第二十九幕 抜刀斎剣術
岡田以蔵は、江戸時代混乱期を代表する人斬りの1人と言っても過言じゃない。
田中新兵衛、河上彦斎、岡田以蔵、中村半次郎。この4人は四大人斬りとして世間からとても恐れられた程の実力を持っていた。表社会で生きる者にもその名が知られていたため、彼らをもはや伝説として語る者もいた程だった。
――そして、その中の1人である岡田以蔵の名を名乗る謎の男と蒼汰は、戦っていた。蒼汰の剣が虚空の中で放物線を描くように以蔵の剣と交差する。2つの刀が火花を散らす如く、鋼と鋼が激しくぶつかり合う。その凄まじい攻撃と攻撃のぶつかり合いに蒼汰は、内心驚いていた。
まだ、学生でしかも……ここ数十年の間、平和の続いた世の中に生きて来ていた蒼汰にとって、今目の前でまさか自分が現実で戦う事になってしまうとは思いもしなかった。
――皮肉なものだ。侍としていつか訪れるかもしれない何かとの戦いの為に俺達は、日々鍛錬を積み重ねているというのに……練習でやる剣は、強くなれても実戦は、いつまで経っても慣れない。俺が例え、ガキの頃に親父と何度も実戦形式でやり合った事があったとしいてもだ。
蒼汰は、そう感じていた。彼は、自分の出せる最大最速のスピードで刀を振り続け、敵の隙を伺いながら猛攻を続けていたのだが、しかし一向に以蔵が隙を見せる気配はない。彼は、一撃一撃本気で刀を振るっている蒼汰と反対にまだまだ余裕のある笑みを浮かべつつ、その剣筋、勢い、スピード、パワー……刀の威力をどんどん高めていっていた。
何度も何度もお互いの刀を激しくぶつけ、擦り合わせていた蒼汰と以蔵だったが、しかし……蒼汰の方は既にこの現状に危機感を募らせていた。
――まずいな。……お互い最大最速でぶつけあっているはずなのに……俺の方が徐々に離されていっている。これでは、いずれ押されるのは俺だ。コイツの刀に飲まれてしまう……!
危機を感じた蒼汰は、刃に集中しつつ自分の足元に視線を移し、誰にも聞えない心の中の声で、詩を1つ唄った。すると、たちまち蒼汰の足元に風が集まっていき、彼の足のスピードが少しずつ増していく。
蒼汰の得意な風を操る詩術だ。彼は、自分の足に風を纏わせる事で、自分のスピードを
アップさせる事ができ、また足に纏った風を全身に帯びる事で蒼汰は、高速の世界へ入門する事ができるのだ。そして、この高速世界への入門を果たした蒼汰は、自身が帯びている風の量を増やしていく事で、高速から超高速へ。また、超高速から音速へと……その速度を上げていく事ができる。
――剣の力だけで足りてないのなら……別の部分で補うまで! コイツの力を使えばスピードじゃむしろ、こっちの方が有利になってくるはずだ。
蒼汰のその思いにのせてか、彼の剣は確かに早くなっていった。少しずつだが、彼の剣撃は、高速の世界に入門していき、少しずつ実態が見えない程になっていた。しかし、敵の男も恐ろしい事になんと、詩術なしで蒼汰の剣に対応しているのだ。
――コイツ……どうして!? こっちは、詩術の力でより一層速くなっているのに……素の状態でそれに追いつくだと! そろそろ、高速の世界に入るというのに。コイツは、一体……何処まで俺のスピードに……!
