第8話 竜と鷲と花の剣

01 迫りくる竜

「翼か頭を狙え!!」

 普段は閑静なはずの森の中に、大砲の音が響く。

「駄目ですヘクター卿! 当たってはいるようですが、あまり効いていない……」

「矢も無駄だったと言っていたな……何か魔法的なものだろうか。アルティスには魔法使いが少ない……だが嘆いていてもしょうがない。大砲も効かないとなれば、そうだな、とにかく進路を妨害するんだ!」

「了解です!」

「ドラゴンが降りてきたら、大砲を捨てて森へ逃げ込め! 私達に興味は持たないはずだが、大砲に怒ることはあるかもしれない」

「わ、分かりました。存分に……挑発してやりましょう!」

 威勢はいいが、やはりドラゴンと対峙するのは誰とて恐ろしいのだろう。声の震えている兵士達に、ヘクター卿は瞬時考えて言ってやる。

「よし、皆よく聞け!! 我らアルティスの力で『麗しの』カールベルクを助けた暁には、若く美しく宝石よりも美しいと称されるあの女王陛下が、粒揃いの真珠の如きの如き侍女達と共に、我が国の舞踏会に馳せ参じて下さるかもしれぬ!!」

 北部と南部の兵達が揃って歓声を上げる。この事後承諾満載の叱咤激励を、頭の中でこっそりカールベルクの女王陛下に詫びつつ、弟に何と手紙を書いていいものかをこっそりと考えながら、オルフェーヴルの一番上の兄、カンタブリア家の長男ヘクター卿が小さく息を吐く。

(ガエターノの速さならもう情報が伝わったはず。カールベルク城では避難がはじまっている頃合だといいが。もう少し時間を稼いでやりたい)

 弟とその臨月の妻が住まう国。二人とも要職に就いているという。城に、女王陛下に何かあれば生きては会えない、そんな気さえする。街道に次々に大砲を設置していきながら、ヘクター卿は言った。

「頼んだぞ、皆」

 迫り来るドラゴンが、霰のように地上から発射される大砲の弾を前に速度を緩める。

「高度を上げようとしたら翼を狙え!」

「了解!!」

「襲いかかってきたらすぐに逃げるんだぞ。敵う相手じゃない」

 普段は協力しあうこともないアルティス王国北部と南部の兵士達が一丸になって、大砲を運び、撃ち、そして大砲台を運んで森を走る。

「ああ畜生、一矢報いてやりたいんですがねえ。うちの城を粉々にしやがって!!」

「でもカールベルク城も良いところだって聞いたことがありますぜ!」

 そんな兵士達を率いながら、ヘクター卿が言う。

「うちの弟が勤めているけれど、穏やかで良いところらしい。いつかお忍びで遊びに行こうと思っていたのに」

 すると北部の兵がヘクター卿に聞く。

「女王陛下にお会いしに? ヘクター卿、失礼ですが奥方様は?」

「その弟に先を越されたよ。……ああ、そうか、女王陛下か。そんな畏れ多い、いわゆる『逆玉の輿』なんて流石に考えてもいなかったけど、そうだな……どなたか想い人でもいらっしゃるのだろうか。あとで弟に聞き出して見るとしよう! よし、気張るぞ皆!!」

 緊急時、目前にドラゴンが迫っているというのに、アルティス王国の兵士達が南北問わず愉快に笑いだした。



 中庭に微かに、雷ではない音が響く。

「今のは………!?」

 吟遊詩人という職業柄、人よりはやや耳が良いベルモンテがはっと顔を上げたその時、中庭にファルコが駆け込んでくる。

「入江姫はいるか?聞きたいことがある!」

「我はここじゃ。どうした、そなたがそんなに焦った顔をしているとは珍しい」

 入江姫がベルモンテに目配せする。そっとやってきた二人に、ファルコが囁いた。

「ドラゴンが、そうだ、『龍』が来る。狙いはこの城だ」

「なんだと」

 入江姫が、器具の煮沸の手を思わず止める。

「どうすればいい。森の鳥達が慌てて飛んで来たが、弓も大砲も効かないらしい」

「魔法か、自然の力でなければ」

「……やっぱりそうか、そういう生き物なんだな。来るのは、銀の鎖を巻かれた、銀のドラゴンだ」

「………銀だと? 我の島の龍は、孔雀の如き美しい鱗を持ち、人々に幸いを与えるはずの神獣じゃ。……東の帝国めが。我の島を、家族を焼いただけではなく、我の島の神獣までをも貶め、更には世話になったこの城まで狙うとは」

