第9話想いを届けたくて
『想いは伝えられるうちに伝えよう。決して後悔のないように・・・・・・』
その言葉を反芻する穂高。
――今すぐ会って伝えたい。この想いを届けに行くから待っていてくれ美月。
逸る気持ちを押さえ切れず、穂高は駆けだした。
風にはためく真白なシーツが、眩しいくらい蒼穹に映える、休日の昼下がり。
突如、携帯のコールサウンドが鳴り響いた。
端末に目を落した美月は、その発信者に思わず息を呑む。
穂高だった。
穂高からの連絡は、逃げるように去ったあの日から、二日後に届いたメールが最後だった。
その後、穂高と向き合うことが怖くて既読スルーしてしまった美月。
あの日、穂高の秘密を知ってしまった美月の心境は複雑だった。
急かすように鳴り止まない携帯電話を横目に、そのままやり過ごそうとした。
それを見透かされているかのように、コールサウンドは鳴り響いた。
美月は、携帯を手にするも通話ボタンを押せずに逡巡する。
コールが止むと、今度はメールが入った。
『すぐ傍まで来ている。今直ぐに会って話したい』
美月の心臓の鼓動が速く大きくなっていく。
――今更何を話そうというの?
不信感しか抱けない自分がそこにいた。
続けてメールが届く。
『大学時代によく待ち合わせしたあの場所で、君が来るまで待っている』
一方的なメールに、美月はため息を零した。
大学時代、いつも待ち合わせした思い出のこの場所は。
突然の雨に降られ、手をとり合い駆けたあの頃。
六花舞う寒空の下、繋いだ手をポケットに入れ温めあったあの日。
うららかな春の木漏れ日の中、満開の桜の木の下で微睡む美月の顔を見つめた。
ついこの間のことのように思い出される。
都会の真ん中であるにも関わらず、自然豊かなこの公園は、二人の思い出が詰まった場所だった。
――美月はきっと来る・・・・・・
そう信じて穂高は空を仰ぎ見た。
いつもの場所に一人佇む穂高の後ろ姿を見つけたが、なかなか声をかけられず逡巡している美月のもとに、突如ボールが転がってきた。
「お姉さん!そのボール、こっちに投げて!」
子供にお願いされ、ボールを投げてあげる美月。
その声に穂高が振り返った。
「美月!」
穂高の爽やかな笑顔が眩しすぎる。
美月は、穂高への疑念を払拭できず、思わず後ずさりすると踵を返しその場から逃げるように駆け出した。
「美月、どうして逃げるんだ・・・・・・」
穂高は美月を追走した。
美月は、足の速い穂高に直ぐに追いつかれその肩を掴まれると、後ろから強く抱きしめられた。
「ごめん・・・・・・美月・・・・・・」
美月は、がっしりとした穂高の腕の中に閉じ込められた。
「君に酷いことをした・・・・・・本当にごめん・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・あの日、電話の男に美月を奪われるのではないかと思って嫉妬した。僕は器が小さい男だ」
いつも冷静で取り乱すことのない穂高だが、美月のことになると余裕がなくなってしまう。
美月は穂高が胸の内を明かしてくれたことが嬉しかった。こんなにも思ってくれたことが本当に嬉しかった。
だが、穂高は手紙の女性のことを話さなかった。その後も二人は、自分に内緒で会っているのだろうか。
穂高への疑念は大きく膨れ上がるばかりだった。
「君を誰にも奪われたくない。
好きだ・・・・・・美月・・・・・・」
穂高の顔が美月に近づく。
「ごめんなさい・・・・・・」
美月は、穂高から顔を背けキスを拒んだ。
「美月?」
美月の瞳は、今にも零れ落ちてきそうなくらい涙を潤ませていた。
「私じゃなかった・・・・・・穂高を幸せにしてあげられるのは私じゃなかったんだね・・・・・・」
寂しげな表情で、つくり笑顔を浮かべる美月。
「どうしたって言うんだ、急に」
「・・・・・・あの日、見てしまったの。
穂高宛ての差出人不明の手紙を・・・・・・」
「手紙・・・・・・?」
穂高はその瞬間ハッとする。
「あの手紙を、読んだのか?」
「いつも穂高の傍に居る人でしょ。付き合って欲しいと。穂高を幸せにする自信があると。穂高はその人を選ぶって・・・・・・」
穂高は、額に手をあて俯いた。
「それに、その人と一夜を共にしたんでしょ。
バレなければいいとでも思った?」
「違う。違うんだ!
