葵山④
星鏡町の公民館では町内の集まりやイベントが行われ、星鏡町に関する資料なども多く保管されている。開いている時には自由に出入りができるため、若者で言うところのカフェのような感覚で足を運ぶ人も少なくない。
地域と人。大切にすべきその繋がりを結ぶ場所として、多くの人に愛されている。
誠一も和美の手伝いで何度か来たことがある。誠一が知っているのは、多くの人が家族や友人とイベントを楽しむ賑やかな一面だけだった。
入り混じる笑い声も、子どもたちが駆け回る足音も、その後ろでぼんやり流れる音楽も聞こえない。どうしてもそれが新鮮で、ここも単なる建物であったことを思い出した。
「お待たせ~!」
声が聞こえてはっとした。
「ごめん、待った?」
誠一は先日の役割決めで公民館に行くことになっていた。今日はその当日である。
「大丈夫だよ」
「よかった。服選ぶのに時間かかっちゃって……」
前髪を乱したまま申し訳なさそうに波夏は謝った。
「ゆっくりでよかったのに」
「いえ! そういうわけにはいきませんから」
入口のドアを開けて中に入った。すぐ横にあった受付のようなところに年配の女性が座っていた。
「こんにちは!」
「こんにちは」
「はい、こんにちは」
その女性はにこやかに挨拶を返した。
「あの、葵山のことを調べに来たんですけど」
「ああ、はいはい」
誠一の話を聞いて女性は立ち上がった。そのまま奥に歩いて行き姿が見えなくなったが、今度は横から声がして
「案内しますね」
思ったよりも少し背が高かったその女性に自習室のような小部屋に案内された。
「2人は星鏡の子かな?」
「はい」
机に資料を並べながら尋ねた女性に、誠一が答えた。
「嬉しいね~。毎年こうして来てくれて」
並べ終えると2人の向かい側に腰をかけた。
「毎年、来られてたんですか」
「そうそう。あなたたちの先輩にあたる人たちがね。中学生の時に話を聞いてても、高校生になる頃にはすっかり忘れちゃってるから」
2人は分が悪そうに頭を下げた。
「ああ違う違う。そういう意味じゃなくてね」
その反応に女性は笑って首を振った。
「忘れていいの。また来て欲しいからね。若い子たちのたくさんあるその好きの中にこの町の何かがほんの小さくでもあるんじゃないか、なんて、図々しい妄想ができるから」
さっきまでの笑顔とは何かが違う気がした。
「素敵なところです。本当に」
その表情を見て、誠一は言った。
「空気は澄んでて、人はあったかくて、町並みは綺麗で。葵山に行った時はもう言葉を失いました」
星鏡学園に通い始めてからの星鏡町での生活。葵山で見た花、木々、そして山頂からの景色。
「好きにならずにはいられません。きっとみんな、当たり前のことで口には出ないんだと思います。クラスのみんなや、歴代の先輩方もみなさん、この行事に真剣に取り組んでいます。それが、星鏡町が愛されている何よりの証拠です」
女性は驚いているようだった。
「この町のすべてがそれはもう大きく、体に、心に刻まれているはずです。恵まれています。とても贅沢です」
誠一の力強い言葉に丸めた指を鼻の下にあてふふふっと笑った。
「そう~」
女性は立ち上がり「頑張ってね」と言って部屋を出た。
「嬉しそうだったね」
2人は顔を見合わせて笑い合った。
用意してもらった資料から黙々と情報を集める中、波夏は突然に口を開いた。
「誠一君ってひめちゃんに似てるよね」
勢いよく顔をあげた。
「そんなに驚く?」
誠一の反応を見て笑ってしまった。
「ど、どこが?」
「ん〜、雰囲気? というか、人柄みたいな」
「そっか……?」
「さっき話してるの見てて何となく似てるなーって」
特に深い意味はなく、ただ思ったことを口にしただけのようだった。
「常坂さんは、僕の妹に似てる」
ひと息おいて誠一は言った。
「誠一君、妹ちゃんいるの?」
「うん。中学一年生の妹と2人兄妹」
「わぁ〜。絶対かわいい〜」
手と手を握り合わせ目をキラキラさせている。
「名前はなんていうの?」
そのままの温度感で尋ねた。
「二つに優しい花で、二優花」
「名前もかわいい……」
今度はでこに手を当て、その可愛さをやれやれと噛み締めている。
「そんなかわい子ちゃんが、私に似てるの? 光栄すぎるんだけど」
「うん、似てる。やっぱり似てる」
この一連でよりそう思った。
「なんていうか、その人がいれば空気が明るくなるような、楽しく賑やかになるようなところがそっくり」
「そんな風に思われてたんだ」
波夏は照れくさそうにしている。
「2人ともすごいよね。僕はそんな風にはなれないから」
儚げな笑みを見て、波夏は話し始めた。
「誠一君」
「なに?」
「私、中学生になるまで友達いなかったんだよね」
「え?」
二優花は幼い頃から近所でも人気者だった。いつも元気で明るく友達も多かった。二優花から聞く学校での話は楽しいものばかりだった。
話すようになってから人柄を知り、てっきり、波夏もそうだろうと勝手に思っていた。
「昔から変わらずこんな感じなんだけど、それが逆に良くなかったみたいで」
誠一は理由を聞いた。
「理由か~……。まあ、運が悪かったの。私の性格を見て目立ちたがり屋だ、とか、男の子の気を引きたいだけだ、とか思う人がいて」
考えつかなかった。明るい人、楽しい人をそんな視点で捉えるということを。
