第二十四幕 いざ、参る
「……お主、本気で言っておるのか?」
「あぁ……」
「……助けに行くと軽々しく言うが……それがどういう意味なのか、分かっててそんな事を言っているのか?」
「あぁ……」
「……わっちを口説き落そうとしていないか?」
「……んなわけないだろう。子供に興味はない」
――あ。
蒼汰が気づいた時には、もう遅かった。いつの間にか死角に回り込まれて、背後から迫って来るかの如く、蒼汰に向かって小太刀の切っ先が向けられていた。半蔵は、とても荒い息で怒りをやっとの思いで抑え込みながら泣く子を襲うナマハゲの如く蒼汰に迫り来る。
「……だぁれが、子供じゃってぇぇぇぇぇぇ?」
「すまん……いや、すいませんでした」
そのあまりの恐ろしい姿に恐怖した蒼汰は、すぐに丁寧な敬語を使って咄嗟に謝った。すると、その甲斐あってか半蔵の表情に見えていたどす黒い怒りのような名状し難いものが少しずつ引いていくのが分かった。すっかり落ち着いた頃には、半蔵も小太刀を納刀し、さっきまでの小さな少女の姿に戻っていた。
「……まぁ、血祭に上げるのは後でも良いとして……」
――いや、許してくれちゃいなかったか……。血祭って……後で何をされるんだろう……。
うっすらと恐怖を感じてか、蒼汰の背筋がお化けに遭遇した時のようにゾゾっと冷たく震え上がっている間に半蔵が、さっきのナマハゲのような恐ろしい形相と正反対に心配した様子で蒼汰の目を見ながら告げた。
「……本当に良いのか? お主、自分の言った事が……どれほど危険な事か分かっておるのか? 相手は、学生ではない。誰なのか見当もつかないテロリストじゃ。学生であるわっち達では……歯が立たないかもしれぬぞ? ましてや、お主はまだ泉様の家臣でも護衛でも何でもない。わっちの口から守って欲しいと頼む事も……命令する事もできぬ状態。言い換えれば、お主はまだ逃げれる。わっち達、将軍家の事情に首を突っこまなくて済む。さっきまでの平穏な学生生活を送る事だってできるのじゃぞ?」
「……」
半蔵の言っている事は、どれも真実だ。もしも、今ここで泉を助けに行こうなんてして……もし仮に無事に帰って来れたりでもしたら……それこそ、これから先ずっと泉と将軍家の問題にしょっちゅう引っ張り出される事になるに違いなかった。そうなれば……確かに今までのような安全で快適な学園生活を送る事も普通の学生として青春を謳歌する事も何も叶わなくなってしまうだろう……。
「……」
――逃げるなら今。半蔵は、そう言った。これは、最後の警告と考えて良いだろう。そして、もしも……ここでやっぱりやめると一言言えれば……俺は、解放される。半蔵も俺の事を腰抜けだとか裏切り者だとか俺に言ったりはしてこないだろう……。だが……それじゃあ、俺の気が収まらない。
「……散々、あんな涙を流しておいて……ここでその問いかけは、ずるいぞ。俺にとって、家族や大切な人を心配する者の涙は、どんなものよりも重く……切なく……そして、共感できるものとして俺の心の奥底に深く突き刺さる。何故ならそれは、自分も過去に同じような事を経験した事があるからだ。大切な人がいつ何処で亡くなってしまうかも分からない事の苦しみ。家族がいつバラバラになってしまうか分からない恐怖。全部痛いほど分かる。……だから、俺はガキの頃に決意した。妹を助けたいから侍になるって……。そして、いずれは……俺や俺の家族のように大切な人や大切なものを失いそうになって苦しんでいる目の前の人を救いたいって! そのために……強くなりたいと思った」
「……」
半蔵は、蒼汰の言葉に黙って耳を傾けた。彼の言葉は、とてもありきたりな創作の世界のヒーローが吐きそうな臭いセリフだ。現実でこんな事を言ってくる男なんて大概が、ろくな人間じゃない。そんな事は、半蔵も本能的に理解していた。
