛騎士団長の次男だ。
近衛騎士団長ともなると、子爵の地位を拝命している。それも騎士爵とは違い、一代限りではなく、代替わりした後継者にも男爵の地位が約束されている。
つまりアウダスの兄は、何の役目につかなかったとしても法衣貴族として暮らしていけるのだ。
アウダスの兄はそれをわかっているからか、あまり勤勉なタイプではなかった。
父が口を酸っぱくして注意しても、なんとなくちゃらんぽらんとして、女性の尻を追いかけているなよっとした男である。要領はいいので家をつぶすことまではしないのだろうけれど、父も兄の矯正は半ばあきらめていた。
代わりと言っては何だが、その弟でアウダスは父を尊敬し、憧れ、勤勉で公正な男に育った。立派な体躯と誤解されやすいきつい目つきをしている上、不器用な父の言葉遣いを真似しているせいで誤解を受けやすいが、ほんの短い期間付き合いを持てば、アウダスが一廉の人物であるのはすぐにわかることだ。
その真面目な性格と腕っぷしを買われ、アウダスは若干16歳にして今年から寮監の一人として抜擢された。他はみな最高学年であるから、その背中にかけられた期待も分かろうものだ。
そんなアウダスは悩んでいた。
今年はあのセラーズ伯爵家の神童が入学してくる。
『アウダスならば噂の神童が悪さをしても抑え込めるのではないか』
言葉にはされないがそんな期待があることも、アウダスは気が付いていた。
しかしアウダスはそれに唯々諾々と従うことには疑問があった。
アウダスの父は酔っぱらったときに、ぽつりと漏らしたことがある。
セラーズ伯爵は清廉な人物であった。
最近では忙しくて手合わせができないが、それはそれは腕の立つ人物であった。
どうしてこんなことになってしまったのだろう、と。
腕一本でのし上がったアウダスの父は、子爵という地位をもってしても政界に顔が広いわけではない。
槍働きは得意でも、宮中のどろどろとしたやり取りは苦手なのだ。
そんな話を聞いてから数年。
セラーズ伯爵家の立場は一向に良くならない。
悪い噂は流れ続けるし、独立したウォーレン王国は着実に力をつけ続けている。
国の未来を憂いて、父の飲む酒の量が増えていることを、アウダスは日々心配していた。
今日はルーサー=セラーズの入寮日だ。
本来知らされないものを、横車を押して情報を手に入れた。
なんとしてもその人物像を見極めたいと思っていた。
そして必要ならば、守ってやらねばならぬと思っていた。
そろそろ部屋の片付けも終えて、昼時も近付く。
カフェテリアへやってくるかもしれないと足を向けたアウダスが目にしたものは、険しい表情で耳をそばだてているルーサーの姿だった。
優しそうな顔の作りの眉間に皺を寄せている。
アウダスは思わず足を止めた。
カフェテリアの中を見れば、生徒が二人何か話をしている。
ルーサーの表情を見れば、何を話しているかなど見当がついてしまった。
ルーサーが振り返り、アウダスと正面から向き合う。
アウダスはその瞬間ルーサーの右手がピクリと動いたのを確認。
自分よりもよっぽど実践でならされていそうな、素早い目配りを見て、おそらく剣の柄に手を置こうとしたのだろうとわかった。
今は互いに武器を持っていないのが幸いしたが、そうでなければ一触即発の行動だ。
アウダスにはそれだけでルーサーがこの場所をどれだけ警戒しているかが分かった。
13歳の少年が持つにはあまりにも鋭敏な警戒心だと思った。
しかしその対応はいただけない。
ルーサーが戦いなれていることはわかったけれど、貴族社会に馴染んでいないことはよくわかった。何せあの事があってから丸々4年間、領内に引きこもっていたのだ。
それは、本来ならば貴族としての付き合い方を実践で学ぶ期間のほぼすべてだ。
いくら神童と呼ばれようとも、知らないことはできやしない。
アウダスはどうしたものかと思いながらも、まずはルーサーの行動に忠告する。
「……ただでさえ人に疑われているのだから、あまりこそこそした真似はしないほうがいいのではないか?」
ルーサーの優しそうな顔のパーツが凍り付いたように固まり、殺意にも思えるほどの鋭い敵意を向けられたことにアウダスは気づいた。気づけてしまった。
結局物別れとなって、アウダスは深くため息をついた。
うまくいかない。
口下手であるばかりに、敵だと認定されてしまったのがはっきりと分かったのだ。
警戒心の強い猫のような新入生に、自分のような不器用な男がいの一番に近付くべきではなかったのだと、ただ自分を責めていた。
寮監なんかに選ばれたことで、調子に乗って自分が何とかせねばと思ったのが悪かったのだと反省した。
そうして反省しながらゆっくりと歩いてカフェテリアに入り、ルーサーの噂をしている生徒たちの近くを練り歩く。
それだけでぴたりと嫌なうわさが止んだ。
アウダスはほんの少しだけ、その立派な体躯といかつい表情に感謝をすると同時に、もう少しかわいらしく大人しい容姿であれば、ルーサーとまともに会話できたのではないかと、一人ない物ねだりをするのであった。
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