驚きが隠せなかった。蒼汰は、やがて目を丸くして相手の男の剣撃を見るようになった。相手の姿は、まるで早送りにしている時のテレビ画面のようにチカチカ……と動きを変えて行き、蒼汰の高速の剣を受け止め続けていた。いや、受け止めるだけではない。彼の表情は、まだまだ余裕に満ちている。汗も少ししかかいていないのだ。
「……くっ!」
能力を使ってスピードの上限解放をしたはずの蒼汰が、むしろ逆に追い込まれているような気分になった。
すると、そんな蒼汰に目の前で余裕そうな顔のまま剣を振り続けていた岡田以蔵を名乗る男が急に喋り出した。
「……どうした? スピード対決は、俺の圧勝か? 既にお前は、詩術を使っているみたいだし、はっきり言ってこれでは、俺の相手にすらならないぞ。俺と……この刀の……」
――くっ……認めたくはないが、しかし確かに早い。今まで俺のスピードについて来れた奴なんていた事なかった。父さんくらいだ。だが、まさかこんな所で遭遇する事になるとは……。
蒼汰は、刀を振り続けた。ただひたすらに自分の出せるスピードを一秒ごとに増していきながら相手を殺す勢いで刀を振った。しかし、蒼汰が全力のスピードで敵に迫って来るのに対して相手は、工場で単純作業をする人のように退屈そうに刀を左右縦に振るだけだった。その剣に蒼汰自身が再び飲まれそうになってしまっている事に気付いたのは、それから間もなくの事だった。彼は、自分の剣の速度じゃ相手にはもう全く通用しないという辛い現実をようやく見るようになり、次第に剣でのスピードによる対決をどう終わらせるかを考えるようになっていた。
――このままじゃ不利になるのは、俺の方だ……。どうして、相手がこんなに早く剣を振れるのか謎だらけだが……。
しかし、そんな蒼汰の脳裏に戦いの前に以蔵が喋っていた事が蘇って来る。
「……その構え、江戸混乱期に……幕府と新政府軍の暗殺合戦が各地で行われていた頃、多くの人斬りが真似たとされる人殺しの剣の構え。……しかし、その構えを真に完成させた者は、当時……たったの4人だけ」
「まさか……」
ある事に気付いた蒼汰が、目の前で彼と同じ剣を振り続けていた以蔵の事を意味深に見つめると、彼は少し微笑んだ顔で冷たく笑うと次に告げた。
「……気づいたか。俺の剣の正体。そうだ。……江戸混乱期に真似られた貴様の人きりの剣。その剣を真に完成させた4人のうちの1人は……俺だ」
「……やっぱり、アンタの先祖が過去に俺の人殺しの剣を完成させていたから……だから、アンタは俺の剣のスピードにも追いつく事ができる。それどころ、むしろ……」
この先を蒼汰は、あえて言わなかった。言わずに彼は、自分の心の中で思うだけにした。彼は、認めたくなかったのだ。自分よりも自分の剣を相手の方が極めていたと言う事に……。
――この剣は、沖田家に代々伝わる剣だと父さんから教わったんだ。それなのに……家の人間でもない奴に自分が負けているだなんて……事実であってもそれだけは、俺のプライドが……。
すると、そんな心の中でモヤモヤが残っていまいち気分の良くなさそうな蒼汰の事を嘲笑うかのように以蔵が口を開いた。
「……先祖ねぇ。まぁ、良いや。それよりも良いのか? このままこれ以上俺とスピード勝負をしてみろ。やられるぞ……」
「……くっ!」
やられる事など蒼汰にも知っていた。だからこそ彼は、今現状スピードで戦い合っている最中で、今一度詩術を解除する必要があった。
――既に高速の世界に到達しているが、しかし的と距離をとりたいし……距離が出来た途端に一瞬だけ能力を解除して、そしてすぐに能力の方を復旧させる。俺が完全に高速の世界から追い出される寸前の所で再び高速の世界の中に入らなきゃいけない。それには、全てにおいてタイミングが重要になって来る。
「……」
――集中だ。
蒼汰は、心を研ぎ澄ませて次なる一手をどうするか、密かに頭を落ち着かせながら考えていた。この間にも敵の攻撃が止む事なく、際限なく蒼汰の元に鉄の衝撃が降り注いでくる。
――ここだ!
