第70話 ただの穏やか早春

 父上が家にいられる日は、俺に剣術の稽古をつけてくれる。

 俺ほどに時間が自由に使えるわけじゃないから、いつもは一人でできる訓練は一人でやっておく。

 ただ、今日は珍しく一日のんびりできるらしい。

 朝から軽く走って体を慣らして、剣術の稽古。

 最後にまた限界まで走り込む。


 いつの間にかすっかり細くかっこいい姿に戻っていた父上は、俺の体力の限界が来た頃にようやく息が乱れ始める。

 膝をついて父上の背中を見送ってから、ゆっくりと地面に寝転がって呼吸を整えていると、エヴァがやってきて汗だくの俺の顔の上にタオルを落としてくれた。


 足はかなりだるくなっているけれど、腕はまだ動く。


「エヴァ、ありがとう」

「にーちゃ、汗いっぱい」

「うん、頑張った」


 笑って答えると、俺の上に影が落ちて、母上の優しい声が降ってくる。


「ルーサー、あまり無理しちゃだめよ」

「大丈夫です。ちょっと無理するくらいじゃないと体力がつかないので」

「まったく、お兄ちゃんはそんなに鍛えて何になりたいのかしらね?」

「んんー、にーちゃはにーちゃ」

「そうね、ルーサーはルーサーね……」


 のんびりとした会話に心がほっこりと温まる。

 今日は家族水入らずだ。ミーシャも少し遠くで待機している。


 その間にも父上がものすごい速度で屋敷の周りを走っている。

 俺と走っていた時は加減していたのだなと分かる速度にはため息しかでない。


 まだ俺は背が低いし、成長期もきてないから仕方ないけどね。


 しばらくして俺が体を起こし、地面に足を投げ出して座った頃、ようやく父上は足を止めた。母上がタオルを渡すと、軽く顔をぬぐって、さわやかな笑顔で礼を言っている。

 数年前まではあんなに丸かったのになぁ……。母上が夢中になる気持ちもわかるうイケメンぶりだ。


 すぐいちゃいちゃし始めるんだ、この二人。

 いいけどね、あと何人弟や妹作ってくれても。

 俺、ちゃんとかわいがるしさ。


 ありがたいことに父上のりりしい雰囲気と、母上の優し気な雰囲気が合わさった俺の容姿もなかなか整ったものになっている。父上のようにストレスをため込んでドカ食いし続けなければ、顔面パワーだけでも食っていけそうだ。

 女の人に刺されて死にたくないからやらないけど。


 刺されて死ぬと言えばイレインは最近、変な場所に御呼ばれするようになった。

 『王立研究所』、誰が呼んだか『変人窟』。

 なんか王族とかその縁戚とかの変人が集まって、妙な研究とかしてるらしいよ。つまり権力に関わらないけど暮らしは保障してやろうっていう、そういう機関。本当に何かの研究をしているかはともかくとして、一定の予算が割かれ続けている。

 この間イレインが連勝を重ねていたあのゲームも、そこ発祥なんだとか。

 微妙に触れずらい人とか、関わるとめんどくさい人がいるらしいので、俺はあまり行きたくない。ちなみにこれは父上がすごく遠回しに教えてくれた。


 イレインが流し目を送っていたあのかわいい女性、あれがその関係者だったらしいね。


 『変人窟』の話はあまり外に流せないらしく、イレインはそこから帰ってきてもあまり話をしない。楽しいのとめんどくさいのが半々くらいで、かなりだるいということだけぼそぼそと話してくれる。

 最初は女性に招待されて浮かれたのにな。

 馬鹿め、お前の見た目はかわいい女の子なんだよ! 色目使ったって無駄。


 でもうまいこといけば、マジで結婚しなくてもよくなるかもな。

 あそこで好きにさせてやって良かったとちょっとだけ思う。


 地面にマットを敷いて、サンドイッチを用意して、晴天の元ピクニック。

 俺が提案したときは父上も母上もいぶかしげな表情をしていたけれど、いざこうしてやってみれば、穏やかな気持ちで楽しんでくれているようで何よりだ。


 二人がイチャイチャあーんとかしている間に、俺はエヴァに小さくちぎったサンドイッチを食べさせてやっている。飲み物も準備したけど、喉につまらせないように気を付けて見ておこう。

 

 食事を終えると家族4人で、のんびりと午後の日差しを浴びる。


「ルーサー」


 エヴァがうとうとし始めたので、上着を脱いでかけてやっていると、父上が俺の名前を呼んだ。


「なんでしょうか?」

「今日はいい日だな」


 父上がぼんやりと空を見ながら言った。

 奇遇だね、俺もそう思ってたよ。


「そうですね」

「お前のお陰だ」

「いえ、父上が普段からお仕事を頑張ってるからだと思いますけど」


 父上はため息をついて俺を見た。

 やれやれというような顔で、母上もなぜだか情けない表情をしている。


「違う。お前が頑張らなければ、私とアイリスは関係を戻せなかった。エヴァもここにはいなかった。だからお前のお陰だ」

「そうよ。ありがとう、ルーサー」


 ……違うね。

 俺がいたから、二人の子供が俺だったからうまくいかなかったんだ。

 普通の子供だったらそもそも不仲になっていない。

 でもそんなことを言い出すわけにはいかない。


 それでも肯定することだけはばかられたから、俺は黙って首を振った。

 

「なぁ、ルーサー」

「……なんでしょう」

「たまにお前は神様か何かが授けてくれたんじゃないかと思うことがある」


 そうか。

 父上も母上も、馬鹿ではないもんな。

 俺に対する違和感があったんだろう。


 穏やかな気分でいたのに、心がぎりぎりと締め付けられる。

 

 そうか、だって俺の中身は俺だもんなぁ。


「僕は、二人の子供です。神様なんか知りません」


 途中からかもしれないけど、精一杯長男として頑張ろうと思ったんだけどな。

 ホント、神様なんか知らないし。

 そもそも俺、巻き込まれて死んだだけだしさ。

 何を言われるんだ。

 わざわざゆっくり話してくるんだから、急に出てけとかは言われないだろうけど。


 こんなことなら小さなころから全部ばらしておけばよかった。

 そうしたら、途中で噓がばれることもなかったんじゃないのか。

 父上と母上も辛い思いもしなかっただろうし。

 

 あーあーあー、どうなるんだこれ。


「そうだ、お前は俺たちの自慢の息子だ。うちに生まれてくれてありがとう。これからも病気や怪我をせずに元気でいてくれ。あまり頑張りすぎるなよ」


 ごつごつとした手のひらが俺の頭の上を不器用に往復する。

 なんか知らないけど喉がきゅっと狭くなって、瞼に涙がたまってきた。

 背中を母上の手が優しく撫でる。


「いつも頑張り過ぎだって、二人で心配してたのよ。魔法、剣、私達のことを気にして、エヴァの世話をしてかわいがって、殿下やお友達たちとも仲良くして。もっとわがままを言ってもいいのよ」

「俺が太っていたのも、アイリスと上手くいかなかったのも、お前のせいじゃない。俺たちが未熟だっただけだ。8歳の子供に話すような事じゃないんだがな……。どうして俺たちからこんなに賢い子が生まれたのやら」


 父上が最後はぼやくように呟いた。


「剣の、稽古、毎日します。魔法も、毎日頑張ります。父上と母上は、仲良くしててほしいし、エヴァはかわいがります。全部、したいこと、です」


 くそ、涙が出ると、なんでこんなに喉が詰まった感じがして喋りにくいんだろう。

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