ああ、誤解を招いてしまった・・・・・・」
「『二人で幸せにならないか』って言ってくれた
穂高のこと信じていたのに・・・・・・」
美月は声を詰まらせた。
「ごめん、美月・・・・・・
君を悲しませるつもりはなかった」
「・・・・・・」
「真実を話す。今から話すこと信じてもらえないかもしれないけれど、聞いてくれるか?否、聞いて欲しい」
穂高の真摯なまでの訴えに、美月は大粒の涙を零しながらコクリと頷いた。
「手紙の女性は職場の先輩だ。彼女は、友人と二人で登山した日、視界不良の中登山道を外れ滑落した。救助にあたった僕は、日が暮れる頃彼女を発見した。そこへ雨が降り出し、視界も悪くなってきたうえ、足を受傷し身動きが取れない彼女と下山は難しかった。そこで下山をあきらめ、山で一夜を過ごした。翌朝彼女を背負い無事下山した。それから、その手紙が届いた。僕には彼女がいることは伝えたが、強気なアタックに僕も正直困惑していた。僕はその女性のことを何とも思っていないし、やましい関係もない。これが真実だ」
「その話、本当?信じてもいいの?」
「信じて欲しい。美月。僕は君しか眼中にないんだ」
穂高が真っすぐ美月を見つめてそう言った。
「それから、僕宛ての手紙は、登山中怪我や遭難などに見舞われ救助した人達からの感謝の手紙だ。だからとっておいたが、君を傷つけてしまったからには全部捨てることにする」
「穂高、何も捨てることはないでしょ。穂高が頑張った証なんだから、お願い捨てたりなんかしないで。手紙は大切にとっておいて」
「美月・・・・・・」
「それに、穂高は昔からモテモテだったじゃない。いつも女の子の取り巻きの中にいたでしょ。私はそんな穂高を見ているのが好きだった。今更だよ」
屈託ない笑顔で微笑む美月。穂高は、そんな美月を抱きしめた。
「登山中、亡くなった方の遺族からの手紙に『想いは伝えられるうちに伝えよう。決して悔いのないように・・・・・・』そう綴られていた。それを読んだとき、一番に君の笑顔が浮かんだんだ。君にこの想いを伝えたい。今すぐ君にこの想いを届けたい。そう思った瞬間、居てもたってもいられなくて、気づけば君のもとに来ていた」
「ふふふ、穂高らしい・・・・・・ありがとう。穂高の心を独占している私は、きっと世界一幸せ者だね」
「美月、二人で初めて登山した日のこと、覚えているか?」
「うん。忘れるわけがないでしょ。穂高こそ覚えている?」
「覚えているよ・・・・・・君は眠る僕にこう言ったんだ『大好きだよ・・・・・・穂高・・・・・・こんな私のことを好きになってくれてありがとう』ってね。だから僕はそれに答えた。眠る君の手を握りキスをした」
「え?穂高!あの時眠っていなかったの?」
「うん、ずっと寝たふりをしていた。君と一つの布団に包まって眠れるわけがないだろ?」
美月は、身体がかっと燃えるような恥ずかしさを覚え、耳まで真っ赤に染め上げた。
「それじゃあ、身体を引き寄せた後も?」
「勿論、ずっと起きていたよ。そうでもしなければ、君に触れることなんてできないだろ。しかもあんな絶好のチャンス。男だったら逃すわけがない」
そのまさかの告白に、羞恥の波にのみ込まれた美月は、両手で顔を覆い隠した。
「う~!恥ずかしい!」
今更であるが、美月は羞恥に身悶えた。
穂高はそんな美月をいつまでも見つめた。
カーテンの隙間から差し込む日差しに眩しさを覚えた美月は、重い瞼を開いた。
起き上がろうとすると身動きが取れない。
ふと見ると、たくましい男性の腕に抱きかかえられた美月は一糸纏わぬ姿だった。
ハッとして慌てふためく美月。
隣には、少年のようにあどけない表情の穂高が眠っていた。
昨夜の出来事を思い起こしただけで、頬に熱が籠っていった。
眠る穂高を起こさないように、頬にそっと触れようとしたその時。
キラリと光り輝くものに目がとまった。
美月の左薬指には、光り輝く指輪がいつの間にかはめられていた。
『・・・・・・美月・・・・・・大学を卒業したら、僕と結婚してくれないか』
星に願ったあの夜、穂高からのまさかのプロポーズだった。
漆黒の瞳に、銀色に輝く滴がゆるやかに溢れていく。
「おはよう、美月」
穂高の爽やかな笑顔が眩しい。
「穂高・・・・・・これって・・・・・・」
穂高は柔らかな眼差しで微笑んだ。
「約束しただろ。遅くなってごめん。僕のフィアンセの証だよ」
瞳を輝かせる美月は、両手で思い切りカーテンを開いた。
輝く太陽の眩しさに、思わず手をかざしその目を眇めた。
そこには、目が覚めるほどの蒼穹が果てしなく広がっていた。
蒼穹にキラリとまばゆい七色の煌めきを放つ、左薬指のリング。
穂高は美月の左手をとると、太陽にも似たあたたかな眼差しで見つめて言った。
「僕たち、幸せになろう」
美月の瞳から、陽光に煌めく大粒の涙が零れ落ちる。
胸いっぱい溢れる感情に、言葉にならない美月。
瞳を閉じて大きく頷くことが精一杯だった。
穂高は両手で美月の頬を包み込むと、射抜くような眼差しで見つめた。
胸の高鳴りを抑えることができない二人。
「永遠の愛を君に誓う・・・・・・」
穂高は、美月の唇に甘い口づけを落とした。
その時、果てしなく広がる蒼穹の彼方でキラリと煌めきを放った――――
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