06 鐘の音

『ゴードンさん、テオドール!!』

 もうすぐ森の街道を抜けて、街の石畳が見えてくるその分岐点に近い場所で、聞き慣れた声が空から響く。馬上で手綱を片手に持ち替えて、ミーンフィールド卿がもう片手でロッテを呼び寄せる。

「ロッテか。街と城の様子はどうだ」

『街の建物はあちこち倒壊して大変よ。鳥達総出で救出に出ているわ。それと、ロビンさんも無事よ。工房の鉄梃で、家具の下敷きになってる人を助けて回っているの。城の中庭は救護室になっていて、騎士達は大広間に集合よ。それとテオドール! あなたのお父様はそのロビンさんが助けてくれたのよ!』

「何だって?!」

『ええ! あなたのお母様へもお手紙を出したわ。心配は不要よ。お父様は先代騎士団長様達に呼び出されて、今は救護室で働いているわ。五十席以下の騎士達は皆、町で救助活動よ。ラムダ卿が町の地図を集めてくれているの。お城を開放して怪我人や動けない人を収容中。それで、お城の皆は無事よ。怪我はないわ。アンジェリカさんも、入江姫達も』

 ミーンフィールド卿が微笑む。

「テオドールの御父上に頼みに行く手間が省けた。流石はローエンヘルム卿だな」

「僕、ロビンさんにお礼を言わなきゃ……」

『今は城下を走り回ってるけど、後でお城で会えるはずよ。お礼は、その時にたっぷり言ってあげて!』

「はい!」

 今さっき抜けてきた森が一斉にざわめく。思わずミーンフィールドが馬上で振り返ると、紅い空と雷鳴が、先程よりやや近づいてきて見える。そして、森の街道を駆け抜けてきた二人の遥か遠く後ろで、雷とは違う低い音が微かに響く。

『様子が変よ。今の音は何かしら、生き物の声じゃないわ』

「あれは……大砲の音だ。ロッテ、先に城に行くんだ。テオドール、全力で駆けるぞ!!」

「はい!!」

 そんな自分達を呼び寄せるかのように、前方遥かから鐘の音の音が聞こえてくる。二人が同時に馬に鞭を当て、白い小鳥がひらりと舞い上がった。



 窓から矢のように飛び込んできて、小さな肩で息をしながら、そのままぺたりと長い翼を広げて机の上で目を回している燕を見て、ファルコが声を上げる。

「おい、ガエターノじゃねえか! どうした、お前、無理をしすぎたな。今水と栄養をやるから待ってろ……何だって? 火急の用だと?」

 部屋中に大小様々の鳥達がひしめいている。主人のオルフェーヴルに似た、律儀で温厚な性格らしからぬ、只事ではない様子の燕をファルコは両方の掌で抱え上げてさすってやりながら、息も絶え絶えに話しはじめる燕の一言一言に、耳を傾ける。

「アルティス王のところまで行ったのか。よく間に合ったな、流石はお前だ。それで、無事なのか?………城が、そうか、それで……オルフェーヴルの実家? 成る程、九死に一生だったわけだ……」

 ウンウン、と力なく頷き、なんとか息を吐いてガエターノはファルコに、見てきたものと聞いてきたもの全てを話し出す。

「で………街道に、大砲を? ちょっと待て、何だと、『城』が、狙われるだと………」

 ファルコの顔から血の気が引いていく。

「まずい」

 ガエターノを両の掌に抱えたまま、開いた扉から嵐のように飛び出した。混み合う階段を人を押しのけながら走りつつ、

「何時間持ちそうだ、その大砲とやらは………そうか、だがないよりマシだ。あの地震から一時間でアルティスまで来る速さだ。尋常じゃない。ああ、くそ………」

 大広間に飛び込んで、

「エレーヌ、アンジェリカ、ちょっと来い! 話がある!!」

 ファルコが声を上げる。思わず言い返そうと振り返ったアンジェリカと、何時もより切羽詰まった声に気付いた女王陛下が息を呑んだ。

「どうしたのさファルコ、あんた真っ青だよ。それに、ガエターノじゃないか! 無茶はするなって言ったじゃないの………」

「何かあったのね。すぐに話して」

「ああ」

 そこに、薬箱を片手にオルフェーヴルが駆け込んでくる。

「ミーンフィールド卿が先に城へ行け、と。遅くなってすまない。アンジェリカ、これは卿からの預かり物だ。体調は?」

「………たった今、私の体調どころじゃない話が来たよ」

「何だって?」

 エレーヌが空を仰ぎ、呻くように呟く。

「私の判断が甘かったのね、ああ、まさか『城』を狙ってくるなんて、この城こそが、この国で今一番安全だと、思っていたのに……」

「いや、エレーヌ、お前の判断は正しい。良いから落ち着け、ゴードンが来たら、俺とあいつでなんとかしてやる。多少の時間は街道のアルティス軍達が稼いでくれている。逃げ出せるやつは今すぐ退避だ。動けない奴らはもう、城に残すしかない。城内で一番安全な場所へ移動させてくれ」

