第二幕 学園入学

 明和5年。西暦で言う所の2023年の4月5日。今日は、日本国屈指の名門校たる「市ヶ谷侍塾」の入学式の日であった。今年で開校から153年という長い歴史を持つこの学校にもまた新しい才能を持った生徒達が入学してくる。人々は、歩く新入生の若き侍たちの姿を見て、ひそひそ声で話を始める。



「……おぉ、あれが今年入学するお侍様の卵じゃ」



「……そうだなぁ。なんと立派な事か……」



 人々は、無意識のうちに侍の卵である彼らに道を譲っていた。これは、最早本能的なものであろう。なんせ、侍塾の開校した153年前から……この極東の島国日本には、と呼ばれる者達が生き続けているのだ。




 ――江戸時代。それは、日本最大の平穏をもたらした時代とされており、大都市江戸の規模は、当時の世界基準で見ても最大級。そして、その時代を支えた最大の特徴ともいえるのが、侍の存在だ。日本古来から武術を極めた者達、侍。近世の頃までは、侍の家に生まれた者は皆、侍となり、そのための教育を家で行う事が普通であった。だが、幕政の混乱期……つまり、おおよそ19世紀の辺りで時代は変わっていった。


 ペリー率いる黒船の来航によって日本人の価値観は、大きく変わろうとした。近代化に成功した欧米列強を目の当たりにした当時の日本人達は、幕府を倒して新しい政府を作ろうと模索する維新政府側と幕府側に別れた。やがて両者は、ぶつかり合う事となる……。勝海舟と西郷隆盛の話合いによる将軍の説得も虚しく……。両者は、戦争が始まろうとした。



 その最初の戦場が、京都の鳥羽・伏見。イギリスなどの欧米列強の最新兵器を駆使して戦う維新政府側と幕府側……。どちらが敗北するかはだれの目からも明らかな話だった。


 自分達の敗北を悟った幕府側だったが……しかし、ここで彼らにとって好機が訪れる事になる。




 それは、京都にいる天皇家と貴族達が何千年という歴史の中でようやく見つけた日本独自の……古来より伝わりし力……日本人の心の奥底に誰しも眠っている自然を愛する心。そして、「和」を楽しむ心。八百万の神たちへの感謝の心。それらから生まれた「和歌」というもの。この「和歌」によって起こす事のできる不思議な現象……「詩術」。



 詩術とは、和歌を詠む事によってその和歌に書かれている様々な現象を引き起こす事のできる特殊な術の事を言う。例えば、風についた詩なら風を引き起こす事ができたり、水について書かれた詩なら水を発生させる事もできる。……いわゆる、魔法の詠唱に近いものと言えば分かりやすいのだろうか。


 この不思議な力の登場により、幕府は維新政府を撲滅する事に成功。400年続いた徳川の支配体制は、更に続いて行く事となり、それと同時に近代化政策を順調に進めて行き……日清、日露……第一次世界大戦、太平洋戦争と時代を進めて行き……そして、現代……徳川幕府の元で発達した日本……そして、江戸は画期的な進化を遂げた。整備された交通。江戸の町だった場所に立ち並ぶビル。走る車、電車……欧米へ行くための飛行機、新幹線だってある。人々はスマホを持ち……会社で働く。髪型も皆、自由だ。




 しかし、この世界には侍が存在する。車もあって、電気もWi-Fiも通っていて、スマホを皆いじっているのに……この世界にはまだが存在する。


 そして、そんな彼ら……侍を育成する機関も存在する。幕府が打ち出した近代化政策によって誕生した学校。その全国各地に存在する学校の中でも……特に侍達の育成において屈指の名門校……それが江戸城の存在する靖国通り沿いにある市ヶ谷と呼ばれる場所。そこに立つ……「市ヶ谷侍塾」である。





「……っと、いうのが大雑把に教科書でやる内容か。ふむ、概要とはいえ……一年の中間テストの範囲……かなり長いなぁ。これは……これから真面目にやらないと追いつけなくなってしまうな」




 その市ヶ谷侍塾の大きなビルの下、入口の近くに1人の男が立っていた。男は、この学校の男子の制服である黒い着物を着ており、長い黒髪を後ろで結んでいる。手には、鞘に納められた刀を持ち、手首には桜が描かれた印籠が紐でぶら下げられている。靴は、普通に運動靴で……なんだか、ちょっとアンバランスな感じの格好だ。男は、学校の入口の前で1つ溜息をつくと次に、袖の中に両手をしまい、ふと考え事を始める。





「……ふむ。さてと……それで俺は、これから何処に行けばいいんだろうか?」



 入学式を終えて、自分の振り分けられたクラスに行かねばならないのだが……まだ入学したばかりの男にとって、侍塾の地理は分かりづらい。



 侍塾は、江戸の市ヶ谷に存在する学校なのだが、大学のように複数のキャンパスに別れた作りになっている。そのため、別の建物に移動する時に道路を渡って反対側なんて事もざらにあるのだ。



