04 友情の儀式

 いつになく機嫌良くロッテが窓辺を行ったり来たりし、落ちる夕日と昇る月の光が入り乱れる窓に映る自分の姿を見ながら丁寧に羽繕いしているのを見て、ファルコがくつくつと笑う。

「惚れた男とひとつ屋根の下で眠れるからか」

 きちんと掃除が行き届いた部屋で、歌うようにロッテが言う。

『そこまでわかってくれているなら、速やかに私の巣箱を彼の枕元まで降ろしてくれると嬉しいのだけど?』

 ロッテの巣箱は部屋の中央のランプの横に設置されていた。

「残念ながら、男には男の友情の儀式ってやつがあってな。つまり今夜はいたいけなレディには聞かせられない『男同士の積もる話』を朝までしなきゃいけねえルールになってるんだ。あの館の葡萄酒は最高でな……」

『テオドールもいるんだから、変なことを吹き込んだら許さないわよ。ああ、もう、全くこれだから男同士の友情って困るのよね。全部まるっと陛下に言いつけてやろうかしら』

「こんなにも部屋を掃除したんだ。エレーヌだって褒めてくれるさ」

 そんなことをうそぶく己の主人にロッテは言ってやる。

『私が嘴を酸っぱくして言い続けたおかげじゃないの。到着に間に合って良かったわ』

 部屋の鳥達も何時になく整然と、そしてそわそわと整列している。

「行儀良くしてねえと、あの森の美味しい果実や種にありつけないぞ」

 そのうちの一羽が、ひらりと舞い降りると彼の肩の上で何事かを囁いた。ファルコが思わず天井を仰いで言う。

「で………なんだって? ラムダの奴、また俺に領収書を送ってきやがるつもりか。騎士の修行と心得ってやつが足りてねえんじゃねえか」

 部屋中の小鳥達が笑いさざめくようにさえずる。

「ま、鍛えたのが俺らだししょうがねえな。で、入江姫のところに客人か。………大工の未亡人の奥さん? まあ良いんじゃねえかな。姫君たるもの身の丈ぴったりのオーダーメイドの家具ってやつは必須だろ。出入りの許可証の手配をしておくぜ」

 ロッテにとっては聞き慣れた、ファルコにとっては、かつて共に旅をしていた時から変わらない少しばかりの懐かしさも含まれる独特の足音が廊下から聞こえてくる。ドアを開けて、ファルコは開口一番言った。

「よお相棒、景気はどうだ?」

 もう何年も変わらない、何の変哲もない挨拶。

「上々だな」

 これもまたいつも通りの挨拶。だが、何の変哲もなかったはずのこの相棒の緑の外套の襟元に、よく見ると美しい白い花がさりげなく刺繍されている。

 遠い島から来たあの入江姫は、何故かこの男を『橘中将』と呼んでいる。橘というのは確かこの様な白い花だった様な覚えがあるが、自分にそれらの植物の知識を教えた魔法の師匠は、この男の母親だったことをふと思い出す。

「おかげで届いた種は芽吹いた」

「植物の種を無駄にでもしたら、どこぞのお袋さんに祟られちまうからな。で、そこのチビ助がお前さんの近習か。………どっかで見たことがある気がするが、ああ、そうだ、ティーゼルノットのジジイのところのか」

「良く覚えていたな」

 ファルコがひょいっと身を屈め、テオドールの頭を丸で鳥達にするのと同じようにくしゃくしゃと撫でてから、手を差し出して言う。

「戴冠式の日に城で迷子になっただろ? うちの鳥達が探したんだ。はじめましてってやつだな、名前は?」

「テオドールです」

「俺の名前はファルコ。きっと話は聞いてるだろうな。お前の主人の相棒で、そこのロッテの主人で、悪党だ。ついでに言うとお前ん家のジジイには死ぬほど怒鳴られて育った。まあそのおかげで城一番の魔法使いにまでなれたわけだから、残念ながら恩義もあるわけだ。まあよろしく頼むぜ」

 ミーンフィールド卿の背中を叩き、口の端を吊り上げるように笑う。しかし、自分で自分のことを悪党と名乗る男が、本当に本物の悪党だったことがあるだろうか。テオドールは目を白黒させつつ胸に手を当て、ぺこりと頭を下げながら、一瞬だけそんなことを考える。

「それで、面倒な主人のところに放り込まれて苦労してねえか? ま、こいつは厳つい面構えの割には面倒見がいい。俺と違ってお人好しをこじらせてやがるから、そんなことはねえだろうな。森暮らしには慣れたか? 迷子にはなるなよ」