「もちろん、そんなこと言わずに話してくれる人はいたけど」
「……その人たちは友達じゃなかったの?」
「どうだろ。私はそうは思わなかったかな。すごい上からだけど」
こんな話をしていても、にこっとする笑顔はやはり明るい。
「誰かの一番になれなかったんだ。なりたかったけど、なれなかった。どうしようもないのにそれに気付かないふりをして。どれだけ意味のないことしてたのか今ならよく分かる」
この明るさが、寂しさを紛らわせるための空元気に変わってしまったら。そう思うと胸がきゅっと詰まるようだった。
「でも中学生になって、ひめちゃんとゆっきーと出会って思ったんだよね」
部屋に入った時、女性が窓を開けてくれていた。カーテンがふわっと浮き上がり、肩には届いていない波夏の髪がなびいた。華やかな香りがした。
「私は、すべての人に好かれる程できた人間じゃないけど、すべての人に嫌われる程、できた人間でもないんだなって」
常坂波夏という太陽の核心に、触れようとしている気がした。
「明るくても、大人しくても。気遣い上手でも、マイペースでも。私や二優花ちゃんでも、誠一君でも――」
目が合い息を呑んだ。二重まぶたの薄いピンクが優しく微笑んでいる。
「必ず誰かに嫌われて、誰かに好かれるんだよ。だから、どっちの人に出会えるのかっていう運だけ」
浮き上がっていたカーテンがゆっくりと降りた。
「だったらさ、自分が居たいようにいるのが一番でしょ? 取り繕ってまで嫌われるなんてばかばかしい。どうせなら自分らしく嫌われたい」
話しているうちに熱くなり、つい誠一のことを忘れかけてしまった。
「ああ、えっと、まとめるとねっ……」
誠一の方にぴしっと向き直した。
「私は、私たちは。今の誠一君が好きなんだよ。頼りないかもしれないけど信じて欲しい。今の淳月誠一君を好きになった、私たちからの思いを」
目頭に力を入れて唾を飲む。少しだけ上を向いて鼻から息を吸い込んで、吐いた。
「大丈夫。疑ってないよ。ただ、常坂さんや二優花みたいな人が純粋にすごいなって思って」
声が震えていないか心配だった。
「今の自分をちゃんと好きだよ」
「……そっか。ちょっとお節介だったね」
波夏の笑顔に照らされ、自分の笑顔も太陽になった気分だった。
公民館を出る時、また先ほどの女性に会った。
「お疲れ様」
「はい。今日はありがとうございました」
誠一に合わせて波夏も頭を下げた。
「いいえ。こちらこそありがとうね」
女性は何か言いたげだった。
「……どうか、されました?」
波夏が慎重に尋ねた。
「ん。まあ、そうね。せっかくだからね」
女性は半歩ほど2人に歩み寄り、小さめの声で教えてくれた。
「実はね。葵山には一年中咲いてる花があるらしいのよ」
「一年中、ですか」
つられた誠一も小さめの声で相槌を打った。
「そう。ほかの花たちは季節で咲かわるでしょ? でもその花は暑い夏も、寒い冬も、ずっと咲いているのだそうよ」
にわかには信じられなかった。そんな2人の表情を察して女性は言った。
「誰も見たことはない都市伝説みたいなものだから。星鏡の子に話すのも初めてよ。なんだか言いたくなっちゃってね。ばあさんのホラ話として頭の片隅にでも置いてて」
歩いて行く女性の背中に、2人はもう一度頭を下げた。
外はまだ夕方前だったため空も何となく青みがかっていた。
「ねね、誠一君」
「ん?」
「葵山に行った時さ、私たちが登った道には立ち入り禁止みたいなところがあったんだ」
タイヤがアスファルトを滑る音を横にして、2人は歩道を歩いていた。
「もしかしたら、そこに咲いてるんじゃないかな」
「咲いてる……。ああ、さっきの」
「そう。都市伝説のやつ」
山頂で合流した6人は話し合いの結果、誠一と惺玖が来た道を全員で下りることになった。惺玖が話した恋みくじのことが決め手となった。
「立ち入り禁止の所、覗いてみたんだけどすぐ曲がっていく細道でさ。全然先が見えなかったんだよね〜。ロープとかで割と厳重に封鎖されてた」
確かに、あるとしたらそこなのかもしれないと誠一は思った。
「じゃあ、危険な花なのかもね」
「危険な花?」
「うん。山でもさ、危険なキノコがある場所は立ち入り禁止になるから。もしそこに例の花が咲いてるのなら、危険だからこそ立ち入り禁止にしたんだと思う」
「毒……とか……」
青ざめた顔で波夏が言う。
「毒はさすがに……」
「え~、誠一君が言ったんじゃん!」
むくれた表情で誠一に詰めた。
「ごめん……。だって、星鏡の人たちを疑うわけじゃないけど、今のいままで立ち入り禁止のところに誰一人として入ったことがないとは考えにくいから」
確かに、と頷く。
「毒があったら誰かしら被害にあってるだろうけど、今日見た資料にはそんなこと書いてなかったし、都市伝説のままにされてるはずもない」
足を止めた波夏の方を振り返ると、あごに手を当てて何か考えごとをしているようなポーズをとっていた。
「誠一君、名探偵だね」
聞こえてきたダンディーな声に吹き出しそうになり、急いで前を向き直した。
「ああ、ちょっと!」
慌てて誠一を追いかけ足並みをそろえた。
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