「……流石に案内とかがないと……新入生に初日でいきなり教室を探せだなんて……難易度が高すぎやしないか?」


 男は、ぶつぶつ文句を言いながら……建物の中に入っていき、入口近くにあるフロアマップを目にする。



「……ここでもないかぁ。だとしたら、3号館というのは一体どこに……」



 この男、入学式から教室探しを初めてかれこれ20分が経とうとしていた。





「……そろそろ教室見つけて、座りたいのだが……」


 何処にも見当たらず、探し続けている。気が付くと自分の周りには、もう誰も新入生らしき人の姿もなくなっている。




 ――やばいなぁ……。俺だけだぞ……。こんな教室探しに苦戦しているの……。



 男が、あちこちをキョロキョロと探し回っているとその時だった。背後から彼は、誰かに話しかけられる。



「……どうしたの? こんな所で。もしかして、道が分からない?」


「え……?」


 男が振り返ってみるとそこには、とても綺麗な女性が立っていた。黒くて艶々の髪の毛を後ろで結んでいて、美しい花の髪飾りをつけており、学校指定の制服である赤い着物を身に纏っている美しい見た目の女性だった。




 ――まさに大和撫子……。そして、うちの学校の制服と言う事は、侍塾の生徒か……。



 男が、そんな事を思っていると女子生徒の方が男に言った。



「……もし、場所が分からないのであれば……私が案内する」


「え……? 本当ですか!? ありがとうございます!」



「……あぁ、大丈夫よ。私も一年だから」



「え? てことは、同じ新入生か。よろしく俺は……」


 と、男が自己紹介を始めようとしたその時だった。突如、何処からともなく彼の元に誰だか知らない謎の3人の男達が現れて、男に厭味ったらしく言ってくるのだった。


「……おうおうおうおう! な~にやってんだ? コイツはぁ!」


 男達は、突然現れて彼の事を突き飛ばし出すと、そのまま地面に尻餅をついてしまった男を3人一緒に見下ろしながら嘲笑うかのような表情を浮かべて男に告げる。



「……全く何、人に頼ろうとしてやがるんだよ~?」


「ここに来たからには、自力でやり遂げる。それが、侍塾ってもんだろうがぁ?」


「……それともあれか? お前、もしかして下級武士の家の人間だろう? 田舎から来た貧乏侍が……ここに来たからって満足してやがるんだぜぇ。けけけッ!」



 3人の男達の少し乱暴な態度に怒りを覚えたのか、女子生徒は少し怒鳴った口調で彼らに告げる。



「……ちょっと、貴方達! ここで何を……」


 しかし、女子生徒が全てを言い終えるよりも前にチンピラ……みたいな見た目をした不良学生の1人が喋り出す。


「……さぁ、行きやしょう。こんな下級武士なんて置いて、早く行きやしょうぜ」



「……ちょっ! ちょっと!」



 そんな女子生徒の困ったような表情と男達が無理やり女の手を引っ張っている感じから……地面に尻餅をついたこの男の中で何か正義のようなものに響いて来るものを感じた。




 気が付くと男は、立ち上がっていて……女子生徒の手を引っ張っているそのチンピラの手を逆に掴んでいた。その事に気付いたチンピラの1人が少し怒った口調で男に告げた。



「……あぁ? テメェ、何この俺様の手をガッチリ掴んでやがるんだ! 下級武士の分際でよぉ!」



 それに対して男は、平然とした態度と全く恐れていない様子で告げる。



「……別に。ただ、上級武士ならもっとしっかり教育を受けてきていると思っていたのですが……これは、失敬。俺の勉強不足のようでした」



「……なんだとぉ? テメェ!」



 チンピラの1人が、男に殴りかかろうとした次の瞬間、男の口から……何かが小さな声で囁かれる。気が付くと、殴ろうとしていたチンピラの前から男の姿が消えている。



「なっ、何!? どういう事……」



 チンピラが、後ろを振り返るとそこに立っていたのは――!



「……おっと、これまた失敬。これくらいなら、避けられると思っていたのです……がっ!」


 男は、思いっきりそのチンピラの頬っぺたをぶん殴る。すると、彼の周りに他のチンピラが集まって来て、彼らが舌打ちなどをしながら男の事を睨みつける。



「……テメェ、何者だぁ! ただの下級武士じゃねぇな!」



 チンピラの1人がそう告げると男は、殴った方の手をぶらんぶらんと振って、チンピラ達の事を見つめると、平然とした顔で告げた。




「……風上蒼汰かざかみ そうた。それが、俺の名前でござる」



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