「は、はい………」

 女王陛下の戴冠式当日、祖父に連れられてやってきたこの城で、城のあちこちに配された織物に見とれているうちに迷子になったことを思い出して思わず真っ赤になるが、

「お前みたいな人生そのものが迷子になりがちな男が、そんな善行を為していたとはな」

 ファルコに背中を叩かれたミーンフィールド卿が、髭の奥に皮肉めいた笑みを浮かべて言ってやった。

「うるせえぞ。この唐変木の不良騎士め」

「で、せっかく城に出向くんなら先代の墓の剪定もしてこい、とのことだ」

「あのジジイ、俺とゴードンをこき使うことに関しちゃまだまだ第一線だな。なんで先代陛下はあの口うるさい枯れ木どもを置き土産にしやがったんだ。墓参りついでに横に墓穴を用意してやる」

 孫が目の前にいるのに縁起でもないことを平然と言っているが、自分の祖父に墓穴などしばらくは不要であるということを、おそらくはこのファルコもよく知っているのだろう。

「ローエンヘルム卿はご健勝か」

「終身名誉第一席も残念ながらピンピンしてるぜ。俺達が生きてる間は死なねえだろうよ。でも騎士団長の仕事は今は四席のオルフェーヴルがやってる。三席のアンジェリカはそろそろ臨月だ。あいつらしくもねえが、さすがに家でおとなしく療養してるぞ」

「見舞いの品を贈るか」

「変なものを贈った日にゃ、あのやたらでかい剣でぶちのめされるけどな」

「丸々一月は呻吟する羽目になるな」

 自分の師匠は第五席である。つまり、この師匠よりも強い女性がこの国にはいるらしい。目を丸くするテオドールの耳元で、ロッテが説明してくれる。

『第三席のアンジェリカさんはいい人よ。力持ちでぶっきらぼうだけど、私達鳥達にはとっても優しくしてくれるの。いつもは女王陛下のお側に控えてるんだけど、今はお休み中。もうすぐ赤ちゃんが生まれるのよ。それで、オルフェーブルさんはアンジェリカさんの旦那様。とっても穏やかな人よ。でも、剣が速くて私達の目でも見切れないくらい。でも本人は書類のほうが好きって言ってて、お城で騎士団の細やかなお仕事をしているの』

 銀髪で少し柄の悪そうな、だがどうやら口調や振る舞いほどには人は悪くもなさそうな魔法使いと、謹厳実直に見えるが見た目よりはずっと柔軟で、喰えない部分がある自分の師匠の間を行き来する、真っ白で赤い瞳の愛らしいおしゃべりな小鳥を、テオドールは思わず目を瞬かせながら見つめる。

 この師匠や師匠の友人も十分に個性的だが、その周辺も随分と個性豊かな面子が揃っているらしい。いつか自分も騎士団に入るのだろうが、思わず気後れしてしまう。

「………本当に、ロッテは何でも知ってるんだね」

『ご主人様が本当に国一番の魔法使いになったら、私を本物の可愛い女の子にしてくれるって約束なのよ。本物のレディになる日まで、頑張らなきゃ』

 一人で森に住まうその人となりが謎に包まれているせいで、謹厳実直を通り越し、『恐ろしい』『人間嫌い』という噂まであるらしい自分の師匠には、それでも『レディ』と呼ぶただひとりの女性がいる、という噂があるらしい。

 しかし『頑張ってレディになる』というものが、一体どういうものなのか想像はつかなかったが、少なくとも自分の師匠は既にこの、明るく朗らかで世情のあれこれにも通じた小さな小鳥であるロッテを、森の館では常に『レディ』として扱っている、そんな気がしてならない。

 人間が小鳥をレディと呼ぶ例を自分は初めて知ったが、今ここで直接両者に聞くのは『無粋なことだ』とテオドールは心のなかでそっと判断した。

 そんな弟子の隣で、持ってきた荷物の中から、果実や種や木の実の詰まった瓶を出しながら、ミーンフィールド卿が言う。

「約束のご馳走だ。お前達、いつもファルコが世話になっているな」

 大きな顔の傷も、厳しい髭も、恐ろしい噂の数々も、この騎士が鳥達の為にいつもの森で集めてきた滋養豊かな食べ物の前では、何の意味も成さないらしい。鳥達があっという間に群がってくる。