だが、蒼汰の過去を知り、その苦しみを知った半蔵には、少し分かる。彼の言ったこの言葉の重みが。それは、創作の世界のヒーローのような勇ましさとか安心感みたいなものは、感じられないが……何処か信じたいと思ってしまう言葉だった。だからこそ、半蔵は静かに蒼汰の瞳を見つめ続けた。
やがて、半蔵が静かに自分と目を合わせてくる今の状況に少し気まずさを感じたのか、蒼汰は困った様子で頭をポリポリかき始めて告げた。
「……ガキの頃に思い描いた……やたらとデカいだけの幻想かもしれないが伝わったか? 俺の気持ちは?」
「……あぁ。充分だ。ありがとう……」
半蔵は、感謝の言葉を告げる。そして、少しした後に……教室を出て行こうと、まず歩き出した蒼汰の背中に向かって声を発した。
「……どうするつもりなんだ?」
蒼汰は、半蔵のいる後ろを振り返る事なく背中を向けたまま自分の腰についた真剣の持ち手をギュッと握りしめながら半蔵に告げた。
「……強行突破だ。下手に策を練って、人質にとられている泉を傷つけられたりでもしたら元もこうもない。だったら、敵がいると初めから分かっているスタジアムまで行って、そこで蹴りをつける」
「大丈夫なのか?」
「……」
蒼汰の決意を聞いても尚、半蔵の心配は止まらない。それもそうだ。相手は、テロリスト。こちらは学生。敵のレベルが違う事は、蒼汰自身もよく理解していた。しかし、彼は刀の持ち手を握りしめている手とは反対の手首にぶら下げられた印籠をギュッと握りしめ、その印籠の真ん中に刻み込まれた桜の紋章を見つめながら半蔵に告げた。
「……戦っている所を何度か見た事があるだろう? 俺は、強い……」
蒼汰は、そう言うと印籠を再び制服の袖の中にしまい込むと、刀を握っていた手も離し、ドアの前まで向かう。そして、教室を出て行こうとする直前で半蔵に告げた。
「……君は、今すぐ城に向かって徳川の家の者にこの事を伝えておいてくれ」
半蔵は、返事を声にして言ったりは、しなかった。ただ、真剣な顔で黙ってコクリと頷くのだった。そんな少女の様子をドアの細長い窓ガラス越しに確認した蒼汰は、それから勢いよくスライド式のドアを開けて、廊下へ飛び出すとそのまますぐに走り出そうと体を前かがみにした。
――しかし、その直前で蒼汰の元に聞き覚えのある人間の声がかかった。
「待ちな!」
振り返ってみるとそこには、短くて茶色い髪の毛と全体的に痩せていて背の高い塩顔の男が半蔵と蒼汰のいた教室の壁に寄りかかりながら腕を組んでいる姿があった。
「お前は……」
「……俺の庭の江戸の町で起こった事件とありゃあ、この銭形勘十郎……先祖の名にかけて、黙って逃げるわけにゃあいかねぇな。ましてや、護衛を頼まれた人間として将軍様の危機とありゃあ、尚の事だ」
「……協力してくれるのか? でも、何故……」
「……おいらぁ、正義の味方。この十手は、闇を照らす提灯……」
勘十郎は、そう言うと寄りかかっていた壁から離れて、胸元にしまっていた十手を勢いよく取り出し、それを蒼汰の喉元に向けて、彼の目をじっと見つめながら告げた。
「あんさんの言葉、胸に染みたぜ。前は、敵同士。決着もついちゃいないが……今は、それでも良いだろう。アンタの言葉に惚れた。だから、着いて行きたくなった。それだけで……戦う理由は、十分だろう?」
「……支度は済んでいるな? 今更、トイレに行きたいとかはなしだ」
「……正義の味方は、漏らさないのが鉄則。銭形平次もそうだったぜ」
男達は、しばらく見つめ合い、お互いに自分達の本心を目と心だけで理解し合うとすぐに目を逸らして、誰からも見られないように顔は前だけを向いたまま外の光が差す廊下の先を見つめた。……蒼汰は、しっかりした低くて芯のある声で告げた。
「……行くぞ」
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