第9話 可能性の話
「父上?」
ついには立ち上がって部屋の中を行ったり来たりし始めたので、仕方なく声をかける。大きさも相まって餌を探す熊さながらだ。
「ああ、仕事の話……だったな」
我に返ったのか先ほどのうろたえようは鳴りを潜めて、いつもの威厳たっぷりな父上に戻る。今更その怖い顔をされても、前ほど素直に怖がれない俺がいた。
「まぁ、端的に言うと忙しい。王国の重鎮の多くは私の倍以上生きているものばかりだ。悪知恵が働く輩も……いや、止めておこう。しかし今日ようやく一つ大きな問題が解決したからな。これから月の半分は帰ってこられるようになるはずだ。仕事がなくなるわけではないから、部屋にこもりがちなのは変わらないが……」
父上の年齢は聞いたことがないけれど、生まれたころの見た目が、元の俺と同じくらいの年に見えた。つまり今だってせいぜい30前後ぐらいということになる。
週に1度くらいしか家に帰れず、その上家にいる日もずっと仕事をしている。父上の言葉に嘘偽りがないとするならば、王国というのはとてつもないブラック企業だ。
「父上が食事をするのが早いのは、お仕事が忙しいからですか?」
「それ以外に理由はないだろう。本当は食事の間も仕事にあてるべきなのだろうが、わずかな時間でもいいから妻と子の顔ぐらい見たい。そうでなければ仕事などやっていられない」
これ、単純に過剰労働のストレスや劣悪な生活サイクルで酷い肥満になっている気がしてきた。
食事量とか気にする暇もないくらいにメンタルやられてる可能性がある。いわゆるセルフネグレクト。人の心配はできるが、自分のことはどうでも良くなるっていうやつ。
使用人たちはきっと父上のこの暴走気味の仕事状況を止めることはできないだろう。気遣うことくらいはできても、きっと父上はそれを受け入れられない。
母上も同様だ。父上がめちゃくちゃ頑張ってることを知っているからこそ止めることができない。
この状態の父上を放置したらどうなるだろうか。
いずれ夫婦のすれ違いが加速し、精神を病んで本当の悪役のようになってしまう?
それとも病気になって早逝し、家が没落していく?
心が弱ったすきに、相手勢力に陥れられて葬られてしまう?
もし俺の精神が大人でなかったら、怖い顔ばかりしている父上には近づくことはなかっただろう。
そしてその辺の不和から、俺はやっぱり悪役貴族としてのエリート街道をひた走る可能性があったわけだ。
なら今俺にできることは……、子供として父上の心配をして、我がままを言ってやることじゃないだろうか。
もし父上がめちゃくちゃ怖い悪役っぽい性格だったりしたら、俺は逃げ出していたかもしれない。
でもこの部屋に来てから見た父上の顔は、生まれたときに喜んでいた父上と変わりない。いや、表情はよくわからないけど、雰囲気的なものがって話で。
だったらきっと、父上は俺のことも母上のことも大事にしてくれる。俺は息子としてそれを信じてあげなければいけないはずだ。
「……父上は、どうしてそんなに大きくなってしまったんですか?」
「ぐ……。私はもともと、体を動かすのが好きなんだが……、執務が忙しくて机にかじりついてばかりでな……。それでいて頭を使うから甘い物ばかり食べる。食事を早く食べるのも、間食をし続けるのも良くないとわかっているのだが……」
「僕は前の父上の方が好きです……」
試しにキラキラした目で見上げてみると、父上は自分の腹を撫でてため息をつき、はっきりと宣言した。
「……間食を控えることにする」
上目遣い、きいたんじゃないのかこれ。
まぁ、今の俺って相当な美少年だものな。母上によく似た金色の髪なんかまるで物語の王子様だ。元の俺がやれば気持ちが悪いだけのぶりっこも、立派な武器になり得る。
そんなことよりも、実の息子からのお願いって比重がデカそうだけど。
「食事もここで父上の仕事を見ながら食べたいです。それなら父上もゆっくりお食事ができるんでしょう?」
「いや、うーん、しかしそれは行儀が悪い……」
「父上、お願いです。僕、父上がお仕事されてる姿が見てみたいんです。きっと母上だってその方が嬉しいと思います」
「アイリスがか……。アイリスと相談してみなさい。ダメと言われたらダメだ」
「ありがとうございます父上! それから……」
「な、なんだ、まだあるのか」
いくらだってある。
