05 アルティス城にて

『銀色のドラゴンが城に向かってくる』

 と物見係が震えながら飛び込んで来てからまだ一時間も経っていない。壮年のアルティス国王が歯を食いしばって、城の目前に迫りくる巨大な生き物を見つめる。

 山の向こうの帝国で一体何が起きたのか。大津波のように揺れた大地で、既に城下は壊滅状態であり、堅牢なはずの城も半壊している。

 あの『銀色のドラゴン』は、帝国とアルティス国の間に聳える峻厳な高い山々もあっという間に飛び越えて、しかも、どうやら城『だけを』狙って、迷わず一直線に飛んでくるらしい。

 雷鳴を纏い、空を紅く染めながら、突如現れた災害そのものにも見えるドラゴンが城へ、城へと迫り来る。

「構えよ!!」

 長弓兵隊が一気に弦を引く。

(………はたして効くかどうか。だが、まだこの城は捨てれぬ)

 この前代未聞とも言える突然の大混乱の中、辛うじてかき集めることが出来た兵士達が、蒼白になりながら弓を放つ。

 早急に王妃や王子達を着の身着のまま、数少ない無事だった馬車に乗せ、城から南のカンタブリア領へと脱出させたのが数刻前である。もう少し、時間を稼がねばならない。

「頼むぞ皆」

 皆目見当は付かないが、あの眩い銀は、かの帝国で産出されるもの特有の輝きである。

「五十年前の戦より、どうも厄介ですな」

 隣の老いた宰相が呟く。

「最悪、城を捨てて皆を率いて逃げろ。わしは……残らねば」

「そういう面倒なプライドを捨ててしまえば、南のカンタブリア領とももっと友好的になれるんですがね、そういうところは、先の王そっくりですな、陛下」

「王子も、姫も、この城で育ててやりたかったがな」

 激しい衝撃音、壁が崩れる音、そして兵士達の悲鳴が響く。突風が吹き荒れ、思わず二人は床に膝を付く。

「弓はやはり効かぬか」

「時間がもっとありましたら、大砲も投石機も用意できましたが、このような急襲、しかもあんなドラゴンを寄越すとは、帝国もえげつないですな……」

 壊れた壁から銀色に輝くドラゴンが見える。絵物語でしかないはずの存在。絵物語でみたそれよりはやや手足が小さく、長い身体の、不可思議な生き物。それが、何故か体中に銀の鎖を巻いている。かの帝国の『銀』。アルティス王が呟く。

「カールベルクの方が、先見の明があったということか」

 つい先日カールベルクの若き女王陛下から内密の手紙が届いたことを思い出す。帝国の様子に気を付けるように、と。東の島から得体の知れない何かが運ばれ、それがドラゴンの卵である可能性がある、と。一笑に付して執務室の引き出しにそんな手紙をしまったことを、こうも後悔するとは。

 轟音と共に、城の物見櫓に雷が落ちて木っ端微塵に吹き飛んだ。静電気がパチリパチリと音を立てて肌を撫でる。反射的にアルティス王が叫ぶ。

「武器を捨てて退却せよ!!」

 凄まじい音が響き、次々と城に雷が落ちてくる。最後まで奮戦を諦めなかった兵士達を率い、王達一同は階段を駆け下りる。そこに、一人の侍女が走ってきた。

「陛下! た、大変です、食料庫の奥に………」

「この期に及んでこれより大変なことがあるものか。早く述べよ!」

「あの、それが、カンタブリア領からの方が、食料庫から、助けに………」

「食料庫からだと?!」

 半ば自棄になって、王は侍女の後を走る。そして食料庫、地下に通じている城の扉を開く。するとそこには、床にぽかりと開いた穴と共に、南方のカンタブリア領特有の明るい色合いの服装を着た男が立っていた。



「………五十年前の戦の時に、カンタブリアの領主は考えたんです。このままじゃ埒外があかない。国王を、暗殺しようと。その時に地下から潜入出来るように、穴を掘ったんです。ところが、完成直後に和平が成立。慌てて埋め戻す羽目になった穴の存在はそのまま秘されることになった、というわけでしたが………」

 王と宰相、やってきた兵士達全員が驚きのあまり言葉を失う。

「カンタブリア領主だけの秘密、ということでしたが、王家危急につき、父の命を受け急ぎここからはせ参じた次第です。陛下。私の名はヘクター・ド・カンタブリア=アルティス。カンタブリア領主代理第1子。さあ、早くこちらへ。この穴は城の堀の外に続いています。馬車も待たせております。私の領地へお越しください」

 窓の外から、こんな時だというのに何故か一羽の燕の鳴き声が響き、男の肩の上にひらりと止まる。

「王妃様、王子様にも護衛をつけさせています。王さえ生きていればあとはどうとでもなるものだ、先王の暗殺を企てた我が祖父は死ぬまで大層悔しげにそう言っておりました。つまり、あなた様さえ無事であればいいのです。今度こそ、我々は、手を取り合えるはず」

