第4話 懐かしの中庭

01 二人の邂逅

 森で熟成させた葡萄酒に、街で買い付けてきた干し肉の数々。肉を削ってチーズと共に串に刺し、暖炉に火を少しだけ入れて炙ると、部屋に香ばしい香りが漂う。

「砂漠の作法か」

「今の帝国の王は、かの亡き『砂漠の』アルトゥーロ王の甥にあたるらしいが……」

 砂漠の天幕の中にあった美しい調度品、性別を偽って盲目の王に仕えていた菫色の瞳の近習。遍歴中の若き騎士だった頃、砂漠の砦が陥落する最後の日まで付き従った昔日の思い出が蘇る。

 あの陥落の日に起きた、少しばかり酒の肴に似つかわしくない哀しい出来事だけは自分の胸に秘めて起きながら、ミーンフィールド卿は言った。

「厳しい環境だったが、肉をこうして食べるのはそこで教わった」

 身を乗り出して話に聞き入るベルモンテが、

「騎士の遍歴話を直に聞けるのは、なかなかない機会だからね」

 葡萄酒片手に朗らかに言う。

「そう言えば、君達はどこで出会ったんだい?」

「俺とゴードンか」

「下町に鳥を操る不良少年がいる、という噂が届いてな。現役の魔法使いだった母と、騎士になったばかりの私で様子を見に行ったんだったな」

「まだカールベルクにもスラム街があった頃だ。金銀に目聡いカラス達と一緒に、悪党の上前をはねて俺みてえな孤児共と分け合ってたんだ。おかげでいつの間にやらスラム街の親分扱いだ」

 その頃の『子分達』も、今では彼の情報網のひとつになっている。

「突然乗り込んできた女魔法使いに仰天したもんだ。こいつのお袋ときたら、何も言わずに自分の財布をこっちに放り投げてきやがった」

「おかげで、孤児や鳥達相手に剣を振り回さなくてよかったからな」

「入口には図体のでかいこいつが立っていて、目の前で変な女魔法使いがいきなり薬箱一式を広げだした。スラム街にはよくいるタイプの怪しい薬売りにしちゃあ様子がおかしいと思ったが、怪我した鳥や子分どもをさっさと治療しはじめたのにもびっくりしたな……」

 ミーンフィールド卿の父親は早くに亡くなったという。つまり、寡黙だが親切なこの卿の行動原理は、魔法使いでもある母親に似たのだろう。テオドールとベルモンテが顔を見合わせる。

「きちんとした魔法使いってやつに初めて出会ったわけだ」

「母は城でも変わり者扱いだったがな」

「残念なことにそこだけはお前と俺でしっかり受け継いだわけだ。……で、恩義やらなんやかんやで結局『花の魔法使い』に弟子入りしたわけだ」

 少しばかりの寂しさが、王宮で随一の『鳥の魔法使い』ファルコの口元に浮かぶ。

「そっちにも、墓参りしねえとなあ。あの『お袋』に拾われてなかったら、今頃俺ぁスラム街の大悪党だったに違えねえからな。それはそれで楽しそうだけどよ」

「エレーヌ、否、我らが陛下がお困りになるだろうな。………ミーンフィールド家はまだ陛下が姫君だった頃の別宅への出入りが許されていてな」

「女王陛下が姫君だった頃の噂なら、吟遊詩人の僕でも知っているよ。大層麗しいお姫様がおわす国、ってね」

「幸いにも我々は、その麗しき姫君に接する機会が何度もあったわけだ。つまりそれが、一介の不良少年の人生を変える程度の邂逅、といえば、吟遊詩人にはわかりやすいかね」

 思わず目を丸くしたベルモンテが、竪琴の弦をキュルキュルと調弦しながら笑いだす。

「そんな気はしていたけれど、やっぱりそうだったんだね。ああ、まったく、魔法使いが魔法にかけられるなんて!」

 何だか愉快になって、テオドールも笑いを溢す。そんな少年のくしゃくしゃの赤毛を更にくしゃくしゃにしてやりながら、

「これだから吟遊詩人って奴は厄介なんだ。ま、どうせお前だって似たような穴のムジナだろ? 今頃ロッテがお前の部屋で、入江姫の溜息を聞いている頃合だぞ。ロッテもロッテでどこぞの唐変木のせいで、無尽蔵に溜息を聞かせる側になってそうだがな。なあゴードン?」