生まれてしばらくからずっと交流を持ってこなかった親子なのだ。意外と俺に甘いとわかったら、そりゃあ引く必要なんかない。
俺は元の世界では家族仲のいい家で育った。
だからこそこの世界に来てから、家族関係の希薄さに不安を覚えていたんだと思う。
「父上と一緒に外で遊びたいです」
「……そうだな、体が元気になったら遊ぼう」
若干の沈黙は、きっと俺の体が丈夫でないことへの憂いだろうか。きっとすぐには叶えられないと考えたのか、簡単に約束をしてくれた。
引っ掛かったね、父上。
俺、今日から魔法の鍛錬は程々にするから、すぐに外で一緒に遊ぶ羽目になるよ。
そうしたら父上のダイエットも兼ねて、今度は体作りでも始めよう。
父上だってもともとは武闘派セラーズ家の嫡男だ。きっと剣術とかもある程度修めているに違いない。
何が起こるかわからないから、早いうちから戦う術を教わって強くなっておいた方がいい。
問題がいくつか解決しそうとはいえ、俺が物語上の悪役貴族である可能性までがなくなったわけではないのだ。
今度こそ俺が寿命まで人生を全うするためには、清く正しく、そして因果律をぶち破るくらいの努力はしなければならない。
でないとまた、不意に妙なことに巻き込まれて命を落としかねない。
「約束ですよ、父上」
「ああ、約束だ」
父上のぷにぷにの小指と、俺の短い小指を絡めて男の約束をしたところで、遠くから声が聞こえてくる。
「ルーサー様! いらっしゃいませんか、ルーサー様!?」
ミーシャが俺を探す声がする。
やばい、なんでこんなに早く探しに来るんだ? 俺、ちゃんと睡眠の確認をかいくぐってから出てきたよな? まさか数十分に一度の頻度で確認しに来てるのか……?
「……ルーサー、許可を取って私待っていたのではないのか?」
「……ごめんなさい」
「早く出て行って安心させてあげなさい。悪いことをしたらちゃんと謝るんだ、いいな」
「はい……、謝ってきます……」
「よし、頑張れ」
父上の柔らかな手のひらに背中を押されて俺は廊下に出る。
「ここですか、ルーサー様!?」
廊下の途中に設けられて掃除用具入れの中に顔を突っ込んで、ミーシャが叫んでいる。いるわけないじゃない、そんなところに。
「ミーシャ、ごめん、父上のところにいた」
声をかけると、ミーシャはグリンと首をひねって俺の姿を確認し、本気の早歩きでこちらへ近寄ってきた。
「お怪我はありませんね! 体調は悪くありませんか!?」
「だ、大丈夫」
ミーシャはぺたぺたと俺の体を上から触って無事を確認すると、へたりとのその場に座り込んだ。光石のランタンに照らされたミーシャの目元は少し赤く、腫れぼったくなっている。
……これ、さっき泣いてたせいじゃないよね。今俺が勝手にいなくなったせいで、また新たに泣いたよね?
「……ミーシャ、ごめん、心配かけたんだ」
「心配しました……。何かするときは、ミーシャに相談してくださいと常々お願いしていますでしょう?」
「夜だから声をかけたら悪いと思ったんだ」
ミーシャは俺の肩に手を置いて顔を近づける。
可愛いのに怖い。
「夜でも、朝でも、私が食事をしている時でも体を拭いている時でも、絶対に遠慮なんかしないでください。いいですか?」
「い、いいです」
「はい。それでは他の皆さんにも無事な姿を見せてあげましょう」
「……他の皆さんって?」
「今屋敷にいる人ほとんど全員です。アイリス様もですね」
「……こっそり部屋に戻ったらダメ?」
「駄目です」
「母上、怒ってないよね?」
「心配されてます。姿を見たら怒るかもしれませんが、それもアイリス様の愛情です」
「……はい」
母上は怒らなかった。
抱きしめられて、それからたくさん泣かれた。
沢山謝ったけれど、結局母上は俺の部屋までついてきて、ベッドに入ってからも横に座ってずーっと俺のことを監視をしている。
しばらく眠ったフリをして、そろそろいなくなったかなと薄く目を開けると、身じろぎもせずに俺の顔を見てる母上がいて、めちゃくちゃ怖かった。
もう二度と皆に黙って屋敷の中をこっそり出歩くようなまねはすまい。
激しく脈打っている自分の心臓に誓いつつ、俺は寝返りをして今度こそ眠りにつくことにしたのだった。
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