思い出と友達②

 声が聞こえる。ただ、なのかなのかが分からない。だんだん声が近づいくる。良いとは言えない気分で満たされているせいで、返事をしたくない。肩をゆすられたおかげか意識が一気に大きくなった。もう少しに居たかったのかもしれない。


「お兄ちゃん、大丈夫?」


 自分を実感する不思議な感じがした。自分の体を、本当に自分が動かしている。重い瞼を持ち上げた。


「……、今何時……」

「6時45分」

「……、そっか……」


 左手の肘を支えに上半身を起こし、右手のひらをついて起き上がった。何となく右手で額をおさえる。


「ねぇ、大丈夫なの? 具合悪い?」


 カッターシャツの袖をまくったまま心配そうにしているのは、中学一年生になった妹だった。


「大丈夫……。起こしてくれてありがと」

「それはいいんだけど……」


 笑顔をつくって不安を和らげたかった。


「長い夢を見てたみたいで。ぐっすり寝ちゃってた」

「そっか」


 柔らかい微笑みには、まだ先ほどの表情が残っていた。


「おはよ。珍しいね寝坊なんて」


 美零に言われて肩を落とした。


「15分なんて寝坊じゃないよ。お兄ちゃんがすごすぎるだけ」


 少し後にリビングに戻ってきた二優花が言った。


「先にご飯たべようか」

「うん。そうする」


 顔だけ洗って先に朝食を食べた。二優花が焼いてくれたトーストを一口かじると、サクッといい音が鳴った。


「それなんだけどさ」


 波夏が公民館で聞いた都市伝説の話を4人にした。やはり、咲いているとしたらあの立ち入り禁止になっていた場所ではないかという会話を、駿がさえぎった。


「俺と橋姫も見つけたんだ。その都市伝説」


 惺玖がこくっと頷いた。


「実は陸上部の先輩が1年の時にその花を見つけようとして行ったんだって。立ち入り禁止のとこ」


 これと言って駿は携帯の画面を差し出した。


「わぁ〜、綺麗……」


 そこには、地面いっぱいに黄色の花が咲き誇った写真があった。その風景に波夏が感嘆の声を漏らした。


「……あった、でいいの?」

「違うと思う。この写真が撮られたのは細道を抜けてすぐの場所なんだ」


 尋ねた竜翔に冷静に答えた。


「ん? つまり?」


 竜翔はさらに尋ねる。


「誰も見たことがないって都市伝説になるんなら、こんなに分かりやすく、しかもたくさん咲いてるじゃないってことだろ」


 横から八宵が言った。


「たしかに……。都市伝説とは関係なかったってことか」

「じゃあ、なんで立ち入り禁止にしてるだろう。見た感じ危なそうでもないし、こんなに綺麗な花が咲いてるのに……」


 誰も見たことがない花という大袈裟な話に立ち入り禁止の場所。この2つの繋がりが6人の中では切れた。


「さあ……。何か大人の事情だろ」


 結局、都市伝説は紹介しないことになった。


「淳月君。今日一緒に帰らない?」


 突然そう言われた時は驚いた。


 緊張しているのか、いつも何処を見ながら歩いているのかが分からなくなる。ただ、入れ替わりで視界に入ってくる右足と左足を見ていると心がそわそわしなくなった。そんな時の惺玖の一言でこの状況が腑に落ちた。


「相談があるんだ」


 顔を上げて反応した。なぜだか声は出なかった。


「聞いてくれる?」

「……ああ、うん。どうしたの?」


 誠一の返事にほっとしたような表情が見えた。


「あの……、えっと。……ああ、ごめん」


 惺玖は苦しそうに笑っている。


「言いづらいなら、無理しなくても」

「ううん。せっかく時間とってもらったから」


 誘われた理由はやはりこのことだった。先ほど納得したはずなのに、少し落ち込んでしまった。しばらくしても惺玖が話さないまま、どんどん学校から遠ざかっていく。


「あの、橋姫さん。何か飲み物でも買わない? 僕、喉乾いた」


 そこから1番近くにあった自動販売機の前に2人は並んで立った。


「こういう時ってさ変に考えすぎない?」

「どういうこと?」


 唐突に言った惺玖に聞き返した。


「誰かと一緒に何かを選ぶ時、何を選ぶのか審査されてる気がしない?」

「あー……」


 確かにと思い笑みがこぼれた。


「てことで、淳月君どうぞ」


 惺玖は一歩後ろに下がった。


「え?」

「先、選んでいいよ」


 向けられた満面の笑みからはそこに隠された悪意のようなものを感じた。


「わざわざその話してから選ばせるって……」

「嫌だった……?」


 反論が言葉にならない。


 4列に分けて並べられた飲み物さそれぞれ分野、温度、量、などの個性を持っていた。それを参考にして今に最適な飲み物を買おうと思った。


 決まりかけたところで急に不安になる。本当にこれで正しいのか、本当にこれが最適なのか。そう考えると別の物が最適に見えてきた。そのボタンに指を伸ばそうとすると、また不安になった。