「………承知した。カンタブリア領の後継ぎよ。我らは手を取り合える。その言葉に偽りはないものと見た」

 王が、腰の剣に手を当てることもなく、つかつかと掘られた穴へ降りていく。王の後ろから降りたヘクター卿が、ぽつりと呟く。

「……昔、弟が言っていたのです。『何故、もっと王家との間柄を良くしようとしないんです』。王家へ献上する帳簿を付ける係をしていた、十七番目の弟です。国を富ませ、民を養うのに、この国は二分したままで、偽りの帳簿まで提出し、それを良しとしている。これでは新たな発展も望めない。そういって親子の縁を切ってまで、家を飛び出した」

「………」

「今ではカールベルクの騎士として、そして亡き前法務官の養子として働いています。私にだけは、時折便りを寄越すのですが」

「カールベルクか」

「財務の能力を遺憾なく発揮しています。我らの城の立て直しの予算を組ませたら喜んでやってくれると思うのですが、それよりもどうもあのドラゴン、『城』だけを狙っている模様。城下にも人間にも馬にすら目をくれず、ただただ城だけを、ああして攻撃している。……カールベルクが心配です。あの心優しい女王陛下のこと、城を開放して町の人達の救助をしているはず。城下町と周辺の穀倉地帯と森だけの小さな国です。城以外に民を守れる場所はないに等しい」

「………だが」

「弟の妻はかの国の騎士団長ですが、折しも臨月でして」

 通路を歩く一同の足音だけが、狭い洞穴の中に陰鬱に響く。

「宰相」

「なんでしょうか」

「大砲を出してやれ。堀の外の倉庫に何台かあるだろう」

「……かしこまりました」

「カールベルクまでの道筋に並べよ。当たるも当たらぬも気にするな。あのドラゴンの進みを多少でも遅くしてやれればそれでいい。最も早い使いは?」

「それならば、私と弟の間を飛ぶこの燕がおります」

「燕?」

「確かにカールベルクからの手紙はいつも鳥達が送ってくるが………」

「カールベルクの女王陛下が城に抱えているのは『鳥の魔法使い』。鳥達の聞いたこと、話したことは全て理解することが出来るのです」

 王と宰相が顔を見合わせる前で、カンタブリア領の後継ぎ、そしてカールベルクのオルフェーヴル卿の一番上の兄でもあるヘクター卿が言った。

「ガエターノ、君が来てくれて本当に助かった。アルティス王家は全員無事だと伝えてくれ。街道沿いに大砲を設置する。焼け石に水かもしれないけど、ドラゴンの狙いは『城』だとあの女王陛下に一刻も早く伝えるんだ。僕らは少しでも街道で時間を稼ぐ。北と南で気性は違えどアルティスに生まれた我々は、どちらもやられっぱなしが気性に合わなくてね」

 王が思わず呵々と笑う。

「よかろう。アルティスの民の意地を見せてやるぞ。皆のもの、城は一旦放棄する。だが、ここから出たらもうひと働きしてもらうぞ!」

 陰鬱だった皆の足音が、少しづつ明るいものへと変化する。

 明るい外の光が差し込み、燕のガエターノが空へと舞い上がった。アルティス王が穴の外に出て、振り返る。恐ろしいほど執拗に、無人になった城を攻撃し続けるドラゴンが背後に見える。きっと粉々になるまで、それを繰り返すに違いない。城は一から再建する事になるだろう。

「皆のもの、急いで大砲を街道沿いに運べ。あのドラゴンがここからカールベルク城へ一直線に飛ぶなら必ず通るはずだ」

「かしこまりました!」

「あの女王陛下は、まだ姫君だった頃から知っておる。優しく、賢い娘だ。うちの王子がもう少し歳を重ねていたならば、縁談を申し込もうかと思ったくらいでな」

「五歳、でしたか」

「ふふ、カンタブリア領の後継よ、おぬしのところの兄弟は大変に多いと聞くが」

「三十四人でございます。一番下の妹は七歳ですが、樹にのぼり虫を捕らえては老いた母を毎日困らせておりまして」

「子どもというのは何故高い場所に上りたがるのだろうか。我が息子も去年城の螺旋階段の手すりを最上階から滑り降りようとして我が妃に大目玉を喰らっておった」

「気が合いますな」

「………若者の意見を大事にせよ、とわしは今日ほど痛感したことはなくてな。おぬし、手勢は」

「大砲を運べる程度には連れてきております」

「褒美を取らせてやりたいが、『先の話』になるな」

「つまり『樹と手すりには注意されたし』と我が家に伝えておくように、と?」

 アルティス王が愉しげに笑う。

「カンタブリア領の後継ぎよ。おぬしとは気が合うらしい。城を枕に討ち死にするよりも、もっと良き未来が開けてきた気すらしてならぬ。さて……我が城を完全に破壊するには、あと二時間はかかろう。その間に、街道まで大砲を運べるか」

「やってみせましょう」

「宜しい。我が手勢も率いていけ」

「かしこまりました。我が館で王妃様達がお待ちです」

 堀の外に建てた倉庫に、大砲が積まれている。

「行って無事を知らせねばならんな。さてこの大砲だが、多少古いが、その分軽く出来ている。あのドラゴンめが我が城に張り付いているうちに、ありったけ運び出すぞ」

 自ら軋む武器庫の扉を開けた王が言う。明かり取りの小窓を開けた宰相が笑う。

「元気になられましたな」

「まだ死ぬには足りぬ。王というのは、孫の代まで生きてこそよ」

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