この刹那、蒼汰は剣撃と同時に敵の胴体に向かって思いっきり蹴りをかまそうとした。しかし、この蹴りは既に敵も飛んでくる事を理解しており、ケリが炸裂する直前の段階で既に以蔵の剣が蒼汰の足を斬り裂こうとしていた。
だが……剣を縦に振った以蔵だったが、足を斬った感触はない。彼は、蒼汰と自分との間にある空気を斬り裂いたに過ぎなかったのだ。急いでこの事に気付いた以蔵が再び蒼汰のいた方を見てみると、なんと彼は既に以蔵からかなり距離をとっていたのだ。
――あの蹴りを放つ寸前、それまで少しずつ上昇していたに過ぎなかったスピードをマックスまで上昇させ、凄まじい速度でのフェイントを仕掛けた! そして、そのフェイントの後にできた自分の幻影で俺をくらませている間に自分は逃走したか。
以蔵が、そこまでの事を状況だけから理解すると、次の瞬間に以蔵からかなり距離をとっていた蒼汰が、一度自分にかけていた詩術の全てを解除。それを知った以蔵が、ふと頭を悩ませる。
「……スピード勝負は終わり。だが、詩術まで解除とは……次は一体!?」
そして、次の瞬間に蒼汰が再び以蔵の元に走り込む。彼は、剣の先を以蔵に向けたままビリヤードをする人のように虎視眈々と相手の懐に狙いを定めながら近づいていった。
――違う。コイツ……まさか、これで決めるつもりか!
この事に以蔵が気づいた時には、既に蒼汰も以蔵の懐まで後少しと言う所まで辿り着いていた時の事。以蔵は、気づくや否や持っていた剣で蒼汰の剣を横に弾いて攻撃をかわしつつ、上から蒼汰の頭を脳天割するかの如く高く剣を振りあげた。
――来る……!
それを待ち構えていた蒼汰は、この瞬間に自分の足元へ一気に風を集め込み、唇をほんのちょっぴりだけ微笑ませた。
「……スピードは、アンタの勝ちでいい」
そして、次の瞬間に蒼汰は能力で一瞬のうちに完全に音速の世界に入るや否やそれまでの自分の動きを幻影にする程のスピードでまたしても姿を消す。以蔵は、彼がまた音速の世界に消えていく中で少し苛ついた様子で刀をぶんぶんっ……と振ったりしていたが、しかしそんな事をしている余裕は、彼にもなかった。次の瞬間、以蔵は自分の後ろから殺意を感じ、振り返ってみてみると……なんとそこには既に攻撃が当たる直前の所まできていた蒼汰の姿があったのだ。
「……何!?」
驚いた以蔵は、一瞬だけ反応が鈍ってしまったが、その隙を蒼汰は見逃さなかった。
「……無明剣! 三点衝突刃!」
それは、人生で初めての真剣で繰り出す正真正銘本気の剣。一瞬にして3回刺されたと錯覚させられる程の剣の使い手である蒼汰だからこそ成せる技だった。
「……ばっ、馬鹿な!?」
驚いた以蔵が避けようとしたが、しかし刀はそれよりも早く以蔵の右肩を捉え、彼に向かって攻撃が炸裂した。
「……ぐっ!」
そして、蒼汰の必殺の一撃が終わった後、以蔵は負傷した右肩を抑えながら痛そうに蒼汰の事を睨みつけた。蒼汰もこれに対して少し不安になった表情で男の事を見つめていた。
――攻撃が全然通っていない? あそこまでフェイントをしてギリギリまで気づけていなかったはずなのに……最終的に当てられたのは、右肩を若干斬りつける程度。刺すには、至れていないだなんて……。
敵の恐ろしさを改めて理解した蒼汰は、ここで再び剣を構える事にした。そして、敵がもう一度自分を攻撃してくる事に警戒しながら敵の動きを観察していると以蔵は、大きな声で発した。
「……待て。勝負はもうここまでで十分だ。お前との勝負、楽しかった。流石は、江戸混乱期、四大人斬りと呼ばれた俺達の影に隠れた5人目……その子孫。だが、お前はまだ学生だ。殺すには惜しい逸材。また、戦おう。今度は、今日よりもずっと楽しい殺し合いをしよう」
そう言うと、以蔵は蒼汰が瞬きをした一瞬のうちに消えてしまっていた。彼が、瞬きを終えて辺り一面を探してみるもそこに以蔵の姿は何処にもなかった。
「……一体何処に。岡田以蔵……なんだか、とても不思議な男だった……」
しばらくして、本当に以蔵の気配が消えてなくなった事を理解した蒼汰は、刀を鞘の中に収めて、先に進む事にした。
――待っていろ。泉!
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