03 森の決闘

 森の木霊のような、高く、低い、様々な音が、王の耳の奥で鳴り響き、集中力をじわりじわりと蝕んでいく。

(………魔法的干渉をされている)

 この森は自分を拒んでいる。ドラゴンを、というよりは、この帝国の王たる自分を、銀を纏いあらゆるものを操る魔術を決して赦さない、怒りによく似たそんな感覚が微かに肌を粟立たせる。

 街道の外れの一カ所開けた場所に、庭と館が建っているのがドラゴンの目を介して見える。大鷲がそちらに方向を向けた。

(開けた場所に出るつもりか。こちらとて好都合。この森はどうも予には合わぬ………)

 部屋の鏡を見つめると、銀色のはずの自分の目が紅く爛々と光っている。獣の目そのものだ。

(………たかが蠅に時間を食われてはならぬ。だが、この緑の森はどうも、城より先に滅ぼすに値する場所だ)

 再び空が紅く染まり、雷鳴が轟く。風が巻き起こり、大量の雹や霰が吹き荒れた。



『あのド畜生。ここにきて本気を出しやがった!!』

 大鷲が思わずその姿に相応しくない罵声を吐き捨て、森の方へ身体を翻す。

『ゴードン、大丈夫か』

 礫ほどの大きさの雹が容赦なく降り注ぐ。カーテンのタッセルを握り、ミーンフィールド卿が返事を返す。

「………森の仕組みに気付いたらしい。ここは我が母の森。亡き父の名にかけて、『銀』で操られた者が踏みいることを赦さない、そういう場所だ。森を滅ぼしに来たか」

 降り注ぐ雹を避けて森を低空飛行し、ファルコが大きな嘴を悔しげにがちりと噛み合わせて言う。

『このままじゃまずい』

 木々の細い枝が折れて飛び交い、太い幹にも氷の礫が無数に刺さる。雷鳴が轟き、上空からは雷が幾重にも落ちてくる。真後ろの木が真っ二つに避けて倒れてくるのを躱し、無数に翼を打つ拳より大きな雹を打ち払う。

『一度落ちたら………再度飛び上がろうとしてる間に間違いなくあの雷で黒焦げだ』

「………だろうな」

 ファルコの大きな翼のあちらこちらに血が滲んでいる。翼や尾羽が何枚か抜け落ち、霰と雹の嵐に吸い込まれるように後ろに散っていく。自分の頬や腕にも大粒の雹が霞め、血飛沫で視界が滲む。

「……帝国はどうも私の顔に傷を増やすのが好きらしい」

『馬鹿野郎! また増えたのか!?』

「もう少し威厳が欲しいと思っていたところだ、気にするな」

『それ以上強面になったら騎士どころか山賊顔だぞ』

「それは少々困る。だが公の場に私が出れば女王陛下に下心満載の有象無象の貴公子共が近寄って来なくなるな。つまりお前にとっては朗報だ。しっかり飛んでくれ。私のことは気にするな」

『………お前ってやつは! あとできちんと治療しろよ! お前に何かあったらロッテに何て言えばいいんだ。考えたくもねえこと考えてる暇はねえんだよ!!』

 目前に落ちてくる雷をぎりぎりで躱す。

「……もう一手あればな」

『全くだ。畜生、うまいこと近付けやしねえ……』

「機会は必ず来る。今は冷静でいろ。それだけでいい」

 頬の血を革の手袋で拭い、ミーンフィールド卿が目を細める。ファルコがドラゴンに視線を投げて呟く。

『……そうだったな。『肉体の変容は、魂まで変容させることがある』……あちらさんは圧倒的だが、どうも、ドラゴンに引きずられ気味だ。それでもまだ、人間の理性を残してやがる。誰が操ってるんだか知らねえが、普通の魔法使いじゃあねえな………」

