第1章 声。今君に

第1話 2年越しの質問

「次は〜星鏡ほしかがみ〜、星鏡ーで〜す」


 車掌が次の駅を知らせるアナウンスをしていた。淳月誠一あきづきせいいちはこの駅で降りるが、ぐっすり寝ているためそれに気が付いていない。昨日の疲れが抜けていなかったのだ。


「はい、ドア〜開きま〜す。ご注意くださ〜い」


 電車が星鏡駅に到着しぞくぞくと人が降りていく。誠一はまだ起きる様子がない。その時だった。


「……君、淳月君!」


 誠一がゆっくり目を開けると、同じ制服を着た女の子が立っていた。


「……ん?」

「……え。あ、つ、着いたよ星鏡駅」

「あ……」


 誠一は状況を理解した。


「ありがとうございます……」

「う、ううん」


 少しぎこちなさそうに返事をして、その女の子は先に電車を降りていった。


「はい、ドア〜閉まりま〜す」

「降ります降ります!」


 誠一は慌てて電車を飛びだした。


 ここは星鏡町ほしかがみちょう、和の雰囲気が溢れる町だ。誠一はこの町のシンボルとも呼べる、中高一貫の星鏡学園せいきょうがくえんに通っている。


「あぶなかった〜……。優しい人が居て助かったよほんと」


 電車で通学する星鏡学園の生徒は皆、星鏡駅で降りる。ゆえに、あの女の子は自分を起こしてくれたのだと誠一は思っていた。


「にしても、あの子僕の名前を呼んでたような……。どこかで会ったことあるっけ……?」


 そう思い返してみた。しかし、には彼女との記憶はなかった。


「同じクラスの人? それでたまたま名前を知ってて……。そうだ、そうに違いない。まだ1週間しか経ってないからクラスの人全然覚えてないもんな……。探してちゃんとお礼を言おう」


 ぶつぶつと一人言を言いながら、誠一は学校への道のりを歩いていった。


 そうしていつもより少し遅めに教室に着き、扉を開けた。席は扉のすぐ前、1番後ろの席だ。


「えっ?」


 誠一は驚きのあまり声が出た。自分の隣の席に、先ほどの女の子が座っていたのだ。教室の札を見上げるが、自分のクラスで間違いない。


(同じクラスどころか隣の席だった……)


 誠一はゆっくりと席に着き、また思い返してみた。しかし、隣の席の人がどんな人だったのか全く思い出せない。


(1週間、気にもとめなかった……?顔の見覚えもないほど……?)