 美しい顔を歪ませ、怒りを露わにする入江姫の肩を反射的に抱き寄せて、ベルモンテが囁く。

「大丈夫。気を強く持つんだ。僕らはここまでこれた。まだ、やれることがあるはず」

 入江姫が、思わずぽろりと目の端から静かに涙を溢す。そこに、声がした。

「そうだよお姫様。気を落とさないで。来るのが遅くなっちゃってごめんよ。部屋は無事だったかい?」

 鉄梃を手にし、全身あちこちに擦り傷や切り傷、煤まみれになり、息を切らしながらやってきたのはロビンだった。

「奥さんか。その傷にこの薬を塗りなさい。感染症には気を付けねば」

 顔を上げたクロード医師が言う。

「ありがとうございます、先生。もう負傷者はいないはず。けれど………」

 ロビンが不安げに空を見上げる。騎士達が、次々と中庭の患者達を担架に乗せては運び出していく。

「何事かは知らんが、ついに、この城からも避難命令が出たのか。だが……難しい手術がある。手術で頭を開かねばならん患者があと二名。動かせない」

「そうか。俺とアンジェリカ、オルフェーヴル、女王陛下は城に残る」

 そこに、聞き慣れた声がする。

「森の大砲部隊もあと一時間が限界だ。遅くなったな、ファルコ。……テオドール、ここの中庭は二重に壁に囲まれている。空中から侵入されない限りは安全だ。どれだけ持つかはわからないが、その柳の枝を庭に挿すんだ。柳の木が守ってくれる」

 中庭の緑が頭を垂れる様に一斉に揺れ、ミーンフィールド卿とテオドールの二人が入ってくる。

「はい、お師匠様。僕もこの中庭に残ります」

「頼んだぞ。父親と患者達を守ってくれ」

「テオか」

「父さん、大丈夫です。続けてください」

「………わかった」

 入江姫が顔を上げる。そして、ベルモンテの腕の中でしばし黙った後に、静かに呟く。

「………我が舟よ」

「わかっているよ」

 吟遊詩人の胸から離れ、襷を無言で締め直す。

「橘中将。我らも医師殿についておる。心配は無用。それと、『龍』は自然の力か魔法でなければ倒すことは出来ぬ。しかし長年崇め奉られてきた神獣の命を奪えば、おそらくそなたらも無事ではいられまい。そして、そなたら無しでこの国は決して立ちゆかぬ」

 地面に刺した柳が淡く光る。それと同時に、腰に差していた『花の剣』が淡く光る。

「ゴードン、それは……」

「………母が、父の叙任の記念に贈った剣だと聞いている。多少の魔法が、かかっているのかもしれない」

 ミーンフィールド卿が、幼い頃住んでいた父親が不在の家の玄関先の、少しばかり寂しい家を守るように、柳の木が植えてあったことを思い出す。母が父と共に出向いたあの水源地の柳を枝分けして貰ったという、懐かしい木。母が愛した、そしてそんな母を愛したあの柳の木の力が、込められているのだろう。

「自然の力か、魔法。それで多少の傷を負わすのは致し方あるまいことよ。あの忌々しい帝国の手から、我が島の龍を『解放』してくりゃれ」

 入江姫が胸に手を当てて言う。

「自然の力か、魔法か」

 雷の音が近くなり、空が紅く染まる。ミーンフィールド卿が入江姫の前で深々と頭を下げた。

「承知した。貴殿の島の神獣を、少しばかり傷つけてしまうことを、赦して欲しい」

 同じように、ファルコも頭を下げる。

「俺らはこの城を守らなきゃいけねえからな。ちょっとばかし荒っぽいことに、なるかもしれねえ」

「よかろう。我はそなたらを信じておるでの。さあ、頭を上げてくりゃれ。何でもそなたらは知恵と策略では天下一品と聞いておる。それがこの危急時にこうして揃っておるのじゃ。吉報を待っておるぞ」

 そんな二人に、ベルモンテもいつもと変わらない陽気な声で言う。

「君達のおかげで良い曲が出来るのを、僕も楽しみに待つよ」

「はは、よしきたレパートリーをたっぷり増やしてやる。分け前は俺にも寄こせよ」

 そんなことを言うファルコの隣で、ミーンフィールド卿はふと、ロビンが手にしていた鉄梃に目を留めた。

「………こんなこともあろうかと、実はローエンヘルム卿に新しい武器を頼んでいたんだが、この地震で間に合わなくってな。ロビン、それを貸して欲しい」

「………えっ、この鉄梃を? こんなのでいいの?」

「ああ。ちょうど良い。……自然の力と、魔法であればいいのなら、多少は考えがある。ついでに、あの銀の鎖を外すことさえ出来れば、筋は見えてくるだろう。しかし……どうすれば城に近づかれるよりも先に、ドラゴンの元へ辿り着けるのか、それだけだ。城に近ければ近いほど、守りたい者も守れなくなっていく。何としてでも、引き剥がしたい」

 ファルコが、僅かに黙ってから、何かをやっと決意したかのように、静かに言った。

「……ゴードン、それなら俺がなんとかしてやる。バルコニーへ行くぞ。アンジェリカを呼んできてくれ。それと……エレーヌもだ」

「良い案があるのか」

 ロビンから鉄梃を受け取りながら、ミーンフィールド卿が問う。

「………これでも俺は国一番の魔法使いだ。試してみたいことがある。生まれて初めての大技だ。うまくやれたら一杯奢れよ」

 軽い口調の中に、隠しきれない緊張が聞いてとれる。そんな相棒に、卿は言った。

「我が館の地下で醸造した一番の葡萄酒を出してやろう」

「そう来なきゃな。じゃあちょっと行ってくる」

「テオドール、後は任せた。ここは頼んだぞ」

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