「アルティス王?」

「お前の兄貴は有能だなオルフェーヴル。それとガエターノもだ。アルティス王は九死に一生だが生きている。城は粉々らしいがな。お前が到着したってことはゴードンはだいたいあと三十分後か……アンジェリカ、オルフェーヴルに説明してやってくれないか。エレーヌ、騎士団総出で避難開始だ。………それに俺にあと三十分時間をくれ。『鳥の魔法使い』として頼む。入江姫とベルモンテは?」

「救護班を手伝っているわ」

「話を聞いてくる。何か方法があるかもしれない」

 アンジェリカが言う。

「………ファルコ、鍛冶場からあの剣を持ってきていい?」

「………いや、そうさせないようにするのが俺の仕事だ。何のためにゴードンがその薬箱を持たせてオルフェーヴルを先に送り出したと思ってる。三十分くれっていっただろう。俺が『悪知恵』を働かせる時間だ。『悪巧み』担当は三十分後にご到着だ。昔取った杵柄を見せてやる。その間、騎士団総出でキリキリと皆を避難誘導しておいてくれ」

 遠くから微かに大砲の音が聞こえる。

「………アルティス城が完全に陥ちる頃だ。来るぞ」

 全員が息を呑む。

「クソ、森からこっちは俺らのシマだ。ドラゴンだろうが帝国の野郎共だろうが知らねぇが、一歩たりともこっちにゃ入れてやらねぇってんだ………」

 思わず往年の言葉遣いで呟くファルコの肩に手を置いて、エレーヌが言う。

「懐かしい森ね。一度身代金目当てで誘拐されて軟禁されたこともあったけれど。あれは何年前だったかしら。ファルコ、覚えていて?」

 こわばったままだったファルコの口元から場違いな笑みがこぼれ落ち、青ざめていた顔に、生気が戻る。

「………俺とゴードンで助けに行ったんだったな。森の中でやりあうんだったらあの第五席の得意技だ。そう、森だったらな……」

 顎に手を当てて大広間の中を歩き回っていたファルコが、ふと立ち止まる。

「アンジェリカ、お前の魔法、『風』だったな」

「そうだけど、ドラゴンを吹っ飛ばせたらもうとっくにやってるよ」

「後で相談することがあるかもしれねえ。だから今はその薬を飲んでちょっと休んでてくれ。そうだな……一仕事、頼むかもしれないことがある」

「………了解。私への頼みごとなんて珍しい。お代は高いよ」

「領収書で寄越してこいよ。俺は鳥頭だから書類がねえとツケなんて一瞬で忘れるんだ。入江姫達のところへ行ってくる」

「わかった。あとはうちらに任せな。さ、陛下。うちの有能な魔法使い様が立派な悪知恵を発揮してくださる間に、陛下は陛下のなさるべき事を、なさってくださいな」

 女王陛下が微笑んだ。

「ありがとう。その通りね」

「私は隣の小部屋でちょっと休むから、オルフェーヴル、頼んだよ」

 オルフェーヴルがアンジェリカに薬箱を渡して言った。

「薬箱は置いておくけど、きちんと効能を読むんだよ。お酒と違って一気飲みしていいやつじゃないんだからね!」

「もう! わかってるよ。おいで、ガエターノ。無茶させちゃってすまないね。こんなに頑張ってくれるなんて思わなかったよ」

 まだ少しヨロヨロしている燕が、ぺたぺたと机の上を這ってくる。

「後で特製の栄養剤を持って来てやるよ。人間だったら百年分の報酬をやってもいいくらい働いてくれた。おかげで助かったぞ。じゃあ救護班のところへ行ってくる」

 急ぎ足で出て行くファルコを見送り、女王陛下も近くの従僕を呼び止めて言う。

「騎士団収集の鐘をもう一度鳴らして。皆に状況を説明します。ラムダ卿はいて? 地図をここに全て持ってこさせるように」

「かしこまりました」

 まだ若く経験も豊かではない女王陛下。それが自分である。重々承知していたことだ。焦っても、怖がってもいけない。そして、幸いなことに、自分は一人ではない。生まれたときから今まで、誰かに支えられながら生きてきた。

 今度は自分が皆を支えなければならない。

 しかしながら自分はまだ脆く、自分を支えてくれる者達が一人でも欠けてしまったら、決して『女王陛下』は務まらない。それでも、鐘の音が鳴り響く。

 城に。城下町に。自分が守らねばならぬ場所を示すように。

 エレーヌ・フェルメーア・リ・カールベルク。『騎士と魔法使いの国』を率いる二十二歳の若き女王陛下が、大広間の大テーブルの上に置かれていた細い指揮棒を手に取って、静かに大広間の自分の椅子に、背筋を凛と伸ばして腰掛けた。

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