 誠一は自分が怖かった。そして、罪悪感に満ち溢れていた。


「誠一おはよう……って、大丈夫?」


 挨拶をしに来た幼なじみの水崎竜翔みずさきたつとは、誠一の表情を見て心配になった。


「おはよう……竜翔……」

「え、どうしたのまじで」

「別になんでも……」

「そう……。てか、今日遅かったじゃん」

「いつもより遅めの電車に乗ったからさ」

「あ〜、寝不足?」

「ま、まあちょっとね」

「それでか。でも、寝不足で顔って青ざめるもんなの?」

「寝不足にもいろいろあるから」

「ないだろ」


 そんな会話をしていると、担任が教室に入ってきた。


「皆さんおはようございます。朝礼始めますよ」


 その声かけを聞いて、竜翔も席に戻った。


 朝礼では出席確認をした後に配布物を配り、その日の連絡事項が伝えられる。いつもはそれで終わるのだが、担任は1枚の紙を配り話を始めた。


「皆さん、高校生活が始まり1週間が経過しました。クラスの全員とまではいかずとも、隣の席の人なら顔と名前は覚えてきた頃だと思います」


 誠一は嫌味を言われている気分だった。


「そこであることをしたいと思います」


 担任がそこまで話したタイミングで、誠一の手元にも紙が周ってきた。


『隣の席の人はどんな人?』


 1番上に太字でそう書かれたA4の紙で、その下には何も書かれていない。


「その紙に隣の席の人がどんな人なのかを書いてください。好きな食べ物、趣味、部活、何を書くかは皆さんの自由です。それを、来週お互いに発表し合ってもらいます」


 誠一はクラスの皆がどこかそわそわしているのが見えた。


「緊張するかとは思いますが、これをきっかけとして皆さんが1日でも早く打ち解け合えると良いと思っています」


 そうニコッと笑い、担任は教室を出た。すると早速、それぞれが隣の席の人と話を始めた。皆やる気すごいな、と誠一は思った。


「淳月君」


 誠一は声が聞こえた方に顔を向けた。


「私は橋姫惺玖はしひめしずく。よろしくね」

「はしひめ、さん。よろしく」

「ん?」

「いや、珍しい名前だなと思って」

「……、よく言われる」


 惺玖は暗く笑った。


「僕は淳月誠一……です。」

「うん、もう覚えた」

「そ、そうだよね。席隣だし。ごめん、1週間じゃなかなか……」

「いいよいいよ。私、人覚えるの早い方なの。全然おかしなことじゃないと思うよ」

「そ、そっか」


 誠一は顔の見覚えすらないとは言えなかった。


「あ、今朝はありがとうね。橋姫さんのおかげで遅刻せずに済んだ」

「いえいえ。遅刻せずなにより」


 惺玖は優しく微笑んだ。


「星鏡の子ですごい寝てる人いるなーって思ってて、よく見たら淳月君だってなってさ。アナウンスで起きると思ったら起きないし」

「ほんと、ありがとうございました……」


 誠一はしっかりと頭を下げた。


「昨日眠れなかったの?さっき寝不足みたいなこと言ってたけど」

「眠れなかったというか、疲れがとれなかったみたいでさ」

「よほど疲れてたんだね。部活か何か?」

「えっと、色々あって、猫追いかけてた」

「だいぶ色々あったんだね」


 惺玖は少し笑った。


 昼休み、誠一は中庭のベンチで竜翔と弁当を食べていた。


「それ、ほんと?」

「ほんと」

「まじか〜……」

「やっぱり、変かな?」

「変っていうか、ひどいな。普通に」


 誠一は1番痛いところをえぐられた。


「うそうそ、冗談だって」


 落ち込む誠一の背中を、竜翔は笑いながら2回叩いた。


「別にありえなくもないんじゃない?」

「そう?」

「まだ1週間だし、緊張してたら他人の顔なんて意識して見ないだろうし」


 確かに、誠一は高校生活が始まることに緊張していた。


「そっか」

「うん。気にしすぎだよ」


 そう言って竜翔は唐揚げを一口かじった。


「でも、橋姫さんと話したからさ、1週間しかないよね」

「なにが?」

「ほら、朝配られた紙」

「ああ〜。大丈夫でしょ」


 少し不安そうな誠一をよそに、竜翔は弁当を食べ進めている。


「隣の席の人のこと知り尽くさないといけないわけじゃないし、焦ることないよ」

「そうなのかな……」


 誠一の不安そうな表情を見て、竜翔は箸を置いた。


「やっぱ、まだ気にしてるんじゃない?」

「え?」


 誠一は竜翔の方を見た。


「俺には、誠一がまだ人との間に壁つくってるように見える」

「あの時のことでってこと?」

「うん」

「小学生の時の話だよ? もうあんまり覚えてもないし」


 誠一はごまかすように弁当を食べた。


「もっと気楽に、肩の力抜いていいよ。ありのままの誠一で俺はいいと思う」


 竜翔は誠一の目を真っ直ぐ見て言った。途端に体が痒くなった。


「うっっわ、自分で言っててキツすぎた」


 自分の体をかきむしる竜翔を見て、誠一は楽しそうに笑った。


 昼休みの後は清掃の時間があり、午後の授業が始まる。この日の授業が残り1限となった授業と授業の合間休憩、誠一は次の授業の準備をしていた。


「淳月君」


 誠一は手を止めて、惺玖の方を向いた。


「ん?」

「淳月君ってさ、好きな食べ物なに?」


 朝配られた紙のことで、ということは察しがついた。


「僕は和菓子が好きだよ」

「和菓子?」


 惺玖は目を見開いた。


「あごめん、おかずの話だった?」

「ううん、大丈夫。和菓子が好きなんだね」

「うん」


 少しの沈黙の後、惺玖は再び尋ねた。


「えっと、理由って言ったら変だけどさ、何かきっかけとかあっりする?」

「味が好きっていうのもあるけど、おばあちゃが和菓子屋やってて小さい頃から食べてたからっていうのもある」

「えぇ!?」


 惺玖はつい声が大きくなった。


「……びっくりした」

「ごめん、すごいなと思ってつい……。そうだったんだ」

「うん」

「いいなぁ」


 また沈黙が流れそうになった。


「私も和菓子好きなんだよね」

「そうなんだ」

「うん。洋菓子はちょっと甘すぎる気がして」

「分かる」


 誠一は真っ直ぐ頷いた。


「甘すぎるの苦手?」

「あんまり得意じゃないかも。でも、洋菓子も好きだよ」

「うんうん。私も嫌いではないんだけどなんか、ねぇ?」

「うん、分かるよ」


 真剣に頷く誠一を見て、惺玖は楽しくなった。


「じゃあさじゃあさ、油っこいものはどう?」

「苦手かも」

「得意じゃないとかじゃなくて?」

「限りなく苦手よりの得意じゃない、かな」


 惺玖は思わず笑ってしまった。


「そのニュアンスすごく分かる」

「橋姫さんも?」

「うん。私も限りなく苦手よりの得意じゃない」


 もうすぐ、授業が始まろうとしていた。


「辛いのはどう?」

「無理」


 誠一は真顔でそう言った。


「よっぽどなんだね」

「橋姫さんは好きなの?」

「ううん、無理」


 誠一は笑いそうになった。


 先生が教室に入りクラスが静まり始めた時、惺玖は誠一に言った。


「私たち、ちょっとだけ似てるところあるんだね」


 その柔らかい表情を見て、誠一は少し言葉に詰まった。


「……だね」


 詰まりながらも、何とか返事をした。


「ありがとう。好きな食べ物教えてくれて」

「そんなそんな。こちらこそありがとう」


 最後の授業が始まるチャイムがなった。

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