 ミーンフィールド卿が静かに言う。

「………知らない方が、気楽にやりあえることもある」

 大鷲が、数秒の間の後に大きく頷いた。

『はは、違えねえな。俺達ゃ相手が誰だろうが、売られた喧嘩は熨斗つけて倍額にして帰す主義だ。それだけでいい』



 クロード医師を背負い、広間に入っていくテオドールが、広間を見渡して聞いた。

「そういえば、ロッテは………森へ、行ったのですか」

「危ないから待つように、と言われているけれど……何も出来ないのは、歯痒いものね」

 女王陛下とテオドールが顔を見合わせる。

「……ファルコさんのお部屋の鳥達は、どうしてますか? 女王陛下のご命令なら、もしかすると……」

「テオドール、あなたちょっとゴードンに似てきたわね。使い魔のロッテがいれば、ファルコの鳥達に『代理で』命令を出せるはず。クロード卿、今の話、内密でお願いするわ。それと、鳥達に中庭の医療道具をもう一度かき集めてきて貰うわね。……あくまでも、念のためよ。生きて帰ってくるとは約束したけど、あの二人がどんなに無理・無茶・無謀な冒険をしていたのか、思い出したわ………」

「お師匠様は、あんまり話してくれませんが……」

「聞くのならラムダ卿あたりがいいんじゃないかしら」

「やっぱり後できちんと聞いてきます」

「それがいいわ。それとテオドール、無理・無茶・無謀の三点だけは、あの二人を真似しちゃ駄目よ。あの二人ったら、あなたのお祖父さまの胃に穴を開けそうなことばかりしてたんですもの」

 あの厳格な祖父の胃に穴を開けるような所業、というものは一体何なのか、今考えるべきものではない、とテオドールはそれを後回しにすることに決めた。そして、女王陛下が真っ赤な空を力強い眼差しで睨みつけるように見上げて、言う。

「でも、その主君は私。そう、ここにいるのは……そんな二人の『主君』なのよ。ただ待つだけの女じゃないわ。じゃあ二人とも、私はもうひと頑張りしてくるわね」

 そして早足でバルコニーのロッテのところへ駆けていった。その眩さに、思わずテオドールは深々と礼をする。数秒後、バルコニーにいたロッテが舞い上がり、ファルコの部屋の窓へと飛び込んでいく。

 その数秒後、鷲や隼といった勇猛な猛禽類達が部屋の窓から一斉に、まるで弾丸を放つように森へと飛び出していった。小鳥達が中庭に舞い降りて、あちらこちらに置かれたままの医療道具をかき集めはじめる。

「それで、臨月の妊婦か。暖かい床がある部屋は」

「入江姫のお部屋なら……いっぱい色々な敷物が敷いてあります」

「そちらへ移動しよう。テオドール、降ろしてくれ。このご婦人に私の車椅子を持ってくるように」

 テオドールが階段下へ駆け出す。

「お医者様が城にいてくれてよかったよ。まだ今のところは、大丈夫だけど。ああ、クロード卿ってもしかして、ローエンヘルム卿の……」

「かつて近習でした。今は医師をしていますが」

「ローエンヘルム卿の近習が片脚を無くした話、昔、お父様から聞いたよ。こんな形で会うなんて」

「失礼ですがご婦人、あなたの御父上は」

「前法務官ジャコモ・セルペンティシア卿。私は養い子にして一人娘のアンジェリカ。第三席。騎士団長なのにこんなところで転がってて、みっともないね……」

「第三席は『風の魔法使い』を兼ねているとお聞きしています、もしや」

「さっき最後の大仕事をしたばかりだよ」

「……腹部を、拝見しても?」

 カーテンをそっとめくり、クロード医師が問う。

「………成程、奥さん、食欲は」

「割とあるよ。そういや昨日あたりからだっけ」

「つまり、子ども達が腹部を少しづつ下がってきているようですな。胃を圧迫しなくなっているのでしょう。………今夜から明日ですな。よくこの緊急時に早産しなかったものです。最も、まだ緊急時であることに代わりはありませんが」