「相変わらず鳥にはモテる奴だな」

 そう言うファルコの横から、ロッテが口ならぬ嘴を挟む。

『人間のほうが見る目がないだけのことよ。けれどおかげで、この世で一番素敵な人のことを人間のレディ達には内緒にできるんだから、案外悪くはないんじゃないかしら』

「相変わらず型破りなやつだな、お前ってやつは」

『誰の使い魔だと思ってるの』

「違ぇねえな」

 そんな他愛のない会話を耳にしながら、ふと、自分がいつか刺繍を入れるはずのテーブルクロスのことが頭をよぎる。これから立派な騎士になるというのに、貴婦人のハンカチや袖よりも先に、テーブルクロスに刺繍を入れると誓ってしまった。しかも、自宅の二件先に住まう若き未亡人にである。

 型破りなのはもしかすると、ここにいる自分もそうなのかもしれない。

 ふと、何故か肩の力が抜けた気がして、近くに寄ってきた鳥達に、自分もまた森から持ってきた木の実や種をそっと差し出してみる。鳥達が歌うように軽やかにさえずりながら、テオドールの周りを飛び回る。ロッテがテオドールの肩の上にやってきて囁いた。

『それと、見たい織物があったら私達が案内するから、今度は迷子にならないと思うわ』

「本当?」

『先代王妃様が織物を集めるのが好きで、よくお城を飾ってたそうよ。お城には裁縫室もあるわ』

「裁縫室かあ……」

『お針子さん達にも挨拶しにいきましょ』

「えっ、僕が!? 裁縫室に? 行ってもいいのかな……」

「城内の鍛冶場の隣だったはずだ。明日になったら剣の採寸のついでに顔を出しておくといい。流行りの刺繍がどんなものか、知ることもできるだろうからな」

 お城という場所には、自分が夢でしか知らないものばかりが詰まっている。

 祖父が愛してやまないカールベルク城。壮大ではないが、美しく優しい城。どことなく優しく、居心地が良いのは、あの森の館とも少しばかり似ている。

「夜ふかしは人間様の特権だと思ってたんだが、お前達もまあ、今日くらいは多めに見てやらあ。たらふく食って騒ぐといいさ。ところでゴードン、ここに最高の葡萄酒があるわけだが、楽師が足りないと思わねえか」

 そんなファルコを見て、ミーンフィールド卿がいつものように片手でロッテを呼び寄せて言った。

「そうだな、呼んでこよう。……悪いがロッテ、入江姫には『貴殿の大事な楽師を朝までお借りする』旨を丁重に伝えておいてくれないだろうか」

『……了解したわ。私、お姫様にいっぱい、いわゆる『相談したき儀』があったのよね』

 珍しくミーンフィールド卿が目を丸くして問い返す。

「相談したき儀?」

『つまり、『女同士の重大な秘密』ってやつのことよ。だからいいわ。伝えてきてあげる。けれどご主人様には、酔っ払って床で寝るのは大いに結構だけど、私の巣箱も降ろしておいてちょうだいって伝えてくれる?』

「聞こえてるぜ。わかったわかった」

『それとテオドール、概ね世の中の殿方っていうのは酒が入ったら悪い大人の見本市になるから、変なこと教わっちゃダメよ?』

「えっ、あっ、わかりました!」

 いきなり話を降られたテオドールが思わず勢いに押され、頭のてっぺんから出るような声で返事を返してしまう。

 いつもなら鳥達が眠る為に部屋の半分は明かりが落ちているはずの、魔法使いの部屋。月が昇ってもなお明るい部屋から、普段は聞こえないはずの鳥達の声が楽しげに響く。

 テオドールが窓の外を見る。城独特の少しゆらめくような古びた窓ガラスの向こうで、美しい満月が輝いている。

 葡萄酒が飲めないのが少しばかり残念だが、それでも、なんだか楽しい夜になりそうだ。鳥達が飛び交い色とりどりの大小様々な羽根が舞う部屋で、窓の外のきらきら光る月や星の明かりを見あげて、テオドールは目をぎゅっと細める。

 自分の歩む道がこんなに色彩豊かで愉しいものになるなんて、数ヶ月前までは丸で考えてもいなかったことが、何とも不思議でならない。それどころか、誰かの人生にほんの少しでも色を添えたい、と願う日が来るなんて夢にも思ってもみなかったことだ。

 自分に出来ることだろうか。いつかは出来るはずだ。自分に自信を持つのが苦手なはずの自分が何故そう思うのかはわからないままだったが、今日の出来事はきっと、永遠に忘れない日になるのだろう。

 テオドール=パーシファー・ティーゼルノット、騎士近習であり、刺繍をこよなく愛する十五歳の少年は、今日一日だけですっかり色んな図案で埋め尽くされた胸ポケットのスケッチブックに触れると、ひとり月に向かってそっと微笑んだ。

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