 そんな情けない悪循環にはまっていることに気が付いた時、肩の力が抜けた。


 ピピッという機械音が鳴り、ペットボトルが落ちる鈍い音が鳴った。小さいサイズだったのでそこまで大きな音ではなかった。それから、小銭が機械の中に落ちた。


「おお~……」


 目を細めた惺玖を知らんふりして一歩だけ横によけた。惺玖は迷わず飲み物を買った。


「あ」

「私も同じので」


 人通りを邪魔しない場所によけてペットボトルのキャップを開けた。そよ風にのって暖かいミルクティーの香りが広がった。


「でも、それいいかもね」

「なにが?」

「同じの選ぶやつ」

「ちょっと、戦略みたいに言わないでよ。同じのがよかったの」


 まだ熱かったのか、少しだけ飲んでペットボトルを口から離した。


「淳月君、すごく悩んでたね」

「あの状況なら誰だって悩むよ」

「ずばり、決め手は何だったのでしょう」


 キャップを閉めた自分のペットボトルをマイク代わりに誠一を指した。


「決め手……?」

「はい」


 惺玖の表情は変わらない。


「勢い……です」


 惺玖の顔をちらちら見ながら自分のを一口飲んだ。


「あつっ……」

「勢いか」

「そ、そう」


 舌先が少しだけひりひりしていた。


「私も自販機で悩んだら、勢いで決めちゃおうかな」

「いいと思う。あ、今自分悩みすぎてるなって思えた時は大胆に、大雑把にボタン押しちゃうのがいいのかも……なんて」


 ふと顔を上げた惺玖と目が合って、口の痛みを一瞬忘れた。


「あの、淳月君――」


 その一歩を遮るように、2人の携帯が同時に通知音を鳴らした。惺玖はタイミングを失って、話はうやむやになったまま別れた。


「ええ、いいじゃない。高校生って感じ」


 今回の打ち上げをすることになったことを聞いて美零はやわらかい表情を見せた。


「どんな人たちなの? その仲良しグループこ皆は」

「どんな……、そうだな……」


 箸を持ったまま目だけで天井を見て考えてみた。


「あそうそう。二優花に似てる人がいる」

「え、ぱっちり二重のショートヘア美少女?」

「二重で短いけど……。見た目っていうよりは人柄がね」

「え〜、どゆことどゆこと」


 美零がおもしろそうに身を乗り出した。


「ほんと、言葉の通り」


 体勢はそのままで二優花を見た。


「うわあ~、その子のお母さんと仲良くなりたい。絶対共感の嵐」

「なんかディスられてる気がする……」


 美零からの視線を疑いながら水が入ったコップを口元に運んだ。


「明るくて可愛い娘を持った者同士ってことよ」


 目を細めたままこちらを見た二優花に、誠一は微笑みかけた。


「え……、お兄ちゃん私のことそんな風に……」

「ちょっ、こぼれてるこぼれてる!」


 呆れながらも近くにあったタオルを二優花に渡し、美零は話を続けた。


「他の子は?」

「男の子でもう一人、すごくフレンドリーな人がいる。初めて会った時からその感じに驚いたけど、失礼でも無神経でもなくて。すごいなって思った」


 美零は何も言わず、優しい表情で話を聞いていた。零太も、耳はこちらに向いているようだった。


「それと、落ち着いた女の子が一人。冷静というか、慌てるところが想像できない感じ。でも無関心じゃなくて、周りのことも友達のこともちゃんと見てる、人としての温かみをすごく感じる人なんだ」

「……へえ」


 急に照れくさくなって、思い出したかのように箸を動かした。それは次第に遅くなり、また止まった。


「あとの1人は、高校生活で初めて友達になった人。初めて……友達になった人」

「何で2回言ったの」


 美零は笑っている。


「大事なことだから。あ、二優花床も少し濡れてる」

「あ~あ~……」


 なんてこったと言わん表情でテーブルの下にかがみこんだ。


 思い返せば、こうして尋ねることは初めてかもしれない。そう思うと、心なしか緊張した。


「おお、どうした」


 さすがの零太も珍しそうにしている。


「いやまあ、雑談というか……」


 ごまかし笑いでとりあえず部屋の中に入った。


「お父さんに、お礼を言いに来た」

「お礼」

「うん」


 余計な飾り付けのない殺風景な部屋は居心地が良かった。


 いきなりありがとうはむず痒くて、回りくどく話し始めた。


「僕は自分が信じてるものとか願ってることが全部叶うなんて図々しいことは思ってないけど、信じていないと。……願っていないと、その喜びに気が付けないんじゃないかって思うんだ」


 自分の背が昔より大きくなっていること、時間の経過を感じた。


「あの時僕は、見るのをやめた。ずっと下を向いたままでいたと思う。でも、お父さんが信じさせてくれた。願わずにはいられなかった。おかげで、今の幸せを幸せだって思える。恵まれてるんだなって大切にできる。ありがとう。お父さん」


 目の先にある零太の視線は一時どこかへ行って戻ってきた。


「みんなのこと思い出してたら、やっぱり伝えなきゃなって」

「話が早すぎて何のことだか分からないが、こちらこそありがとう」


 いつもの照れか、本当に覚えていないのかは気にならなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る