 アンジェリカが息を吐いて聞いた。

「お父様があの世で守っててくれたのかもね。あのトンチキとボンクラが帰ってくるのを出迎えてやりたかったけど、どうも無理な予感がするよ」

「その薬箱は」

「お産に必要な薬が一式入ってるってさ」

 思わず薬箱を開けて効能を読み、クロード医師が息を吐く。

「どなたか知りませんが、良い薬師がいる」

「テオドールのお師匠さんだよ。ボンクラのふりしてやたら有能だから困るんだ」

「………ミーンフィールド卿が?」

「ああ、そっか。あいつが『緑の魔法使い』だって意外と知られてないんだっけ……。あいつ、あんないかにも騎士でございって言わんばかりの見た目してるのに、薬師の家生まれなんだよ」



 突如として、大砲の音が響き渡る。

『あれは!?』

 一人と一羽が目を見張る。

「落雷が来る!! ありったけ撃ったら大砲を捨ててすぐに森へ逃げ込め!!」

「了解です!! 俺達ゃ北の民は悪天候には慣れてるんですぜ!!」

「羨ましいな。こんな雹や霰など初めて見たが、南の民へは良い土産話だ。全員、あと少し頑張ってくれるか!」

 一隊を率いて声を上げている体調らしき男が、自分達の知っている誰かに似ている気がする。そんな男の肩に、一羽の燕が止まっている。

『あれは……ガエターノだ』

「……そうか、もしや、オルフェーヴルの兄君かもしれない。街道を守ってくれたという」

 怒るドラゴンが雷を大砲に落とすよりも早く、兵士達が森の茂みへと飛び込んでいく。

『見たところ、大砲はあと五基か。五発撃てたら御の字だな』

「………隙が出来るかもしれない。空を注意して見ていてくれ」

『背中に降ろせって言ったが、その後はどうするつもりだ』

「………あの銀の鎖さえ破壊してしまえば、ドラゴンが暴れることはなかろう。危ない賭けだが、策はある。合図をしたら全力で下降しろ。私は飛び降りる」

『何だと』

「というわけだ。諸々は任せたぞ」

 大鷲が、鷲らしからぬ息を吐く。

『昔からお前はそういう奴だったな。肝心なところで意外と大味なんだよ』

 途端に、紅く染まった空よりも遥か高くから、絹を裂くような独特の鳴き声が響き渡る。大砲に気を取られていたドラゴンに、ありとあらゆる種類の猛禽類達が急降下し。一気呵成に嘴や爪を向けて襲いかかっていく。ファルコが仰天して声を上げる。

『お前達、何故ここに………そうか、ロッテとエレーヌか!!』

 しかしその機を逃すまいと、一気に空へと舞い上がる。大小様々な猛禽類達が、ドラゴンの視界を遮る様に、顔に群がっていく。

『頼んだぞ、相棒!』

 ドラゴンの背中の上まで一気に舞い上がった大鷲が、大きな脚の爪でドラゴンの長い胴体の中心を、空中で押さえつける。

「任された。鳥達にも伝達を。合図をしたら全力で離れろ。今からこのドラゴンの背中に、雷を落とす」

 ミーンフィールド卿が、大鷲の背中から大きく揺れるドラゴンの背中へ飛び移る。そして革の手袋で銀の鎖を掴み、言った。

「……銀の鎖、そうだ、これは我が家にとっては仇討ちのようなものだ。失敗など、するつもりはない」

 大鷲が、暴れようとするドラゴンの背中に脚の爪を食い込ませ、ありったけの力を込めて言う。

『生きてたらその誉れ高き騎士の仇討ちとやらを、鳥達皆で大陸中に広めてやるよ。ただしうっかりしくじった場合は、世界中にお前の無茶っぷりを二十年分まとめて吹き散らかしてやる。気張れよ!!』

 ドラゴンの背中に飛び移ったミーンフィールド卿が、微かに口元で笑って返し、波打ち揺れる銀の背の上を走りだした。

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