第二十二幕 人之命
「……捕まった? 誰に! 一体誰に!?」
「分からぬ! わっちだって、知りたいさ……。いや、じゃが分かっている事としては……」
「あの手紙を渡して来た奴って事か」
「……おそらくは。いや、現状はそれ以外に考えられない」
半蔵は、慌てた口調でそう言い終えると、次にさっき電話で言われていた事をふと思い出して、一気に顔面を蒼白させた。
「……まさか!」
すると、すぐに少女は真後ろを向いて全速力で走り始めた。それを見た蒼汰は、突然の事に一体どうしたのか訳も分からず、半蔵の後ろから追いかけるように走り出した。
すると、ずっと前を走っていた半蔵が走りながら蒼汰に尋ねてきた。
「……お主! 最後に泉様と別れたのは、下の階の授業準備室で良いんだな?」
「……え? そっ、そうだが……。まさか!」
走る半蔵と蒼汰が、全速力でその場所に向かう。そして、半蔵が無理やり準備室のドアを強引にこじ開けると……中は電気がついており、部屋中がアルコール消毒液の臭いで充満していた。そして、1人の男がゆっくりお茶を飲んでいる所だった。
その男こそ、さっき蒼汰にノートを運ばせた下級武士を軽蔑する教師の大友だった。彼は、突然自分の前に姿を見せてきた2人の下級武士達を見て、ぎょっとした顔をした。
しかし、半蔵たちも今は急いでいたので教師の存在に気づいていたが、それよりも泉が消えた事の手がかりを見つける事に集中していた。
それを見た大友は、ゴキブリでも見るような目で見つめながら2人に怒鳴った。
「……おい! 君達! ここは、教師の許可なく入っていい場所じゃないんだ! すぐに出なさい! ……全く、下級武士とは学がないからドアの前に張り出されている紙も読めやしないのか!」
しかし、半蔵たちは大友の声を無視。半蔵が教室全体を見渡した後に告げた。
「……誰もいないか。お主、この部屋で泉様と別れる前は、どんな感じじゃった?」
「……部屋は、暗くて……そうだな。刀が床に落ちていた。……しかも真剣だ」
「うぬ。そして、最初にお主も襲われたと……とすれば、犯人はここの教室に出入りした事のある人物だと分かるな。泉様が攫われたのも恐らく、お主がいなくなった後とかであろう」
その発言に……蒼汰は、少し悔しそうに下を向いて拳をギュッと握りしめた。しかし、今は感情的になっている暇はないと気持ちを切り替えた蒼汰は、すぐに半蔵へ尋ねた。
「……犯人は、さっきの電話で何と?」
「……30分後までに決闘スタジアムの中へ。4億円持って1人で来いと言っておった」
「4億……!? そんな大金……将軍家なら簡単に出せるものなのか?」
「……いや、流石に徳川家に連絡をとって、どうこうしてもらおうにも時間がかかり過ぎてしまう。その前に泉様の命が危ない」
「そうだよな。4億という大金をそんな簡単にポンと出せるわけがない。しかし……自分の娘の事だし将軍家もそこは……」
「……それは、今ここでわっちがすぐに答えられるものではない。じゃが、これだけは言える。例え用意できたとしても……将軍様に話を通しに行くのに10分。そこから4億円の用意に10~15分程度。後は、大金をこっちまで持ってきて取引場所までに到着できる時間も考えると……はっきり言って時間がかかり過ぎる。間に合わない」
「……!?」
蒼汰は、驚いていた。それは、将軍家の財力なら4億円をポンと出す事くらい容易であると考えていたからだ。すぐに大金を用意して貰って、大人達に任せて後は解決してもらえると思っていた。
しかし、現実は違った。
――くそっ! あくまで、泉を殺したいって事か! 敵の目的は、やはりそこ……。
嘆く蒼汰の隣で、半蔵は椅子に座ってゆっくりお茶を飲んでいた大友の方へ近づいて行き、彼に話しかけた。
「……おい! お前! この部屋で倒れていた者の事を知っているか?」
「何ぃ? 貴様! 下級武士の分際で……教師に何たる口の利き方だ!」
怒った大友が半蔵を指さそうとした次の瞬間、少女は一瞬にして大友の間合いに入り、彼女の首元にいつの間にか抜いていた小太刀の刃先を向けて今にも殺しにかかるような目つきで大友を睨みつけて言った。
「……倒れていた者がいないかと聞いているんだ? この程度の受け答えもできないのならば、教育者として生かしてやる必要もない。……斬る」
半蔵は、かなり本気の顔をしていた。彼女は、こういう時冗談は言わない。その事をこの前、小太刀と殺気を向けられた時に感じていた蒼汰は、すぐに止めに入った。
「……まぁ、よせって! 今はそれよりも……」
「その言葉に半蔵は、さっきまでの殺意に満ちていた表情をだいぶ解いて、少し冷静になって、改めて大友の言葉に耳を傾けた。
すると、自分の着ていた和服を整えた後に大友は、一度深呼吸をした後にようやく口を開いた。
「……いましたよ。何人も……。下級武士が何人も私の部屋で寝転がっていました。すっごくイライラして全員叩き起こそうかと思いましたが……そんな時に、加藤先生がここにやって来てくれて、言ってくれたんです」
「……私が、医務室まで運びましょう」
「……後は、加藤先生に生徒達の運搬を任せて、私は部屋の中でお掃除をしました。……みっちりとね。それから、ようやく今に至るってわけさ」
「……なるほど。と言う事は……奴らは、今保健室で横になっていると言う事か……」
半蔵が意味深な事を言っていた事に蒼汰は、少し気になった。
「……奴らって?」
「……電話の主は、わっちに最後の家臣と言っておった。つまり、わっち以外のこの学校にいる家臣たちは、皆やられてしまったというわけじゃ」
「マジかよ……」
ショックでぶっ倒れてしまいそうだった蒼汰だったが、すぐに気持ちを切り替える事にした。半蔵は、部屋から出て行こうとドアの前へ移動。その時に彼女は、蒼汰へ告げた。
「……保健室にいるのなら、今すぐ向かおう。奴らに意識がまだあるのなら……何か敵の正体について聞き出せるかもしれない!」
そうして、半蔵が部屋から出て行き、颯爽と走り出すのを見て蒼汰も後から半蔵の事を追いかけようとしたが、その直前になって蒼汰は、再び椅子に座ってお茶を飲もうとしていた大友の姿が目に入った。
「……」
さっきの大友の言葉が耳にまだ残っていた。蒼汰は、大友が湯呑に手を伸ばそうとしていた所で手を伸ばして、大友の手をとると、告げた。
「……アンタも一緒に来い。アンタの生徒なんだからな……」
「……なっ! 何をする! 貴様! この私の手に触れるでない! 穢れる! 私の手が下級の貧窮な汚れで染まってしまう!」
そんな事を叫んでいた大友だったが蒼汰は、全く気にする事なく教師の手を引っ張り、保健室を目指した。
やがて、保健室の前まで到着すると、その部屋のドアの前で立ち尽くしていた半蔵の姿が徐々に鮮明に見えてくる。
――半蔵?
