葵山③

 木蔭と風鈴は、似ていると思う。


 風鈴は風に押された短冊に内側の硝子が引っ張られて、外側の硝子にぶつかることで音がでる。薄く透き通っていながらも力強い音で、風を感じる。


 木蔭にいると、木の葉が互いにこすれ合う音に包まれる。その音を伝って体全体がなでられながら風を感じる。


 肌ではなく耳と心で風を感じる。やはり、似ていると思う。


 快晴の木蔭でぼんやりとそんなことを考えながら、ふと見上げた。太陽が隙間から顔を出し、風に揺られた木の葉がそれを隠し綺麗な黄緑色に透かされている。


 風が吹き、また顔を出しては隠し透かされ、を繰り返している。


「めっちゃいい天気――」


 上を向いているせいか喉が引っ張られたような声で駿が呟いた。


「晴れてよかったね〜」


 波夏は両手を広げて伸びやかに答える。


「今くらいの季節がずっと続けばいいのにな」


 誰に向けてもいない言葉を八宵が吐き捨てた。


「ゆっきー、夏が苦手なの」


 波夏が耳打ちした。


「あー、確かに『雪』だもんね」

「あ、竜翔君イジった」

「えっ」


 思わず高い声が出る。


「ゆっき~。竜翔君が――」

「あー! はははー、俺も今くらいの季節が好きだな~……」


 波夏の前に割って入り、全力でごまかした。


 ――


 誠一は携帯を開いて時間を見た。集合時間の5分前だった。


「淳月君」


 顔をあげるとこちらに歩きながら手を振る惺玖の姿があった。


「橋姫さん。おはよう」

「おはよ。一人?」

「うん」


 惺玖も携帯で時間を見た。


「もう時間だよね」


 誠一はグループチャットに連絡を入れた。


 ちょうど携帯を見ていた波夏が一番に気が付いた。


「あれ」


 不可解なものでも見ているような表情で画面を見ている。


「誠一君とひめちゃん着いてるってよ」

「うそ」


 携帯を確認した竜翔はその言葉と同じ内容のメッセージを見ると、誠一に電話をかけた。


「あ、誠一? 今どこいる?」

『葵山』

「の、どこ」

『えっと、入口? みたいなとこ』


 葵山には山頂に続く整備された道があり、道中に様々な花が咲いている。そのスタート地点には看板と地図がある。地図にはどこにどのような花が咲いているのかが書かれている。


「え、俺たちもなんだけど」


 困惑していると、


「あ、たぶん反対の方にいるんじゃない」


 地図を見ながら駿が言った。


「反対?」

「ほら」


 人差し指で地図をぽんぽんと叩いた。


「ほんとだ。2つあるんだ」


 その会話が聞こえていた誠一も地図を確認した。誠一が地図に近づくのを見て、惺玖も傍に寄った。


「誠一」

『うん。僕たちも今地図見て確認した。どうする? そっちに合流してもいいけど』

「そうだな~……」


 その提案を聞いて、惺玖は誠一から携帯をとり自分の耳にあてた。


「水崎君。惺玖だけど」

『あ、おはよ』

「おはよ。あのさ、私たちはこっちの道から登るから、水崎君たちはそっちから登るんじゃだめかな。今から合流すると少し時間かかるし、うえで合流すればいいんじゃない?」


 地図に描かれた道を指でなぞりながら話した。


 竜翔の返事を聞き、電話を切った惺玖は誠一に携帯を返した。


「そうしようって。ごめんね、勝手に携帯とっちゃって」

「ああ、いや、全然……」


 いつの間にか話が進んでいた。


 2人で歩き始めてからしばらくは沈黙が続いた。耐えかねた誠一は携帯を見るが、まだ5分も経っていなかった。葵山の山頂まで15分はかかる。それが、果てしなく長いような気がした。


「ん? どうかした?」


 無自覚に足取りが重くなり表情が暗くなっていたようで、少し前を歩いていた惺玖が振り向いて声をかけてきた。慌てて気を晴らした。


「ううん……! なんでもない……」


 惺玖が前に向き直ったその時、ひとつ結びにしている髪が揺れるのが見えた。学校でもいつもこの髪型だった。


「橋姫さん」


 勘違いだろうと決めつける前に声が出た。


「ん?」


 惺玖は振り向かずそのまま返事をした。


「間違ってたらごめんなんだけど」


 念のため保険をかける。


「髪型、かえた?」


 足が止まった惺玖の横に追いついた。ふわっと目が合った。


「え、分かる……?」

「いやごめん、何となく、そんな気がして。いつもとどこか違うような……」


 決め打ちで用意していた言い訳が途中まで出て、ようやく惺玖の返事が頭に入ってきた。


「……今、分かる? って言った?」

「言った」

「あ、そっか……」

「なに、適当に言ったの?」

「いやいやいや! 断じてそんなことは……」

「そう」


 安心したのも束の間だった。


「じゃあ、どこが違う?」

「え?」

「違うには違うんだけど、そんなには違わないんだ」

「はあ」

「適当じゃないってことは、そこに気づいてくれんたんだよね」


 まずいと思った。何となく過ぎたほど曖昧な感覚を明確にしなければならなかったからだ。できなければ、適当に言ったのだと思われてしまう。それも嫌だった。


 誠一は必死に思い出した。そう感じた瞬間のことを。


「髪の……! その、あれが……」

「うん」

「その……、えっと……」

「うん」


 恐ろしいほど変わらないその表情が、そのまま重圧として誠一にのしかかった。


「さっき、振り向いた時……! 髪が、揺れてて……」

「うん」


 どんどん口調がたどたどしくなる。


「いつも揺れてるんだけど……」


 いつもより揺れているような気がした、というのが続きだった。ただ、どこがどう変わればそうなるのかが分からなかった。聞かれているのはそこだった。惺玖言ったように、ひとつ結びなのは変わっていない。


