第二十八幕 十手御用
市ヶ谷侍塾のスタジアム入口1階は、大きな道路に面した場所に立っている。その道路の名前こそ靖国通りと呼ばれる道で、この道を山の方へ辿って行けば新青梅街道に出られて、真っ直ぐ進めば江戸の最も山沿いにある青梅に出られるし、青梅を更に超えて行けば山梨にだって行く事ができる。
反対により海の方へ進んで行けば江戸城のそばから九段下、神保町、水道橋、お茶の水……秋葉原と進んで行き、最終的には両国橋まで辿り着く事ができる。まさにこの東京都の海から山にかけてを通る巨大な道であった。
そんな大きな道の両端に侍塾の建物は、存在する。靖国神社のある方角を向いて右側に学生たちの学び舎が。そして、左側に決闘場が存在する。決闘場と学び舎を行き来するには、一般の人間はこの信号を渡る必要があるのだが……。一般人の決闘場への立ち入りは、学校の一般の人参加歓迎の大きなイベントでもない限りは、ほとんど開いてはいない。そのため、この一階の入り口からスタジアムに入ろうとする人間は、ほとんどいないはずであった。
それを分かっていたスタジアムの入り口前で待機しているテロリストの部下のスーツを着た男達は、スタジアムの中に隠れながら外の様子を伺っていた。しかし、彼らには、スタジアムを守ろうとする気持ちは全くなく、中にあくびをする者までいた位だ。彼らの1人が外を監視しながら他の仲間達に話しかける。
「……なぁ、こっから入る人間なんてほとんどいないんだろ? じゃあ、俺達がここでお留守番する意味なんてあるのかよ?」
すると、仲間の1人が一生懸命真剣に銃の掃除をしながら彼の問いかけに答えた。
「……ごちゃごちゃ文句言うな。これも仕事だ。……良いじゃねぇか。楽な仕事を貰えたんだから」
「……いやぁ、それにしても暇すぎるよ。それに俺は、バトるのが好きなんだ。ここで呑気にママの御遣い待ちみたいな事は、していたくない」
仲間は、男の言葉に呆れた様子で銃の点検を続けていた。彼や他の仲間達が待機しているこのスタジアムの中は、とても暗く、彼らのボスからも自分に許可なく勝手に電気をつけるなと言われていたのだが、彼らはもうここに何時間と待機させられていたために、流石にもう目が慣れていた。
外を監視していた黒いスーツに身を包んだ男が、愚痴を続けて零した。
「……なぁよ。俺らは、今日ここにあの人から呼び出しを受けてやってきたわけだ。学校の近くの掘立小屋みたいな狭くてくっせー所でさ。野郎同士で鍋囲ったりして……その時から嫌な予感してたんだよ。はぁ、せっかく維新会入ったのにさ」
銃の点検を続けていた男が、銃口を拭きながら仕方なさそうに呆れた声で言葉を返してあげた。
「……もうしょうがないだろ! こういう仕事だって受け入れろよ! 幹部なりゃ、もっと良い仕事貰えるから今は我慢しろよ!」
男は、怒鳴って外を見張る男にそう告げるが、当の本人の耳には全く響いちゃいなかった。彼は、相変わらず落胆した様子で車が走って、信号が赤になり、人が渡って、また信号が変わって車が走りだす。変わらない景色をぼーっと眺めていた。
すると、そんな彼らの元に1つの通信が入る。彼らの仲間のうちの1人が持っていた小型のトランシーバーから声が聞こえてくる。
「……聞こえてるか? 応答しろ! こちら、スタジアム部隊。さっき上の廊下にいる奴らが何者かにやられているのを確認した。繰り返す、上の廊下で警備をしていた奴らがやられた。おそらく敵は、学園の生徒で相当な手練れ。全部隊、注意するように!」
通信は、そこで途切れてそれ以降はもう何も言わなかった。外を眺めていた男は、急に溜息をつき始めて、外を見る事をやめて、仲間の1人に話しかけると自分と交代するように手で告げる。彼は、地面にしゃがむと呆れた感じで告げた。
「……なんだよ。向こうは、やっぱり戦闘したってのかよ。それに比べてこっちの穏やかな事よ。お前ら、もう監視は適当でいい。どうせ誰も来やしない。それよりも、すぐに逃げられるようにしておけ。正体ばれたりでもしたら……後で幕府の連中に追いかけ回されるかもしれないからな」
「「了解」」
仲間達の大半は、そう言うとすぐに持っていた銃の予備の弾などをしまいだし、帰りの支度を始めた。そんな状況の中でただ一人、銃の掃除をやめなかった1人の男が、彼に告げた。
「……おい! お前、勝手な事を命令するな! それは、命令違反になるかもしれないんだぞ」
