第10話 帰還
01 虹の龍
花火のように巨大な火花が飛び、銀の鎖が粉々になって弾け飛ぶ。同時に、焦げ付くような匂いと共に雨のように一帯に降り注ぐ。
割れるような金属音が響き渡り、身体の細くまだ幼い孔雀色の鱗の『龍』が、落雷で首元から真っ二つに裂けて砕けてゆく銀のドラゴンの首元から、鳥が孵化するように現れる。そして、空中でゆらゆらと孔雀色に輝きながら、ミーンフィールド卿の館の庭に降り立った。
地上のアルティス軍の兵士達が目を見張り、目を開けたファルコが大きく息を吐く。樹上にいたミーンフィールド卿が、緑に光りながら揺れる木の枝とファルコの鳥達に助けられながらゆっくりと降りてきた。
「ひでえ面だな」
「全くだ。……そっちはどうだ」
「大鷲に変身してなかったら……とっくに死んでただろうな。背中にまだ……いくつか雹が食い込んでやがる。それより………頭が割れそうだ。魔法を使い過ぎた。ひどい安酒を樽五杯分飲まされた翌日みたいな気分だ」
「あちらは樽五杯じゃ済まなかろう」
二人が、庭に咲いている花を興味津々の瞳で鼻先で突いている龍に視線を投げる。
「……とりあえず、当面の危機は去ったな」
「ああ」
全身あちこちから血を流し、雷鳴が掠ったのか片腕が焼けている。
「目と腕と脚と……肋骨をやられたな。息を吐くと痛む。首と背中が折れずに済んでいるだけ……まあ良しとするが、さすがにこれは重傷だな」
「………お前、本当によく生きてたな」
「約束通り……後で一番いい葡萄酒を出してやろう。だが……」
二人とも、立ち上がる力もない程疲弊している。そこに、声がした。
「………もしや、ファルコ殿とゴードン殿では」
アルティス軍を率いていた男である。
「オルフェーヴルの手紙によく綴られていました。カールベルクには少々規格外だが頼もしい魔法使いと騎士がいる、と。私の名はヘクターと申します。アルティス王国のカンタブリア領から参った次第」
「ご助力、感謝する。やはりオルフェーヴルの兄君でしたか。見苦しい姿で失礼」
「あいつ一体、俺らのことを何て書いたんだ……」
夕焼け空の後の深く青い空を見上げて、ファルコが言う。
「速く伝言を飛ばしたいところだが、日が暮れると鳥は飛ばせねえんだよなあ。フクロウ共が来てくれるのを待つか……」
「女王陛下はカールベルク城に?」
「ああ」
「我々で良ければお運びします。大砲台ですが」
「お言葉に……甘えさせて貰うぜ。俺はなんとか生きてるが、この相棒の方が傷が重い」
「地上から見ていました。あのような無謀をなさるとは。………ところで、どうやって、どんな武器であの銀の鎖を解いたのです」
ミーンフィールド卿が答える。
「……こんな日も来ようかと、銀の鎖を断ち切れる金切鋏を発注していましたが、先程の地震で間に合わず……ちょうど、知己に家具職人の未亡人がいましてな。鉄梃を借りたのです。雷を落とそうとすれば、必ず、鉄に落ちる。堅い鱗を剥がせば、剣も通る。そういう次第」
「鉄梃ですと!?……成程、あなた方が『規格外』なわけです」
アルティスの兵士達が大砲台から大砲を下ろし、代わりに二人を運び込む。すると、庭から孔雀色の小さな龍がぱたぱたと音を立てて飛びあがり、そんな二人を載せた大砲台に潜り込もうとする。ぎょっとする一同を前に、
「なんだお前、妙に人懐っこいな。まてよ、これはあれか、刷り込みか………」
「ああ、あの、雛がはじめて見た者を……親だと思い込む現象か。……つまり、生まれたての子どもを庭に置き去りにしても、良いことはなかろう。……城に連れて行くしかないな」
「俺とお前どっちが親父なんだ。鳥さえ喰わなきゃなんとかなるが」
「旨い果実なら……森にいくらでもあるがね。もっともこの騒ぎで手入れが必要だが……」
龍が、全身傷だらけの男達の隣で丸くなる。
「……帰ったら入江姫に会わせてやろう。きっとさぞ喜ぶことだろう」
「………このちいさな生き物が、我らの城を木っ端微塵にしたとは思えませんが……」
「帝国の魔法使いか誰かの仕業だろうぜ。こいつは『龍』で、ドラゴンに近いが見ての通りもっと別のものだ。それに『銀』をおっかぶせてとんでもないことをしやがったってわけだ。どうも只者じゃなかったが………」
ミーンフィールド卿が言うまいか言わないか考えた後、まだ開くことの出来ていた方の片目を閉じる。
「とにもかくにも……これでカールベルク城は無事だ。アンジェリカを見舞ってやりたいが、無理そうだ。ファルコ、少し私は眠る。城に着いたら……起こしてくれ」
「そのままお陀仏するなよ」
「了解」
息を吸うと痛む胸で溜息のように息を吐き、するりとやってきた龍を一つ撫でてやってから、ミーンフィールド卿は目を閉じた。
城まで揺るがすような咆哮と轟音が、ぴたりと止まる。横たわるアンジェリカが呟いた。
「………あちらは、決着が付いたようだね」
薬瓶を手にしたオルフェーヴルが、暮れる窓の外を見る。紅い空が、静かに青くいつもの夕暮れへと変わっていく。
「二人は無事だろうか」
「………大丈夫さ。オルフェ。私の出産費用と出産祝いと託児所の件、あいつらの給金からがっつり天引きしておいて」
