第33話 出産
王都に移ってから父上の仕事時間が、ちょっと忙しいサラリーマンくらいになった。正確には外へ仕事に出ない日も、俺や母上の相手をしているとき以外は働き続けているのだけれど、とにかく家にいるというのが重要だ。
それだけで母上は花の咲いたような笑顔を見せるし、使用人たちもいい感じにびしっとして、仕事に精を出している。
あと最近の父上は小太り程度まで痩せてきた。
嬉しいのだけれど、一つ問題がある。
それは俺が成長する速度よりも、父上の体が引き締まって動きに切れが出てくる速度の方が圧倒的に早い点だ。
なんで最初の頃よりも余裕で俺の相手してるの? 所詮子供だとしても、俺ちょっとは剣術使えるようになってきてるよね?
狭くなった屋敷の敷地だけど、剣術の前には庭の外周をぐるぐると走る。
はじめのうちは何度も追い抜かれることが悔しくて対抗心を燃やしていたけれど、今は半分くらい諦めの気持ちで自分のペースを守るようにしている。
大人と子供だもん、仕方ないし。
5歳児が文句を言わずにぶっ倒れるまで走ってることをまず評価してほしい。
そんなわけで充実した毎日を過ごしていたある日、ついに母上が産気づいた。
珍しく仕事に一切手を付けない父上が部屋の前でそわそわ。
珍しく魔法の勉強を放り出して俺が部屋の前でそわそわ。
「母上、大丈夫でしょうか」
「大丈夫だ。ベテランの助産婦も呼んだ。王都で一番の治癒魔法使いも医者も呼んだ。私たちができることは、ここでアイリスの無事を祈って静かに待つことくらいだ」
「そうですよね、大丈夫ですよね」
そわそわそわそわ。
うろうろうろうろ。
「うむ、大丈夫、大丈夫だ」
「そうですね」
「ルーサーの時も大丈夫だったもんな」
「……そうですね」
「いやしかし、アイリスは体が小さいから心配だな」
「…………そうですね」
「中へ入って手を握ってやった方がいいだろうか、どうだろう、なぁ、ルーサー、どうだ?」
「………………父上」
「やはりそうだな、中へ入ろう、勇気づけてやるべきだ」
「座って静かに待ちましょう」
自分よりそわそわしている人がいるとだんだんと落ち着いてくる。
冬眠前の熊さながらにうろつく父上を見て、俺は椅子に腰を下ろした。
あのね、手指消毒もしていない父上は、中に入らないほうがいいと思うよ。ベテランの助産婦さん、めっちゃ怖い顔したおばあちゃんだったし、多分中に入ったらけり出されるよ。「絶対に入ったらダメですからね」って言われたからね。
いるんだろうなぁ、勝手に中に入ってくる人。
……っていうか、俺の出産のとき、父上中にいたよな?
さては当時も勝手に入ったな。
「いやしかし……」
「父上、待ちましょう。邪魔になります」
「……そうだな」
ようやく俺の隣に腰を下ろした父上は、それでも少し体を揺すってる。ただ、不思議と嫌な感じは受けなかった。俺のせいですれ違っちゃった時期もあったけど、ちゃんと母上のことが好きなんだと分かるからなんだろうなぁ。
日本にいたころの俺には兄が一人いたけれど、下の兄弟はいなかった。
年が近かったら喧嘩とかもするのかもしれないけど、5歳も離れたらかわいいよなぁ。実際の年齢差は親子くらいあるわけだしさぁ、俺も結構楽しみなんだよね。
「ルーサー、体が揺れてるぞ」
「父上もですよ」
「……心配だな」
「……はい」
落ち着いているようなふりをしていたけれど、やっぱり俺もダメだったらしい。
そりゃあさぁ、心配だよなぁ。
医術的には日本の方が発達していたけど、それでも出産時の死亡事故ってあったし。
こっちには治癒魔法使いがいるから、本当に滅多なことはないと思うんだけどね。
出産時に男にできることなんて本当にないらしく、結局産声を聞くまで俺たちはただ体を揺するだけの存在になっていた。
声が聞こえた瞬間に扉をあけ放った父上は、助産婦のおばあちゃんに「いいと言うまで開けないよう言ったでしょう!!」としゃがれた声でどやされていた。けどまぁ、理性が利かないくらいに母上のことが好きなんだと思うと、やっぱり俺はちょっとほっこりしちゃうわけで。
仕方ないなーって思いながらも、父上に対する好感度が上がってしまった。
多分これ、母上も同じなんだろうなぁ。
俺が生まれたときのこと思い出すとさ、視界はぼやけてるし訳が分からないしで結構怖かったんだよな。何を言っていたのか思い出せないけど、多分あの時に父上も、今日みたいに母上の心配をして、それから俺の誕生を喜んでくれていたんだと思う。
怒られながらも中に入れてもらった父上を確認してから、いい子の俺は後に続く。
子供の泣き声ってパワーあるよなぁ。
顔が真っ赤で猿みたい。俺もこんな感じだったのか。
「アイリス、無事だな……。この子は、女の子か」
見上げると父上が情けない顔で母上と赤ん坊を交互に見ている。
「母上、大丈夫ですか?」
「ルーサーも来たのね。そんなに心配そうな顔をしなくても大丈夫よ。オルカ様と同じで心配性なんだから……」
そんなに顔に出てる?
声が聞けて確かにほっとしたけどさ。
「ルーサー、この子の名前はエヴァよ。女の子だったらエヴァとオルカ様と決めていたの。あなたの妹よ、大事にしてあげてね」
「はい、もちろんです! どうしよう、何か今僕にできることはありますか?」
皺だらけの御婆さんである助産婦さんは、びっと指を立ててその先を扉の方へ向けていった。
「オルカ様も、ルーサー様も、外へ出ててくださいと言っております」
「……そうだな、出ておくか」
「ご、ごめんなさい」
こういう場所で専門家に逆らうのは良くない。
というか、ちょっと怖い。
俺は父上に背中を押されながら、苦笑している母上をおいて妹への挨拶もそこそこに退室したのであった。
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