 口を尖らせるファルコを見て、大きな髭の下に穏やかな笑みを浮かべ、ミーンフィールド卿は言う。

「光栄なことだ」

「あいつ何で俺の使い魔のくせに、お前みたいなやつに首っ丈なんだろうな」

「使い魔?」

 テオドールが聞く。

「まああれだ『熟練した魔法使いが一体ないし一羽持つことが出来る、意思疎通が可能な存在』ってやつだ。こいつが森に赴任する時に、連絡係が要ると便利だと思ってな。魔法使いの魂を少しばかり分け与えた『妹』みたいなもんだったはずなんだ。しかしまあ、いつの間にやらすっかりこいつに骨抜きにされてやがる。鳥のくせにな」

 ベルモンテが微笑む。

「それこそが、君の可愛い使い魔が一人前のレディになった証だよ」

「とまあ、どいつもこいつもこの唐変木ばっかり贔屓しやがる。真面目な面構えをしたとんだ食わせ者だってことぁ、知らねえうちが花だけどな」

 事実上家では禁止されてしまった刺繍を森の館ではしれっと許可して貰ったことを思い、テオドールは言う。

「良いお師匠様です、僕にとっても」

「悪いところは教わってくれるな、と言うべきところだが、俺が言えることでもねえな」

 ファルコが片目を瞑ってにやりと笑う。

「……俺はこいつのお袋から教わった。弟子に出来て師匠に出来ないことがあったら、それはいつか必ず役に立つことだ、ってな」

 そして顔を上げると言った。

「俺の縛り首直結の秘密を知ったからにはベルモンテ、お前の方のあれこれも吐いてもらうぞ。ひとつ同じ部屋に住んでるだけ、そっちのほうが利があるってやつじゃねえか」

 ベルモンテがからからと笑って、少しばかり大仰に答える。

「大いなる魂の交合が、恋を阻むこともあるんだ」

 その大げさな身振りに滲む本心を知ってか知らずか、ベルモンテの杯に葡萄酒を注ぎ込んでやりながら、ファルコも言う。

「羨ましいもんだ。触れてみたいもののひとつに、触れられるなんてな」

 二人のそんな『自分にとっては大人の会話』に他ならないそれを、少しばかり余裕ある面持ちで穏やかに見守る自分の師匠を、ふとテオドールは見上げる。

 ミーンフィールド卿は、誰かひとりの女性を愛したことがあるのだろうか。

 この師匠に『首っ丈』らしい、もはや種族を超えて姉みたいな存在のロッテを思い浮かべる。師匠もまた、親友の使い魔である小さな白い小鳥には、気の置けない会話や重大な案件まで語り合うだけの確固たる信頼を置いているのも知っている。けれど、

(いつか本当に本物の人間のレディになりたい)

 そう願っているらしい、親切で愛らしく世話好きな小さな『姉貴分』は今、あの姫君の部屋にいるらしい。きっと城塞よりも堅牢なところのある自分の師匠の一番硬い部分は、ただの『レディ』では突き崩せない。そういう場所をどうするべきか、本物のレディである入江姫に『ご相談』しているのだろう。

 色恋沙汰にとんと疎い自分ではあったが、ファルコやベルモンテの話しぶりから察するに、どうやらそれは、苦悩と喜びに満ちた彩り豊かな世界らしい。

 まだまだ青二才な自分には縫い上げることの出来ない、未知で鮮やかな世界。少しばかり目映く、そして切ない大人達のそんな会話に耳を傾けながら、テオドールは、滋養深い旨みが口の中に広がるのを感じながら、炙られた肉をゆっくりと噛みしめていった。

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