02 古書店にて
ブルーノ・ベネディクトゥス・ラムダ。カールベルクの古書店の店主兼カールベルク騎士団の末端の席を拝している騎士でもある中肉中背に眼鏡の特徴的な男が、早朝のまだ薄暗い古書店内で、ランプを片手に呟く。
「帝国、ねえ」
かの大帝国の書物はここ数年意外に流通が少ない。思い起こせば数年前からふっつりと途絶えた感覚がある。いつ頃だったか。かの帝国の王が代替わりしたあたりだった記憶があるので、
(つまり今の王様がやたらそういうことに厳しくなったってことかねえ……やれやれ、といったところかな)
一応はこれでもカールベルク騎士団の騎士でもある。世情にもそれなりに詳しくなければ務まらない。
貴婦人の刺繍についての技巧本を何冊も小脇に抱えながら、それでも五年ほど前に出された旅行記を引っ張り出す。表紙に大きな翼の竜が描かれた、カールベルク隣国のアルティス王国から出版されたものだ。帝国は、そのアルティス王国の更に向こうの地を占めている。
(旅行記くらいしか見当たらないのもなあ。いっそ自分で仕入れに行けたら良いけれど、長く店を開けるのもな……)
この国には昔から、騎士になったら魔法使いを伴って遍歴の旅に出る、という習わしがあったが、騎士とはいえ店を構える自分には無縁のものだった。
(貴重な希覯本を仕入れる旅みたいなやつに同行してくれる魔法使いでもいりゃ、話は別だけどなあ。でも、そういや、今ではもう自分らのような他国の人間は帝国には入れないんだっけな)
自分を騎士に「仕立て上げてくれた」恩人でもあるミーンフィールド卿には、帝国との戦の経験があるらしい。深くは語らなかったが、顔の大きな傷もその時のものだという。
「しかし最新で五年前か……やっぱり本そのものが少ないな。最新の情報集めなら、あのファルコの方が向いてるはずだろうに……」
鳥達の行き来もあまりないのだろうか。金銀財宝に満ち満ちていると噂のかの帝国の王宮は騎士だけではなく数多の魔法使いを抱えているらしい。カールベルクの息のかかった鳥達を送り込むのも容易ではないのかもしれない。
しかしながら、ファルコ・ミラー、『鳥の魔法使い』である男と、ゴードン・カントス・ミーンフィールド、『緑の魔法使い』にして第五席の騎士。二人とも、一度は傾きかけていたこの店を再興してくれた恩人である。
騎士という肩書を手に入れるべく受けた『ご指導』の数々は何度思い返しても大変苦しかった思い出しかないが、そもそも運動に全く無縁な自分が無理を言って頼み込み、『店の宣伝と再興』という騎士らしくもない不遜な願いを引き受けてくれた彼らが、大変厳しくもきちんとそれを乗り越えられるだけの工夫を修行のあちこちにこらしてくれたおかげで、今の自分がある。
そうでなければ『不健康にぼってりと太った寂れた古書店主』のまま一生を終えていた可能性だってあるのだから。
なんとか『中肉中背』になるまで身体を鍛えたおかげか、今では身体の具合まで以前とは段違いである。
(ありったけのツテを当たってみるかな。もうすぐ古書市もある………)
古書店仲間にこっそり根回ししておこう。棚の上にランプをかざし、貴婦人の刺繍のサンプラーや解説本を引っ張り出しつつ、ふと呟く。
「………案外、こっちのほうがいいかもしれないな」
ふと、ご婦人達に人気の刺繍本の隣にあった「美術本」のコーナーの方へと灯りを向ける。生きる人間が移り変わろうと、一度培われた文化は決して消えることがない、と教えてくれたのは他ならぬミーンフィールド卿である。
「名建築に、壁画の模写、旅人達のスケッチか……。若干つたないがこういうのはとりあえず量がありゃあいい。あとは………」
国境も接していないこの国に回ってくるものは少ないが、美しいものを見れば誰だって他所の誰かに伝えたくなるという。街道を行き交う旅人や吟遊詩人達を思い浮かべて、
「歌集ってのもあるな。そういや吟遊詩人が城にいるって言ってたし、ちょうどいいな」
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