04 決着

「御簾台を?」

「カーテンがあって床が高い。出産場所に借りたいって父さんが。予定だと、あと数日は大丈夫だったはずって言ってたんだけど、この騒ぎで、今夜になりそうだって……」

「何と……」

 地下に駆け込んできたテオドールが言う。

「ありったけのお湯を沸かして、清潔な布を用意してください!」

 ベルモンテと入江姫が頷きあった。

「布ならまだ裁縫室と厨房にある。僕が手伝うよ」

「………出産の介添えなら、昔、一度だけ経験がある。館の侍女が急に産気づいた時じゃ。女大将殿には我が付き添おう。暖炉に火を。中庭に薪が積んであったはず。母君と赤子が冷えては命に関わる」

「私、お湯を沸かしてくる。厨房の竈は無事?」

 ロビンも立ち上がる。

「無事です。僕はちょっと馬を借りて、避難所に他に手が空いているお医者様がいないか探してきます!」

 地下室にやってきて、息を切らしながらも、それでもあっという間に走り去っていったテオドールを見て、

「………テオドールも、クロード先生も、そろそろ休ませてあげないと……」

 ロビンが心配げに呟く。遠くから、嵐と雷、そして大砲の尋常ではない轟音が微かに響く。

「………あちらも佳境か」

「ここまで死者を出さずに来たんだ。僕らが頑張らないと。さあ、あと少しだ」

「相分かった」

 中庭から薪を抱えた入江姫が、呟く。

「何も出来ぬまま、我はここに来た。今では、そうではない」

 悪夢のように全てを喪った日から、もう何日が過ぎているのだろう。遠い島の美しい調度品に囲まれた館の御簾の後ろに腰掛けて、この吟遊詩人が語る異国の話に耳を傾けていた、そんな穏やかな日々がもう何十年も遠く感じる。

 本来ならば、歩くことも走ることも多くはないまま、島に住まう一人の姫君として終えるはずだった一生。

 森であの不思議な騎士に助けられ、この城までやってきて、今こうして薪を抱えて階段を走っている。何もかもが、丸で想像もしていなかったことだ。しかし、

(天は、運命は、我らを何度も振り回す。しかしまだ、我らを見放してはおらぬ)

 すっかり歩き慣れたカールベルク城の廊下を駆け抜けて、入江姫が御簾台のある自分達の部屋へ飛び込んだ。



 顔に纏わり付き威嚇の声を上げながら嘴や脚の爪で容赦なく襲いかかってくる猛禽類に、ドラゴンとの視界を阻まれる。

「!! カールベルクの『鳥の魔法使い』か……!!」

 新しく即位したばかりのカールベルク女王付の魔法使いがそのような魔法を使うと聞いて、宮殿の魔法使い達が、諜報対策として宮殿付近一帯に鳥避けの魔術を施していたことを思い出す。

「この大鷲は……まさか」

『気付くのが遅えんだよ』

 心を読まれたのか、背中から声がする。激痛が走り、背に大きな爪が食い込んでいく感触。次に、誰かが背中から首へと駆け上がるぞわりとした感覚。王座の肘掛けに辛うじて掴まり、ドラゴンに命令を降そうとするも、自分の視界には無数の翼と嘴、爪しか映らない。思わず唇を噛む。

「人間如きに何が出来る」

『おいおい、心までドラゴンになってやがるのか。本当はあれは貴様みてえな奴が操っていい生き物じゃあねえ。覚えておくんだな』

 日が傾きはじめている。夜になれば『鳥』である相手の方が圧倒的に不利なはずだ。身体を大きくしならせようとした途端、首の後ろに痛みが走り、何か冷たくて固いものが銀の鎖の下に捻じ込まれていった。



 鉄梃をドラゴンの首元の銀の鱗の隙間に差し込み、力を込める。破裂音の様な音と共に、鱗が一枚吹き飛んでいく。

(やはり、そうか)

