紫煙はからっ風に消えて

山村久幸

紫煙はからっ風に消えて

 寒空の中、俺はバイクにまたがり、ひたすら東へ東へと向かう。


 愛情にあふれた日々。それが遠くない日についえることを知って、互いに嗚咽おえつした日の夜。

 いつか迎える終わりの日のために愛し愛されを繰り返した日々。そして、終わりのときに人目もはばからずの慟哭どうこく

 とっくのとうにれたはずの涙が止めどもなくあふれた、見送りのとき


 ただ、俺の心の中に去来する想いは、あの日から二年半を過ぎても消えることはなかった。


 俺は妻の四十九日しじゅうくにちを過ぎてから、半年ほどで身辺整理を全て終えた。俺専用の新たな口座の開設、従来持っていた口座の長男への名義変更、所有していた不動産の長男への名義変更などを含めてだ。

 長男には全て分配を任せているが、しっかり者で優しい長男なので、委細漏れなくやってくれるだろう。


 いずれも、既に所帯を持ち、優しい嫁と随分と可愛らしい子どもたちに囲まれて幸せな日々を過ごす息子たち。妻が亡くなる前年に純白のウェディングドレスに身を包まれ、随分と頼りがいのある新郎と共に幸せそうな笑顔を俺たちに見せてくれた一人娘。

 妻との愛の結晶である三人の子たちがこうして幸せになってくれた姿を妻と見ることができた。ああいう風に幸せになることで親孝行をしてくれた子どもたちを育て上げることができたこと。それは俺にとって何よりの人生の勲章だ。


 身辺整理を終えてから、新たな口座にある数百万の預金を原資に全国をバイクで旅することを息子たちに告げてから二年。

 十年も乗り続けてきた愛機であるネイキッドスタイルのバイクにまたがり、暑い夏は北へ、寒い冬は南へと。

 とは言えども、妻の一周忌や三回忌にはさすが流石に戻って施主せしゅとして参列はした。俺もそこまでは不義理でもない。


 資金自体は旅の途中も何故か増えていく一方だった。それも息子たちの勧めで旅の様子を動画配信チャンネルに投稿してきた賜物たまものだ。


 そんな俺のこれまでの自分語りはここまでとしておこうか。


 ああ、冬の太平洋沿岸はからっ風が身にしみる。いくら全季節対応の装備をしたところでも、いくらフルフェイスヘルメットにネックウォーマーをして顔を守ったところでも、目の辺りには冷たい風が突き刺さる。

 左をちらりと見れば富士山も五合目まで真っ白だ。クリスマスイブを通り越して、年の瀬真っ只中の東海道をひたすら東に突き進む俺。街道沿いの建物、その門近くには門松もチラホラと見えていた。

 間に合うだろうか? 元旦までに。











 あれから俺はただひたすらにバイクを走らせ続け、間に合わせた。俺は犬吠埼いぬぼうさき灯台とうだいで元旦を迎えることが出来そうだ。

 薄闇の中、バイクのリアボックスから小さな遺影と遺骨を取り出して、初日の出を待つ。


 バイクを走らせていた間は闇に包まれていた空も少しずつ色を変えていく。


 空一面を染める深い深い青。それは実に美しく俺の心を揺さぶる。


 紫、赤、橙と色を変えていく水平線の上。恋人同士だった三十年以上も前の元旦の時も、妻が亡くなる年の元旦の時も、二人寄り添って手をつなぎながら初日の出を待っていた。あの日の妻の手から伝わるぬくもりも忘れ得ぬ思い出だ。


 ついに見えてきた。丸く赤い太陽の天辺てっぺんが。

 見えているか? 紗愛さえよ。初日の出だ。


 なあ? 紗愛さえ? 言っていなかったことがあるんだ。俺も実は今、病を抱えているんだ。これが最後の旅になりそうなんだ。

 ははは。春まで持たないってよ。酒はやめられたけれど、タバコはなかなかやめられなくってよ? 見つかったのがのどのがんだってよ。転移も進んでるってよ。

 まあ、でも俺はやりたいようにやれたからいいさ。こうして紗愛さえと共に全員子どもたちの幸せを見届けられたんだから。


 さあ、初日の出も見終えたから、あいつらの待つ家に帰るか。

 どうせなら房総半島をぐるっとバイクを走らせて帰るとするか。


 っと、その前に屋外でタバコを吸えるところ探すか。


 俺は愛機にまたがって、犬吠埼いぬぼうさきから離れてどこか適当なところを探す。


 日の出とともに多少は空気も暖かくなってきたなぁ。それでもからっ風がきついなぁ。



 ああ、いいところを見つけた。そこで吸うか。

 ポケットから水色のソフトパッケージのタバコを取り出す。実にタールもニコチンも重たいタバコだ。だが、その重たいタバコが持つ香りが俺の好みだ。


 甲高かんだかく響くオイルライターのふたが開く音。勢いよくフリントをこすれば、火はともる。その火にタバコの先を近づければ、ふわりとタバコは香りと紫煙を出す。


 俺は煙を一気に吸い込み、肺に溜め込んでから鼻から一気に紫煙を出す。

 ああ、美味しいな。あと何本吸えるだろうか? 人生で。

 家に辿り着く前にやらないといけないことは……。そんなにないか。資金は長男に全部渡せば、何もかもやってくれるだろう?


 ああ、今日は風が強いな。タバコの先からたなびく紫煙もかき消えてしまう。まるで俺の残り少ない命のように。


 あと一本吸ってから、給油と食事以外はほぼノンストップで向かうか。マイホームへ。

 意地でも今日中に着かないとな。






 ********************


 多賀たが 裕司ゆうじ。二〇二五年一月十五日没。享年五十三。

 二〇二五年一月一日夜に東京都練馬区にある自宅へ帰還。自宅に集まっていた子や孫たちとの再開を大いに喜ぶ。三ヶ日の間は家族団欒だんらんの時を送る。

 だが、明けて四日に大量の鮮血を吐いて倒れた裕司ゆうじは緊急搬送された。そして、その後はほとんど意識を取り戻すことなく、三年前に亡くなった妻の元へと旅立っていった。

 最後に意識を取り戻したのは死の一日前。妻の紗愛さえや子どもたちの名を何度も呼んでは笑顔になることも度々だった。

 裕司ゆうじ臨終りんじゅうの相は実に穏やかなものであった。

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紫煙はからっ風に消えて 山村久幸 @sunmoonlav

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