第25話 相手の気持ちを考えよう

 間近でイレインの顔を見て安心してしまったのは、多分前世で最後に見た女性のように目がぶっ飛んでいなかったからだと思う。感情の振れ幅が常識に納まる範囲というのがなんとなくわかった。

 跡が残らない程度に首を締め付けてくれたイレインは、急に手をすと「あー、もう」と投げやりに言ってクッションの上にある本をよけた。そうして体をクッションの上にあおむけで投げ出し、腕で目元を覆う。

 イラついているだろうに本を放り投げたりしないあたりお上品だ。


「……寿司とか言ってる時点で、ルーサー様も元日本人ですよね」

「ええ、まあ、そうですけど」

「なんで急にそんなこと打ち明けたんですか。もうちょっと確認の仕様があったでしょ」

「……なんか、同じような境遇の人がいるんだってわかって、つい」

「そうですか、はい。すごい悪人っぽくない言葉で安心しました」


 イレインは上半身を起こし、じっとりと俺の方を見る。

 確かにわざわざ自分の正体を明かすような探り方をする必要はなかった。途中まではその方向も考えていたんだけど、米の話を聞いて前のめりになったイレインを見ていたら、妙な仲間意識が芽生えてしまって止められなかった。

 さっきイレインに言ったことが俺の本音だったんだと思う。

 誰も知らない故郷の記憶を共有できる仲間ができるんじゃないかって期待を抑えられなかった。


 自分だけが異質であるというのは結構きつい。

 たまにただ俺の頭がおかしいだけなんじゃないかって考えるのだけど、あまりにはっきりとした前世の記憶がそんなわけないと訴えてくる。ルドックス先生には自分の事情をぽろっと話してしまったけれど、こんな悩みまで相談はしていない。


 できない。


 わかってもらえなかったときに傷つくだろう自分の姿をありありと想像して恐れてしまったからだ。


「……お互いに秘密を抱えて協力関係を強固に、ってことでいいですか?」

「ええ、そうですね」

「わかりました、ではそうします。先ほどの酷い噓も、許しませんけど忘れるよう努めます」

「その節は本当に申し訳ありません」


 俺まで米が恋しくなってしまったのでもうこの手は使いません。


「ルーサー様は……うまくやっているようですね。魔法、ですか? それも使いこなしているようですし、ご家族との仲も良好なんでしょう?」

「いえ、僕の方もつい一年ほど前までは家庭崩壊の危機でしたけど……」

「家庭崩壊……? よく立て直しましたね」

「色々誤解が重なった結果だったようで、一つ問題が解決したら次々と」


 そもそもの始まりが俺の気絶癖のせいだったので、皆までは言うまい。わざわざ自らの恥ずべき点を赤裸々に語る必要はない。


「羨ましい。私の家は家長であるお父様の言うことは絶対。それからお母様。使用人からは常に監視をされているようにも思えます。……私は、私の役割を果たさなかったときにどんな扱いを受けることやら」

「役割というのは……」

「当然、ルーサー様、あなたとの結婚です。与えられたことだけを学び期待に応えることが、私に求められていることです。随分と自由にされているルーサー様が羨ましいです」


 思った以上に窮屈な環境なんだろうか。

 俺が勘違いしていたのと同じように、イレインも家族との関係を深読みしすぎているという可能性もありそうだけど。

 でもまぁ、怖いもんな、ウォーレン伯爵。言葉も強いし、実際強そうだし。


 俺にはミーシャやルドックス先生っていう背中を押してくれる人がいたけれど、イレインは使用人のことも信用できていないようだ。俺のカマかけにガッツリ引っかかったのも、精神的な余裕がなかったせいかもなぁ。


「でも、イレイン嬢は私との結婚をする気がないのですよね?」

「……今更したいとか言わないでくださいね?」

「言いませんけど」


 警戒するのやめてよ。俺、ロリコンじゃないってば。


「13歳から18歳まで学校へ行くでしょう? その間に何か国のためになる成果を残して、意見を通せるようにしておくつもりです。前世の知識があれば何かしらできるんじゃないかと思うのですが……」

「今のところ何か思いついていますか?」

「……あまり。正直に言いますと、私あまり勉強好きじゃないんです」

「知らないことがたくさんあって面白いですよ? 物語に出てくるような異世界ファンタジーの世界ですし……。と、そういえばイレイン嬢は、この世界が何の世界か知っていたりしませんか? これから先の未来とか……」


 俺の知識によれば、女性主人公が異世界転生転移する場合はその世界のストーリーとかをあらかじめ知っているパターンが多い。もしそうであれば、とちょっと期待したけれど、向けられたのはいぶかし気な視線だった。


「言っている意味がよくわからないんですけど……、どういうことですか?」

「えーっと……、こうして異世界に記憶をもって生まれることを、転生とかっていうんですけど……」


 丁寧に順を追って知識を披露したので、俺が何を考えて尋ねたかというのは伝わったような気がする。しかしイレインから帰ってきたのは淡白な言葉だった。


「前世でもあまり本とか読まなかったので知りませんでした。そういえば、おたくっぽい女の子がそんな話してたような気もしますけど……」


 あ、この子さては前世リア充だな。

 知識ゼロでスタートしたと考えたら、この世界に生まれたときの混乱って俺の比じゃなかっただろうな……。多分今回俺に会うことだって、相当な覚悟をしてきたはずだ。ピリピリしていた原因はこのあたりか。

 さっきにもまして調子に乗ったのが申し訳なくなってきた……。


「あの……」

「なんですか?」

「さっきは調子に乗ってすみませんでした」

「さっきって、どれのことですか」


 ……俺、寿司の件以外でふざけた記憶ないんだけど。もしかして一生懸命異世界ファンタジー物の説明したこともふざけてたと思われてる?

 真っ先に寿司の件が出てきそうなものだけど、思ったより気にしてないのかな?  

 それならいいけどさ。


「あー、いや、なんでも。ところでどうしてイレイン嬢はそんなに結婚をしたくないんですか? さっきの話からすると『自分で選んだ相手と恋愛して結婚したい』というのは方便ですよね?」

「……まあ、そうですね」

「一応、協力する手前、そんなに結婚したくない理由があるのなら聞いておきたいんですが」

「…………話してもいいですが、それで協力関係解消、みたいなことは絶対にしないでくださいね」

「ここまで来たら一蓮托生でしょう」


 これまでで一番真剣な顔をして、イレインが俺の目を覗き込む。

 逸らしちゃいけない場面なんだろうということはわかる。


 しばらくして満足したのか、イレイン嬢は突然腕を組んで、クッションの上で胡坐をかいた。


「だって、男と結婚とかしたくねぇもん」


 ん、んんんん?


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