「だけど、なに?」

「だけどー……」


 表情でごまかして時間を稼いでいると、惺玖の後ろにある木々が目に入った。風に吹かれて揺れている。その大きさは同じではなかった。枝のしなりが大きい木の方ががよく揺れていた。


「いつもより揺れてた」


 それを見ながら呟いた。


「……だから、どこが変わった?」


 目線を惺玖に戻して答えた


「結び目が、いつもより少し高い」


 それを聞いた惺玖は、ようやくその表情を変えた。


「よく分かったね」


 その嬉しそうな笑顔に可愛いと言いそうになった。


 惺玖はその表情のまま、結び目を揺らして見せるように続けた。


「この方がぴょんぴょんして可愛いの。意外にも初めてするんだ。この髪型」

「へえ~……」


 動揺して上手く返事ができなかったせいか、肩をグーで押された。


「ばか」


 また、可愛いと言いそうになった。


 地図に描いていたように、道中には様々な花が咲いていた。


「橋姫さん、写真とか大丈夫?」

「私、撮ってもすぐ消しちゃうと思うから」

「分かる」

「ここならくればいいし」


 鮮やかに咲く花たちについ気を取られ、すでに15分以上経過していた。


「あれなんだろ」


 歩いている道の少し先に、惺玖が小さめの郵便ポストのような箱があるのを見つけた。近づくと、遠目で見るよりも年季が入っていた。桃色の塗装が剝がれている部分はさび付いている。


「恋みくじ」


 正面に朱色の達筆な字で書かれていた。ガチャガチャと同じ仕組みらしく、レバーのところに「10えん」と書かれた札が張られている。


「おもしろそう」


 興味を持つ惺玖とは反対に、誠一はその見た目と値段からさすがにと思っていた。


 惺玖は10円を入れてレバーを回した。ちょうど一周回すと、下の受け皿のようなところに小さく折りたたまれた白い紙が落ちてきた。それを取ると、一歩引いて誠一を前に促した。


「はい、どうぞ」


 渋い顔で誠一は10円を入れレバーを回した。


「なんて書いてる?」


 紙を取るなり惺玖が尋ねた。軽くされていたのりをゆっくりと剝がし紙を開いた。


「己の好みをうちあけると良し。どういうこと?」


 神社のおみくじのように漢字で運勢は書かれておらず、箱の正面とは打って変わって黒色で印刷された文字だけが書いてあった。


「己の好み……。好きなタイプってことじゃない。恋みくじなわけだし」

「好きなタイプ」


 変換されてもピンとこない。


「淳月君が恋愛的な意味でどんな人を好きになるのか。その特徴ってこと」


 つまり、目の前にいる女の子の特徴のことだった。


「はい、どうぞ」


 聞き覚えのあるセリフで促された。


「はい?」

「好きなタイプ」

「答えろってこと?」

「そう書いてあるじゃん」

「いや、別にここで言えとは……」

「鉄は熱いうちに打てって言うでしょ」


 使い方があっているのか一瞬考えた。


「それに、うちあけるってことは誰かに聞かせるってことでしょ」


 正論だった。体温がどんどん上がるのを感じた。手のひらと服の下にもじんわり汗をかいているのが分かる。恥ずかしいというより緊張していた。ほぼ告白同然のことだった。


「……ええっと、上手く言えないんだけど、一緒にいて楽しい人。ここみたいに特別なイベントとかアトラクションがなくても、そういう場所でも楽しい人。なんていうか、時間を一緒に楽しめる人、がいい、かな」


 話している間どこを見ていたのか覚えていない。悟られていないかおそるおそる惺玖を見た。


「そういう人、身近にいる?」


 真っすぐな瞳から逆に目が逸らせないでいた。


「どう……かな……」


 身体がこれだけ分かりやすい反応をしても、言葉は最後まで頑張った。


「ごめん。誘導尋問みたいだったね」


 綺麗な丸だった目が細くなった。


「そ、そういえば、橋姫さんは? なんて書いてたの」


 そういわれた惺玖は思い出したように手に持ったままだったおみくじを開いた。心の中でそれを読んでから言った。


「後出しじゃんけんならぬ、後出しおみくじみたい。あ、でも逆にすごいのか。え? 私がすごいのかな。ねーどっちだと思う?」


 誠一のぽかんとした表情に思いっきり吹き出した。


「ごめんごめん。忘れて。さ、みんなが待つと悪いから行こっか」

「え、なんて書いてたのってば」

「れっつごー」


 誠一の言葉には聞く耳を持たず、惺玖は歩き始めた。慌てて歩き始めた誠一が追い付いてくる前に「髪型を変えると良し」と書かれたおみくじをぽけっとに入れた。

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