「任せてくれ。算術の腕が鳴るよ」
妻の手を握るオルフェーヴルが微笑む。
「流石は女大将じゃのう」
暖炉に火を入れて部屋を温め、湯と清潔な布、煮沸した鋏を用意して足元に座る入江姫が言う。
「………いいや、こんな緊急時なのに、まるで役に立てなかった。騎士団長失格だね」
アンジェリカが唇を噛んでぽつりと呟く。
「否、あれは素晴らしい風であった。女大将殿、我はおぬしのような力強き術者をこの目で見たのは初めてぞ」
オルフェーヴルが微笑む。
「君はやれることをやったんだ。誇っていい」
「……ありがとうよ」
そんな彼女の額に脂汗が滲む。
「そろそろかな」
息を吐いて吸うのを、何度も、何度も繰り返す。緊張感に満ちた部屋のドアが静かに開き、そっと女王陛下が入ってくる。無言でオルフェーヴルの反対側に座ると、アンジェリカの手を握りしめた。
「力一杯握って」
「折れちまうよ」
「そのくらい平気よ。折るくらいの気合があった方がいいんじゃないかしら」
再び扉が開き、今度は一人の老婆を連れたテオドールが入ってくる。
「ま、間に合いましたか。助産婦さんを、連れてきました」
「いいタイミングよ。これからはじまるわ」
「父もいます」
助産婦の老婆が言った。
「………この城で働くのは二度目でのう」
思わずテオドールが問い返す。
「一度目は?」
「わしがまだ駆け出しだったころじゃ。先王様のパレードのあった年じゃったな」
老婆がお湯で手を洗い、入江姫の隣に座り込む。
「理由はもう忘れてしもうたが、この城に勤めていた薬師の女性が、早産になってのう。早産だというのに大きく丈夫な子を無事に産み落としたことは、妙に覚えておるんじゃがな。何故かその薬箱を見て思い出したんじゃよ。……さて、気丈に振る舞っておっても、出産とは人生の一大事よ。双子となれば尚更じゃ。じゃが、気を楽にしなされ。女王陛下まで付き添いの出産とは豪華なことよ」
助産婦の前にまで薬箱が回され、車椅子に腰掛けたクロード医師が、御簾台の脇に待機する。
「避難所の医師達が戻ってくる。第一席と父上も」
「はい。それと……お師匠様達も、森から、きっと」
「………何かあったら呼びなさい」
「はい」
ロッテがいないのは、バルコニーだろう。夜の帳が降りてしまえば鳥の瞳では見たくても見られないものを待っているはずだ。ロビンがお湯を張った盥を持って部屋に入ろうとし、そっと心配顔のテオドールに言う。
「ロッテとベルモンテ君がバルコニーにいるよ。ロッテを励ましてやって。それと、しっかり休んでおくれよ。働きづめだろう?」
「だ、大丈夫です」
「………男の人は皆そう言うんだけど、私に言わせれば男の『大丈夫』は肝心なときにちっとも信用ならないからね。さあバルコニーで、ちょっとだけでも休んでおいで。お師匠様の帰りも気になっているんだろう?」
ロビンがテオドールをそっと抱き寄せて、すっかりくしゃくしゃになっている赤い髪を指先で梳いてやる。
「よく頑張ったよ。この一日ですっかり成長しちゃってさ。ああ、いつか坊ちゃんとこうやってお話し出来る日も、来なくなるのかな。寂しくなるよ」
涙が出そうになるのを喉の奥でぐっと堪え、テオドールが言った。
「いいえ……いいえレディ・アーゼンベルガー。僕はあなたの家の、真っ白なテーブルクロスに刺繍をいれたいって思っています。明るい柄で、もう、二度と寂しくない、そんな刺繡をです。おせっかいですよね、きっと………」
バルコニーから微かに美しい琴の音が聞こえる。ベルモンテがロッテを慰めているのだろう。ロビンが、テオドールを抱きしめたまま、ぽつりぽつりと呟く。
「……いいや、そんなことはないよ。私はきっと、寂しかったんだ。『寂しい』だなんて一度だって口に出して言ったことは、なかったはずなのにさ。それに、坊ちゃんは気付いてくれてたってわけだよ。ありがとう」
子どもにするように優しく抱き寄せたつもりが、もしかすると存外そうでもないのかもしれない、とロビンは思わず目を閉じる。
「その時まで、ちゃんと待っているよ。糸車も修理したんだ。ああ、そうだ、久しぶりに私が紡ぐのも、悪くないね。いつか、糸を、取りに来てくれる?」
「はい。必ず。お約束します」
自分を抱き寄せてくれた優しい手を握り返して、騎士達がするように、その手の甲に不器用に唇を寄せる。ほんの僅かに膏薬の匂いが残る、傷だらけだが『美しい』手。
傷だらけの手が何故にこうも美しいのか。この美しい手のことは、他の誰にも知られたくない。そうテオドールは考える。しかし、亡きアーゼンベルガー氏、あの気の良い『旦那様』は、この手の美しさを知っていたのだろうか。何故か少し、胸が痛む。一体この気持ちは何なのか、この気持ちは自分の胸にあっていいものなのか、それすらもわからない。
自分がよく知っていて、まだ知らないはずの、色んな思いが入り乱れ、テオドールは脇目も振らずにバルコニーへと駆け出していった。
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