彼女の様子がどうもおかしい……。なんだか、とてもショックを受けて立ち直れないと言った感じで……変だった。
そして、蒼汰が半蔵の元へまで駆けつけて保健室の中を覗いてみる。すると、そこには驚くべき光景があった。
「……!?」
――誰も……いない!?
蒼汰が見た保健室の姿は、先生以外に誰もいないとても退屈そうな保健室の姿だった。だが、そんなはずは、ないはずなのだ。
「……先生! さっきここに沢山の人達が加藤先生に運ばれませんでしたか?」
すると、蒼汰の問いかけに保健室の女の先生は、頬っぺたに人差し指を置いたまま困った様子で答えた。
「……それがね、来ていないのよ。この子も同じ事を質問してきたのだけれど……今日はそもそも保健室には、誰も来ていなくてね……」
「そんな……」
保健室に誰もいない……? というか、そもそも誰も運ばれて来ていない……。それって……じゃあ……。
ふと、蒼汰が半蔵の方を振り返ってみる。
「……はぁ……はぁ」
半蔵は、呼吸を荒くしていた。当然だ。半蔵にとって家臣とは仲間。仲間達が姿を消してしまって、行方不明となれば……心配で過呼吸になってしまうのも……。
「……」
こんな時、俺はなんて声をかけて良いのだか分からない。しかし、そうやって俺が黙っていると後ろから大友が喋り出した。
「……全く、何の事かと思えば……はぁ……たかが下級の生まれが何人かいない程度で……。どうせ、その辺でドングリでもかじっていますよ。下級ですからね。もしかしたら、土器を作っているかもしれませんがね。ふふ……まぁ、そんな事は私の知ったこっちゃありません。はぁ、久しぶりに良い運動になったよ。それじゃあ、私はこれで失礼。すぐにこの服を着替えにいかないと……。服に泥がついているかもしれないんでね……」
「……おい」
「ん?」
蒼汰は、拳をギュッと握りしめて……それからゆっくりと大友の傍へ近づいて行き、彼は……。大友と目も合わせずに目の前までやって来た。
そして、たちまち大友も反応できないくらいの物凄い勢いとスピードで拳を振り上げて、大友の頬っぺたを思いっきりぶん殴った――! いきなりの事で反応が遅れてしまった大友は、地面に尻餅をついた。蒼汰は、告げた。
「……立て。このド腐れ外道……。それとも、下級武士のガキ如きのパンチでもうへばったか?」
「……あぁ? キサマ、さっきから聞いていれば下級のくせに生意気な事を……」
大友が、蒼汰の事をギリッと睨みつけて、立ち上がろうとした次の瞬間に蒼汰は、拳を振り上げて……気づくと下ろしていた。
そして、彼が手を下ろしたのと同時に大友は、腹部に強烈なダメージを負い、何か吐き出してしまいそうなくらいの強烈な吐き気に襲われた。
「……こっ、これはぁ……」
「……無明剣。いや、無明拳と言った所か? 三点衝突刃を拳で再現した。かなりいてぇと思うが……まぁ、テメェに対しては特に可哀そうとは思わない。……どうだ? 痛いか? 痛いよな? でも俺達、下級武士はな……毎日この痛みを心に受け続けながら過ごしているんだ。まぁ、そんな事を言っても結局何の意味もないかもしれないが……。けどな、これだけははっきり言ってやる!」
蒼汰は、一度深呼吸をしてから大きな声で告げた。
「……テメェは、テメェ自身が下級と見下していた人間さえも守れない愚かな男って事だ! テメェの人生の半分も生きた事のないガキの命の心配さえもできないような野郎が……大人とか教師を名乗る資格はない! テメェは、間接的にとはいえ……もしかしたら、人の命をドブに捨てるような事をしていたかもしれないんだ! その自覚もなく……自分の部屋をアルコールまみれにしてまで見栄を張り続けるテメェは、どんな泥よりも汚い! ましてや、クソ以下だ! 分かったか……ド腐れ」
蒼汰の言葉が学校中に響き渡ったのと同時にチャイムが鳴り響いた。それは、次の授業開始の合図であるチャイムだった。
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