第88話 悪い評判

 入学を早めにしたのは俺の希望だ。

 そうすることで寮内の探索をするのも予定通りだ。

 決してワクワクしているからリスクを忘れて徘徊しているわけではない。


 ダンジョンでそうするように脳内で寮内をマッピングしながら歩き回る。

 時折人の気配があると角や物陰で待機。

 やり過ごすことが難しい場合は、平然とした顔ですれ違う。


 そもそも長期休みのこの時期に寮にいるような者は、あまり家を大事にしていないものが多い。ひねくれものや変人の可能性が高いから、逆に俺にとっては安全である可能性すらある。

 『セラーズ家のルーサーが入学するから油断するな』という家の命令に対して『うるさいなバーカ』くらいに思っていてくれると最高だ。情熱的なハグをしてやってもいい。


 前世から合わせた年齢がそろそろ40になるのだけど、体の年齢に引きずられているせいか、なんか最近普通に多感な少年の気持ちもなんとなく持ち合わせている。どうせ学園なんてものに通うなら、仲良く話せる友人もちょっと欲しい。

 難しいとわかっていても心のどこかにそんな気持ちがあることを否定できない。


 そんなことを考えながらうろついているうちに、一階のカフェテリアのような場所に辿りついてしまった。

 太陽の光が差し込み、良く磨かれた渋い茶色のテーブルとイスが光沢を放っている。優雅に軽食を召し上がった後、お茶を召し上がっている貴族のお子様たちの姿は様になっている。

 多分年上だな。

 背が高いから多分15歳くらいかな。


 そっと壁に寄りかかって耳を澄ませていると、喋り声が聞こえてくる。

 

「そういえば今年入ってくるんだよな」

「ああ、セラーズ家の。……めんどくさいよな」

「入学しないでくれりゃよかったのに」

「そうだよな、いっそ裏切っててくれりゃ……」

「やめとけよ、誰かに聞かれたらどうすんだよ」

「聞かれたって大丈夫だろ。今のセラーズ家と関わるなんてよっぽどだぜ」

「それでもだよ。関わらないのが一番だろ。なんか聞かれたときに答えられるように情報収集だけしとこうぜ」


 あー、そんな感じか。

 やっぱ結構俺の情報は広がってそうだな。

 こりゃ俺の方でもしばらく大人しくして、敵味方はっきりさせないと動きようがない。すり寄ってくるのはむしろ情報収集しに来てる敵だと思った方がいいかもしれないな。

 よし、二階に行くか。


 そう思って階段へ歩き出そうとすると、通路の正面に一人の男が佇んでいた。

 背が高くりりしく整った容姿をしている男は、眉間に皺を寄せて俺のことをじっと見ている。

 長い廊下だから人が来ていないか警戒していたつもりなんだけど、どうやら音もなく現れたようだ。その時点で俺からしてみれば十分以上に警戒対象だ。


 これでもダンジョンに頻繁に潜っているから、角の向こうにいる敵の気配だって察知できるくらいにはなっているのだ。たかが学園の生徒にその警戒を突破されるとは思わなかった。


 しかも黙って俺のことを見ているということは、当然俺が誰だかわかっているということだ。

 何も言ってこないし、近づいても来ない。

 ならまぁいいかと、俺は気にしていないように装ってその男の横を通り過ぎることにした。


「……ただでさえ人に疑われているのだから、あまりこそこそした真似はしないほうがいいのではないか?」


 通り際に嫌みを込めた忠告をされる。

 無視して通り過ぎても良かったが、その言い方に引っ掛かって俺は足を止めた。


「今日来たばかりで寮内を歩いていたら、僕の噂が聞こえたので。乗り込んでもあちらの方々が気まずくなるでしょう? それとも僕はここにいるぞと躍り出るべきでしたか? お望みならば今からでもやってきますが」


 あれ、思ったより攻撃的な感じになったな。

 まぁ仕方ないか。

 だってこいつ害虫を見るような眼で俺のこと見てるんだもの。目は口程に物を言うっていうけどさ、これはもう喧嘩売られてるようなもんだろ。

 こいつは俺を通して、セラーズ家を害虫のように見ているってことだ。


 人に疑われてるってつまり、セラーズ家ってプロネウス王国を裏切っているんじゃねーの? って言ってるんだろ。

 身と心を削りながら王国を良くしようと務めて、どんなに疑われても怒らず二心持たず国と領地のことを考える父上が裏切っていると、遠回しにそう言ったってことだろう?


 誰かに疑われているんじゃなくて、今お前が、そう思っているってことだろう。

 人に、とか言って他人のせいにしてるんじゃねぇよ、決闘するかこの野郎。


 とまぁ、そこまでの言葉が一瞬で脳内に駆け巡るくらいには、どうやら俺の気持ちがささくれ立っていたらしい。


「……態度の大きな奴め」

「失礼、どこのどなたか存じ上げないものですから。お名前を頂いてもよろしいですか?」

「アウダス=パワーズだ」

「ありがとうございます。どうやら名乗る前からご存じのようでしたので不要かとも思いますが、僕はルーサー=セラーズと申します。ご忠告ありがとうございました」


 追加の嫌みと礼を述べて俺は早足にその場から立ち去る。

 パワーズ近衛騎士団長の家の次男だな、覚えたぞ。

 パワーズ家の爵位は子爵。

 

 4年間忙しく過ごしながらも、学園にいるであろう爵位持ちの子供の名前は結構頭に突っ込んできたんだ。

 まぁ、周辺情報はイレインに任せてるんだけど。


 そんで、爵位を継承する予定がない次男のアウダスが、伯爵家の、それも兵力や財力で言えば、侯爵家を上回るセラーズ伯爵家の嫡男である俺のことを馬鹿にしてきたんだな。

 別に貴族としての権力を振り回す気とかはさらさらないけど、あちらがそれを無視して馬鹿にしてくるのは違うだろう。いくら学園が平等を歌っているとしても、超えるべきでないラインはある。

 俺一人のことだったらへこへこしてたっていいけど、セラーズ家を背負ってるとなるとあんまりへりくだってばっかりもいられないんだよな。なんとか馬鹿にされないように立ち回らなければいけない。


 あーあ、こりゃあマジで悪役貴族の役割をしなければいけないような予感がしてきたぞ。

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