第10話 先生からの課題

「ふむ、予習をしっかりしてきておるようじゃな。儂いるのかのぅ?」

「いります。ルドックス先生のお話が分かりやすいからちゃんと理解できてるんです」

「ふむ。本来ならもう少し倫理観が育った年頃にやるべきじゃが……ルーサー様なら大丈夫じゃろう。そろそろ魔法の実践をしてみないかね?」

「いいんですか!?」


 思わず立ち上がってルドックス先生を見上げる。

 ルドックス先生、座ってても俺より背が高いんだ。


「うむ、いいとも。ルーサー様はどうやら随分と頑張られたようじゃからな」

「頑張った……ですか?」

「そうじゃ。臆病の虫を追い払って、アイリス様やオルカ様と話をしてきたんじゃろう? まぁ、失敗もあったようじゃが」


 失敗というのはきっと母上に大目玉を食らったことだろう。

 あれからすでに3日たったというのに、母上は昨日の夜も目をぎらぎらとさせて俺の部屋に居座っていた。今まで接していなかった分を取り戻すかのように、眠るまで本を読んでくれたり頭を撫でてくれる。

 問題があるとすればすでに言葉を覚えたので絵本はそれほど楽しめないし、優しく頭を撫でられると気恥ずかしくて仕方ないことだろうか。

 可愛らしい美女である母上にこれほどまでに健気にお世話をされて、恋心らしきものの欠片も浮かばないのは、母上がちゃんと俺の母上だからだろう。


「ありがとうございます! 初めてお会いした日からずっと楽しみにしていたんです!!」

「ほっほっほ、初めて会った日からルーサー様が魔法の憧れていたことは気づいておったよ。お体のこともあるからどうじゃろうかと思っておったが、それも改善されておるんじゃろう?」

「はい! 元気です!!」

「よろしい。それでは一つだけ条件があるんじゃがいいかな?」

「なんでしょうか!」


 好々爺の表情を浮かべているルドックス先生は、長く白いあごひげをしごきながら頷いて言った。


「儂、今朝アイリス様にルーサー様に魔法を教えたい、と提案したんじゃよ」

「はい」

「そしたら表情がすっと消え失せてな、じっと目を見られてな、めちゃくちゃ怖くて返事が聞けなかったんじゃ」

「……はい」

「あれなんじゃろな? 若いころ【絶死】と呼ばれた魔法使いと対峙したときと似た恐怖を感じたんじゃけど……」


 うちの母上がご迷惑をおかけして申し訳ありません。


「だから魔法を習いたければ、まずルーサー様からアイリス様を説得してくれんかの」

「…………はい、わかりました」


 母上さ、距離が縮まったとたん全力の愛を感じるようになったんだよね。

 いや、俺がずっと心配かけていたのが悪いのはわかってるんだよ。でもさ、愛が深すぎて何というか、その、たまにヤンデレめいたものを感じるんだよね。

 説得できるのかな、俺。



 うららかな春の日。

 草花がそよ風に揺れる中で微笑む母上の姿は、まるで妖精のように可憐だ。

 父上は豚さんなのにいい奥さんもらってて羨ましいなぁ……。


 でもねぇ、目にハイライトがないんだよねぇ。

 魔法の実践がしたいっていった途端にこれだもん。

 母上の付きのメイドさんは、普段は絶対に母上の方を見ているのに、今は塀の上で戯れる蝶々を見ているし、ミーシャが俺の服の背中をこっそりと指でつまんだのがわかった。

 ごめんね、怖い思いさせて。


「ルーサー、なんですか? 聞こえませんでした」


 負けるな、聞こえなかった振りに負けるな!

 ここで押し負けたら一生魔法の訓練に入れない気がする。


「魔法の実践をルドックス先生から習いたいと考えて」

「駄目です」


 食い気味に否定するのやめてください。


「なぜでしょうか?」

「まだ病気が完治したかわからないからです」

「でも、あれから一度も気絶していません」


 母上はいつもとは少し違う目の細め方をした。眉間の皺の入り方とかが違う。

 あ、これ泣きそうだ。だめだ、母上また泣くぞこれ。


「ルーサー、あなたの病気には名前がないの。私、たくさん本を読んで調べたわ。見逃しがないよう何度何度も読んだの。それで分かったのは、あなたの症状は魔力をすべて使い切ったときに似ているということよ。何もしていないのに突然体の中の魔力がすべて消失する恐ろしい病気よ」


 せいぜい気絶するまで二日酔いの時の頭痛を覚える程度だったから、そこまで深刻じゃないと思うんだけどなぁ……。目が覚めたころにはすっかり治ってるし。

 ……というか、母上の目が悪くなったのって、本をめちゃくちゃ見てたせいなのか? 時期を考えるとそうとしか思えない。これも俺のせいじゃん。


「一流の魔法使いでも、魔力を使い切ると熱を出して数日寝込むというわ。人によってはトラウマで二度と魔法が使えなくなるとか。今までは回復が早かったからよかったけれど、これからだってそうとは限らないわ。折角治ってきたかもしれないのに、今やる必要があるのかしら……?」

「母上……」


 心配してくれてるんだと思うと暖かい気持ちになるけれど、それと同時に本気で治癒魔法を覚えたくなってきた。このままじゃ俺は、自分勝手なことばかりして迷惑をかけている疫病神だ。

 もし本当に病気なのだとしたらここで引き下がるべきだけれど、俺はそうでないことを知っている。

 もうすでに迷惑をかけてしまったのならば、それをふいにせずに前に進むことが大事なんじゃないだろうか。


「僕は早くちゃんとした治癒魔法の使い手になって、母上の目を治したいんです。魔法の実践で一度でも気絶するようなことがあれば、もうわがままは言いません。母上も立ち会っていただいていいですから、今回だけは許可もらえませんか?」


 母上は手元をしばらくじっと見てから、顔を上げて俺の目を見つめる。真意を探るように見えるのはきっと俺にやましい部分があるからだろう。

 でも今回は俺だって譲れない。母上の目を治してあげたいというのは本音だし、魔法を自在に操れるようになることが、結果的に自分の身を守ると信じている。実践中に調子に乗って気絶するつもりもない。


「……お医者様も同席の上で、一度だけ」

「危なげがなければ続けさせてくれますか?」

「見てから考えます」


 厳しい顔をして見せる母上だったけれど、お願いに一歩譲ってしまった時点でもう俺の勝ちだ。

 ごめんね母上。これからはもう心配をかけないように気を付けるよ。

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