「……命令違反で罰を受けるのとここで、幕府の役人に捕まえられるのならどっちが良いんだよ? 俺は、断然前者だぜ。組織だって、捕まって欲しくはないと望んでいる事さ。なんたって俺達は今、秘密組織なんだからな」
「……でも」
2人の男がスタジアムの暗い空間の中で言い合っているとその時、外を見張っていたもう1人別のスーツの男が2人に報告した。
「……小隊長! 学生がこの中に入りたいと言っております!」
「あぁ? 学生?」
男は、地面から立ち上がり、とても気だるそうに自分の部下から話を聞いた。
「……はい。どうやら、スタジアムの中に忘れ物をしたとか……」
男は、気だるそうに部下の話を聞き終えると、すぐに外へ出られるドアの元へ歩いて行き、そこに立っている学園の生徒を見た。
――ちっ、なんだよ。男かよ。どうせなら女子生徒が見たかったぜ。
「……どうした? ここは今、立ち入り禁止なんだ。忘れ物なら明日にしてくれないか? こっちも仕事で忙しい」
すると、その生徒は両手を組んでスーツ姿の男の目をジーっと見つめると非常に納得できない様子で告げた。
「……いやはや、それでもその……どうしても取りに行きてぇのでやさ。あれは、おいらの大切なものでいやして……。どうか、一瞬だけ中に入れさせてくだせぇ」
「ダメだ。……明日出直せ」
「そう言わずに! 前、ここで忘れ物した時は、入っていいって言ってくれやしたよ? なのに、今日はどうして……」
「……ええい! うるさい! 大人をからかうんじゃない! 学生は黙って勉強でもしていろ。全く……」
そう言うと、スーツを着た男は、とてもイライラした様子でスタジアムの中に戻って行こうとした。しかし、その時だった。突然、彼の背後から何か凄まじい殺気のようなものを感じ取った。
――生徒の声が突然低くなった。
「……そう言えば、この学園で働いている従業員は皆、和服を着用している事が普通なのに……貴方はなぜ、スーツを?」
「……!?」
「おかしいですね……。スーツを着た事務員なんて見た事がなかったような……」
そこで、男の考えは変わり、彼はスタジアムの中で既に待機している他の者達に目で合図を送った。
「……はぁ、分かった。中に入って良い。だが、すぐに見つけろよ」
「……ありがとうございやす」
そうして、男子生徒を1人スタジアムの中に入れさせると、男はすぐにドアを閉める。そして、生徒に向かって一言「今電気をつける」と言うと彼は闇の中に消えた。そして、一気に静かになったその暗い空間の中で1人ポツンと取り残された男子生徒を狙い撃ちにするために彼は、あちこちに隠れた仲間達の1人と合流すると、そのまま彼らに見えるように手で合図を送り、そして――。
途端に一斉射撃を開始した。男子生徒の元に無数の弾丸が降り注ぎ、彼を蜂の巣にする勢いで放たれた。そのあまりに激しい銃弾の嵐がしばらく続き、そして数十秒してから男は、撃つのをやめるようにもう一度ハンドシグナルで合図した。そして、次の瞬間に彼は、持っていた懐中電灯の灯りをつけて、生徒の死体を確認しに行った。
「……へへ、まぁ1人くらい殺した所で後でボスに報告すれば証拠は揉み消せるだろう。どれどれ~、死体の確認は……」
しかし、男の視界の中には誰1人としてそこにはいなかったのだ。一体なぜか!? そう思って男が辺り一面をキョロキョロ見渡しだすと次の瞬間、彼の後ろから何かの灯りがつき、そして笛の音がピーピーと鳴り出す。
「……なっ、なんだ!?」
男と彼の仲間のスーツを着た者達が慌ててその様子を見ていると、その眩しく輝く十手を持った一人の男子生徒が全く無傷のまま男達の前に現れた。彼は男達を見渡すと言った。
「……いきなり撃ってくるたぁ、ちとサプライズが行き過ぎちゃいねぇかい? アンタら!」
「……なっ、馬鹿な!? あの時確かに蜂の巣にしたはずじゃ……!?」
「ははは、おいらを侮って貰っちゃあ困りやすな。おいら、これでも侍の学校に通うもん。運動神経にゃあ、べらぼうに自信があるぜい!」
「……くっ! 貴様、ただの生徒ではないな? 何者だ!」
すると、十手を持った男は、闇夜を照らしながらゆっくり歩いてきて彼らに自信たっぷりげに告げた。
「……拙者、銭形勘十郎! 江戸の町は、拙者の庭! 勝手な真似をするようなやっちゃ、全員……御用だぁ!」
彼は、十手を敵のスーツの男に向けてそのまま構えるとスーツの男達と激しい戦闘を開始したのであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます