第二十三幕 家族之為
保健室から離れて、とある空き教室の中に入った半蔵と蒼汰は、時計を確認した。時間は、残り……20分。それまでに泉が捕まってしまったスタジアムまで行かなければならない……。
半蔵は、ずっと下を向いていた。……彼女は、とても悲しそうな顔をしている。それもそのはず。保健室には、半蔵の仲間の泉の家臣たちが誰もいなかったのだ。
「……」
少ししてから蒼汰が、半蔵に尋ねる。
「……泉の家臣としてこの学校に入学した者は、何人いたんだ?」
すると、最初こそ何も言いたくなさげだった半蔵が、しばらくして気分が変わったのか……ゆっくり口を開いて、今に泣き出しそうな顔のまま告げた。
「……わっちを合わせて5人。うち2人は……お主が入学早々に戦った者達の事じゃ」
「そうか……」
――時間もない。戦える仲間も……。お金を取りに行こうにも……30分じゃ難しいとなると……。
口には、出さなかったが蒼汰は今のこの状況、詰んでいた事を悟った。
――どう、声をかけてあげれば良いんだ……。
蒼汰には、分からなかった。半蔵に何と言ってあげれば良いのか……口を閉じたままだった。
――いや、本当はもうここまで来たら……やるしかないんだ。この状況は俺が……。
蒼汰の脳内では、既にやるべき事は決まってはいたのだ。彼は、自分の腰につけられた刀の持ち手の部分をギュッと握りしめる。……しかし、それを抜く事ができない。思いっきり解き放とうとする勇気が、彼にはまだない。
「…………」
――くそっ……。この状況で泉を救いにいけるのは、もう自分しかいないというのに……。心が不安定な状態の半蔵も泉の家臣たちもいない。大人にも頼れない。それなら、立ち上がるべきは自分なのに……。
さっきまで彼が、決意したはずの泉との事。それも今目の前で実際に命がかかわる危険性があるとなったら……どうしても踏み出せない。
――やっぱり……俺の覚悟は、その程度だったのか?
しかし、そんな時にだった……。蒼汰がたまたま半蔵の方を振り返ってみるとそこには、一筋の涙を流していた半蔵の姿があった。
「……!」
それは、泉の家臣として……というよりは、彼女とずっと一緒に過ごしてきた一人の友人。いや、家族としての涙に見えた。
……蒼汰には、あの涙が何なのか痛いほど理解できた。何故ならそれは、蒼汰自身も流した事のある涙であったからだ。彼は、目を閉じ……そして、まだ幼かった頃の自分の姿を思い出す。
「……」
――十数年前、蒼汰がちょうど小学校に上がるべきだった歳の頃。蒼汰の両親は、何があったのかはわからなかったが、自分達の子供2人が無事だった事に喜び、無事に蒼汰を小学校に入れるために様々な手続きを行い始めていた頃の話だった。
ちょうど彼が、小学校に入る直前に蒼汰の妹の翠が体調を崩し、ベッドから起き上がれないままの日々が続いていた。
正体不明の病に苦しみ、いつまで経っても起き上がれず熱も下がらないままの翠を心配した両親は、とうとう翠を町の病院に入院させた。そして、彼らは毎日夜になると……蒼汰が眠った後に涙を流していた。
「……やっぱり、やっぱり駄目だった。……俺のせいで……。俺があの子を苦しめてしまったんだ……。俺が持ってきた呪いのせいで……」
蒼汰の父は、あの時から毎日のように涙を流し、母の前でのみ情けなく赤子のように自分の悲しみを口にしていた。……息子の蒼汰が寝付けていなかった事も知らずに。
「……違うわよ。貴方のせいなんかじゃないわ……」
母も毎日のように泣く父を慰めてあげていた。しかし、そんな母の目にも涙が流れていた。母は、いつも……蒼汰を幼稚園に連れて行った後、翠の入院している病院へ足を運び、看護師さんそっちのけで、幼い翠のために必死に寄り添ってあげていた。
――あの時の母は、本当に凄かった。毎日、翠のために手を握ってあげたり、汗を拭いてあげたり……食事を与えたりもしていたようだ。全部、後で病院の先生から聞いた話だ。その後に晩御飯を作って、俺を寝かせてくれた。
父も仕事が早く終わったらいつも翠の元に駆けつけていた。蒼汰の父も翠と同じく呪いの影響を受けており、かなり病に苦しんでいるはずの状態だったのだが……それでも、家族のため……翠の入院代を稼ぐため、父は必死に働いた。
――あの時の父も凄かった。幼い頃は、父の凄さを理解できなかったが……今ならその凄さが少し分かる。自分も病で苦しんでいるのに妹のために頑張って……それでいて、幼かった頃の俺の前では元気な父を演じていた。後で、父が呪いに体を侵されていた事を母から聞いた時に衝撃を受けた。
――半蔵が今流していた涙は、まさにあの時、父と母が流していた涙と一緒。家族を思いやる者の悲しみの涙。心配で心配でしょうがないのに自分がその人を直接救う事はできない……。そんな無力感と絶望感からくる涙だ。
再び、蒼汰は過去にあった事を思い出す。……それは、病院の向こうで苦しそうにベッドの上で戦う妹の翠の姿を見て、手を伸ばしながら涙を流す自分の姿。
「……どうしたの? 僕! こんな所で迷子になっちゃった?」
病院の看護師さんが話しかけに来てくれた。でも、幼い俺には今のこの状況を説明する余裕みたいなものもなく、ただひたすら泣く事しかできなかった。
病院の入室制限のせいで……当時まだ幼かった蒼汰は、妹のそばにいさせてもらえなかった。つまり、彼にとって翠の入院は……ある意味生き別れと等しい状態だった。蒼汰は、翠の姿を窓ガラス越しにしか見れない。
子供ながら、この時の蒼汰は両親に嫉妬さえした。自分が病室に入れないのに……自分達だけ妹と話せる。それが、ズルくて仕方なかった。自分から妹を取り上げられたような気持ちになった。
もう、妹と遊べない。それが、悲しい……。しかし、そんな単純な事でさえ、幼い子供がスムーズに言葉にして説明する事なんてできなかった。ただ、泣くしかなかったのだ。
――俺は、理解できなかった。まだ小さかった俺には、逆に……会える事による苦しみなんて理解できなかったのだ。
――目の前の事に泣くしかできなかった。でも……だから、こそ……そんな状況にあったからこそ俺は……。
ある日、小学校入学に向けて両親が本格的に動き出した頃、仕事の量を増やして今までより一層家にいる時間が減り、それまでの元気いっぱいを演じていた様子も徐々に見られなくなった父とたまたま2人っきりになった家の中で……蒼汰は自分の決意を告げたのだ。
「……俺、強くなりたい。翠の分まで……いっぱい勉強して強くなって……翠の病気を治してあげたい!」
「……蒼汰」
父は、口をぽかんと開けたまま何も言えない様子で幼い蒼汰の小さな姿を見つめた。
蒼汰は、続けた。
「……だから俺、普通の平民の通う学校には行かない! 侍になる! 侍として……強くなる! 翠を苦しめているのは、侍の力なんだろ! だったら、俺が……強くなって、侍として強くなって……翠にかけられた侍の呪いを解く! 俺は、強くなりたいんだ! 」
――当時の自分には、まだ八百万奉行の存在なんて分からなかったし、当然八百万の神の影響による呪いであるだなんて分かりもしなかった。ただ何となく侍の力~というくくりでしか見れていなかった。だから、侍になれば医者でも直せない妹の病を治せるかもしれないとそう思った。それは、まだ現実を知る前の小さい自分の……。しかし、勇気ある行動だった。
そして、蒼汰のこの行動こそが結果的に父の悲しみを和らげる事になっていったのだ。
「……ありがとう」
――しばらくして、蒼汰は目を開けた。はっきりと……それこそ、まさに迷いのない様子で彼は、はっきりと目を見開いたのだ。
そして、悲しい涙で瞳の中を濡らす半蔵に声をかけた。
「俺が……俺が、泉を助けに行く。俺が、敵を倒しに行ってやる」
そこには、もう迷いなどなかった。彼は、今度こそ完全に振り切る事ができたのだ。
大切な家族を失った苦しみを誰よりもよく理解している蒼汰だからこそ……決意できたのだった事だった……。
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