第30話 お引越し

 ウォーレン家がいなくなって数日。

 剣術の訓練の後、庭でひっくり返って休憩しているときだった。


「ルーサー、話がある」


 父上が改まって声をかけてきたので、仕方なく息を整えるのを諦めて立ち上がる。

 もうちょっとだけ休ませてよ……。


「なんで、しょうか?」

「アイリスの出産に合わせて、居を王都へ移そうと思っている」

「すでにお腹が大きくなっていますけれど、長距離の移動は大丈夫でしょうか?」

「今ならまだ問題ないだろう。セラーズ領の運営は基本的に父上に任せて、私は王城での仕事に集中するつもりだ」


 あー、あの海の男風の人ね。

 あの人爺ちゃんっていってもまだ50代だし、バリバリに元気だからなぁ。そういえば長いこと顔を見ていないけれど、もしかするとそれも俺が病弱と思われていたせいかもしれない。

 外部の人と触れ合わないようにしてた、みたいな。


「今まで以上に家にいられる時間も増えるだろう。……お前や生まれてくる子の成長をちゃんと見守ってやりたいし、またアイリスを心配させるようなこともしたくない」

「父上との時間が増えるのなら嬉しいです」

「そうか……。長く暮らしてきた場所を離れるのは不安じゃないか?」

「いえ、父上と母上が一緒なんでしょう? ミーシャや使用人たちも来てくれるんでしょうか?」

「一部はこちらに残るが、特に近くで世話をする使用人は連れて行く。当然ミーシャもだ」


 ほっと一安心。ミーシャがいると居ないだと環境結構変わっちゃうからなぁ。

 知らない人がミーシャと同じくらい毎日くっついてきたら、俺ちょっと気を使っちゃうよ? 反抗期始まっちゃうかもしれないよ?


 というか……、そもそも財務大臣なんて基本的に王都にいてしかるべきなんじゃないのか。

 まさか俺が病弱だったから、父上がわざわざ王都まで出向いて仕事かたずけて帰ってきてた、ってわけじゃないよな。……ありえるか。

 勘弁してくれよ。新たな事実が出てくるたび、全面的に俺が悪いんだけど!

 愛されてんだよなー、愛されてるって分かったからこそしんどいんだよなー……。 

 イレインのことを思うとめちゃくちゃ贅沢な悩みだけどさ


 それにしても自領の街も出歩いたことがないのに、いきなり王都かー。

 ちょっと楽しみだなぁ。


 あ、大事なことを一つ忘れていた。


「あの、父上、ルドックス先生はどうされるんでしょうか……? まだまだ教えていただきたいことがたくさんあるのですが」

「ああ、ルドックス先生は元々王都にお住いなんだ。お前の事情を話してお願いしたら、わざわざセラーズ家までいらしてくださってな。あちらとしてもご自分の家で過ごされる方が良いだろうし、王都でも引き続き講義を続けてくださるだろう」

「ああ、よかった……」

「ルーサーは本当にミーシャとルドックス先生が好きだな」

「ええ……、まぁ……」


 直接言われると照れちゃうからやめてほしいかもです、父上。


 それから一月もたたずに、俺たちは王都のセラーズ邸へと居を移すことになった。

 馬車を連ねての大移動で、ちょっとだけワクワクしてしまった。

 移動中暇だろうと思って本を数冊見繕ってきたのだが、残念ながら移動中はとても優雅に本を読んでいられる状態じゃなかった。街を出てすぐにがったんと体が跳ねたことから始まって、常にバイブレーション機能のように体が揺れ続ける車内。


 父上母上は余裕そうなのに、俺は一人車酔い状態を維持していた。

 せめて窓を開けたかったのだけれど、危ないからやめるようにと父上に注意されてしまった。


 山賊がいて矢を射かけられたりすることもあるそうだ。

 それ、頻度どれくらい? そんなに治安悪いの?

 そう尋ねたかったけれど、あまり5歳児が現実的なことばかり行ってても変だし、気持ち悪くてそれどころじゃなかったので、素直に背もたれに頭を預けて脱力することにした。

 ああ、だれかサスペンションを、サスペンションを開発してください。

 俺はサスペンションという言葉は知ってるけどその仕組みは知らないんだ。世の中にはびこっていたネット小説の主人公たちは、スーパー知識を持っていて次々と便利なものを発明していたけれど、適当に過ごしてきた俺にそんな能力はない。

 なんかあの、ばねみたいなのつけると、衝撃を吸収してくれるんでしょ。


 ところでさ、ばねってどうやって作るの?

 もうそっからして分からないのだから、横文字のスーパーアイテムなど作れようはずもないのだ。


 俺のできることは一つだけ。

 本を開いて文字を追いかけたりせずに、ただ時間が過ぎていくのに耐えるだけである。


「……ルーサー、大丈夫? 具合が悪いの? やっぱり戻った方がいいかしら?」


 俺が虚空を見つめていると、母上が心配して声をかけてくる。

 うん……、お腹の子に悪いから不安を与えないほうがいいね。っていうか、ただの車酔いだからね。

 もしかしてこの世界にはこの程度の揺れで車酔いするような軟弱者はいないの?


「だだっ大丈夫です、母上」


 ふざけてるわけじゃない。たまたま振動が重なってラップみたいになっちゃっただけだ。

 はいはい、ちゃんと母上を心配させないように笑顔を作りますよ。

 今日一日我慢すれば、明日はちょっとくらい慣れてくれるだろう。……慣れるよね? 片道4日の行程ずっとこれは耐えられそうにないからね?


 結論から言うと慣れなかった。

 3日目から、俺はミーシャと同じ馬車に乗ることにした。

 父上と母上を二人きりにさせてあげたいという名目で、窓を開けない約束まできっちりした。そうして座席に無理やり寝転がって、ミーシャに「辛い、辛い」と弱音をこぼしながら旅をすることになったのである。

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