 銀の鱗の下が、虹色に光っている。この忌まわしい銀色に輝くドラゴンの中に閉ざされている存在こそが、本来の、入江姫の言っていた『龍』なのだろう。

 本来ならば穏やかで幸せな場所で生まれるべきはずだった存在。

 たった一人で家の玄関の柳の下、顔も見たことがない父というものが一体どういう存在だったのかぼんやりと考えていた、そんな少年時代の思い出がふと頭を過る。

 アンジェリカとオルフェーヴル、城にいる二人はこのまま、幸せな夫婦になるだろう。そうでなければならない。家訓に反してまで妊婦に負荷をかけさせてしまったことを心底詫びながら、血塗れの手袋を投げ捨てると、今度は鉄梃を、ドラゴンに何重も巻き付いている鎖の首元の下に、力の限り捻じ込むように差し込んでいく。

「………荒療治になってしまうな。龍よ、許せ」

 銀色のドラゴンが長い鎌首をもたげようとするが、首の鎖に挟んだ職人用の頑丈な鉄梃がそれを妨げる。

「帝国の王よ」

 これほどの巨大な『銀の鎖』を使ってドラゴンを使役しているのが誰なのか、まさか背中の騎士に知られているとは思ってはいなかったのだろう。紅い目の奥の銀の光が一瞬驚愕に揺れる。その銀の光を見据えながら、壮年の騎士が『花の剣』を腰から抜いた。

「………我が名は、ゴードン・カントス・ミーンフィールド。我が森での『歓待』、楽しんで頂き、光栄至極」

 そして息を大きく吐き、一枚剥がした鱗の痕に、力いっぱい細身の剣を突き刺した。凄まじい、これまでに世界の誰もが聞いたことがないような、空を斬り裂くような咆吼が響いて、空が憎しみを帯びた血のような色に一段と赤く禍々しく染まる。

「総員、退避せよ!!」

 力の限り叫び、ミーンフィールド卿がドラゴンの背中から空中へまろび落ちるように飛び降りた。猛禽達が矢のように森の木立の中へと飛び込んでいき、大鷲がドラゴンの背から爪を離して翼をすぼめ急降下し、空中で卿の腕を掴む。 

 途端に、前も見えない様な雹と霰の嵐が巻き起こり、一人と一羽を激しく巻き込んだ。腕や顔に巨大な雹が激突し、一人と一羽が落雷で割れた木に磔刑のように激しく叩きつけられる。腕と背中に凄まじい衝撃が走り、吹き飛びかける意識の中で、それでもミーンフィールド卿は息を整えなおすと、自分を庇い翼を広げて雹や霰から庇おうとする大鷲に、そっと告げる。

「………ファルコ・ミラー、女王陛下の大鷲よ。永遠に甘く美しい蜜はもう掬えたか?………そうだ、元に戻る時間だ」

 途端に、光が弾けるように大鷲の姿が消えていき、ファルコが元の姿へと戻っていく。緩やかに気を失って樹から地面へ落ちていく魔法使いを、微かに光る森の緑の枝達が伸びあがり、包み込むように降ろしていく。

 憎しみよりも赤く染まる禍々しい空に、雷鳴が鳴り響く。ドラゴンが、そして、ドラゴンの向こう側の銀の瞳が、空から自分を睨めつけ、肌を刺すように静電気が走る。口の中に溜まった血液を吐き出し、顔の半分から大量に血を流しながら、叩きつけられた樹の上で壮絶な笑みを浮かべて、ミーンフィールド卿は言った。

「………王よ。『歓待』の時間は終わりだ。銀の玉座で、休まれるがよい」

 その途端、ドラゴンの背中に刺した細い剣と、首元に巻き付けた鉄梃へ、ドラゴンが自ら森へ、そして目の前の騎士へ落とそうとしたはずの全ての雷が、一気に吸い込まれるように落ちていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る