03 童と駒鳥

「入江姫、入ってもいいかい? ミーンフィールド卿達をお連れしてきたよ」

 城の一室をベルモンテがノックする。

「久しいのう、橘中将」

 鈴の鳴るような美しい声、絹のように美しい黒い髪。独特の所作で部屋の奥に腰をかけた女が微笑んだ。

「姫もご健勝で何よりですな」

 変わった配置で置かれた家具の奥から、滑るように姫君が現れる。

「我は人前に出るのが得意ではないが、中将ならば歓待せねばな」

 テオドールの目が部屋に掛けられていた美しい異国の刺繍が入った着物、どうやらコートのように一番上に羽織るらしいその着物に釘付けになる。見たこともない華やかな鳥や花、風景らしい情景や、宗教的なものすら感じさせる不可思議な紋様が、少し擦り切れた裾の部分に美しい糸で描かれている。

 島からやってくるまでの苦労をしのばせるが、それでもなお美しい刺繍。

「そこの童は?」

「騎士近習テオドール=パーシファー・ティーゼルノットと申します」

 慌てて視線を姫君へ戻し、胸に手を当てて礼儀正しく頭を垂れる。

「近習を入れまして。世話係、といえば通じますかな。刺繍に秀でた才がありますが、こればかりは私では教えてやれないというもの」

「ほほう。……我のその衣に興味があるのなら、手に取ってもかまわぬぞ。この城に来るまでに少しばかり擦り切れてしもうたがな。童というものは美しいものを愛でてこそじゃ。で、その後ろの女性は」

「ロビン、と申します」

 自分より年下だが、独特の貫禄のある姫君を前に慌てて頭を下げ、

「夫は大工でした。私も、家具の制作なら得意です。えっと、その………何なりとお申し付けください」

 どう振る舞うべきか迷い、思わず言葉を詰まらせながらも、ロビンは丁重に言った。

「女大工とは珍しい」

 入江姫が目を丸くする。

「文を書く机がなくて困っておったところよ」

 部屋の床に何枚か重ねて敷かれた敷物から察するに、海の向こうの島では、椅子に座るという習慣がないらしい。目を瞬かせていたロビンが、思わず声を上げる。

「お任せください! ちょっと、あちこち採寸させていただきますね。えっと、それと……机だけじゃなくって、床全体を少し上げたほうがいいかもしれない。この国、冬場は冷えるんですよ。ああ、この図面のこれ、何て名前なのかな……。お姫様の島にもあったみたいだけど」

「これは『畳』、草を編んでるんだ。冬場は何枚か重ねてたっけ。この小さい机は『文台』。隣には『硯箱』を置くんだけど、今はほら、インク壺があればなんとかなると思う」

「この棚の上にある不思議な鳥籠みたいなのは? これは家具の一部……ではなさそうだけど」

「中でこうしてお香を炊いて、服に焚きしめるんだ。えっと、『火取』だったかな」

「これは天蓋付きベッドによく似てるねえ。何て読むの?」

「これは『御帳台』」

「『みちょうだい』ね。とりあえずこれだけの布を調達するのはちょっと時間がかかるかな。まずは机からね。あと、この肘置きも……」

「『脇息』っていうんだ」

「『きょうそく』……不思議な形をしてるね、これも」

 丸で違う文化が息づいていた島からやって来た姫君が、ロビンとベルモンテのやり取りをみつめて楽しげに、そして少し懐かしげに微笑む。

「少しづつ、暮らしやすくしていかなきゃね。ベッドとテーブルこそは一番大事だって……ああ、旦那がいたらとても喜んだだろうなあ」

 ベルモンテが姫君と共に書き起こした絵図面を開き、胸ポケットから巻尺を取り出しながら、思わず深々と呟いたロビンに入江姫が問う。

「………そもじは寡婦なのか」

「ええ、二年前に。でも、こうして私に色々教えてくれたんです。この巻尺の使い方も、木の切り方も。何でも申し付けてください、すぐに作りますから!」

 生来好奇心旺盛で、工房に遊びに行くのが大好きだった少女時代を思い出す。あれやこれやの工具や木材を運ぶのを手伝ったりしているうちに、意外と筋がいいな、いっそ俺の嫁にならんか、と当時はまだ若かった工房の主のアーゼンベルガー氏にプロポーズされた日を思い出す。使い込まれた巻尺はそんな夫の形見の品でもあった。

 もう職人もいない寂しい館を綺麗に保つのも大事だが、こうして働いていると何と懐かしく、心地よいのだろう。

「女人ひとりでも逞しく生きるすべを持っておるのは、まこと良いことじゃ。夫君も佳き人であったのだろう」

「は、はい」

「のう、ベルモンテ。彼女がいつでもこの部屋へ来て良い様、取り計らってもらえぬか」

 そして、聞いた、

「名を問おう、女大工どの」

「ロビン・アーゼンベルガーと申します」

「ロビン、とはどういう意味かの?」

 ベルモンテが微笑む。

「君の国の言葉で『駒鳥』という意味だよ」

 そんな彼に、ゆったりと微笑む。

「あの森に辿り着いてから我らは常に、心良き者たちに恵まれるようになった。橘の香りに、駒鳥に、そして………」

 目を輝かせながら、いつも懐に入れて持ち歩いているのであろう小さな紙の束に素早く、そして一心不乱に遠い島からやってきた姫君の上着に施されていた金の刺繍をスケッチしているテオドールを眺めて、

「………忘れていた美しいものが、愉しい思い出になってゆく。あの辛かった旅路が、癒えていく。海鳥達の便りが来るまでには、文を綴る新しい机も出来ていよう。………ベルモンテよ。我はいつかはまた故郷を目指す日がくるだろうが………いつかその日までに、まだここで見聞きしたいものがある。………それは、許されることであろうか」

 まだ御簾の後ろにいた頃から、この姫君は好奇心が旺盛だった。島の全てが燃えても、燃えることのなかったものがこの姫の心に残っている。それがベルモンテには何よりも嬉しかった。

「ああ、もちろん」

 ここにある、唯一燃えることのなかったものと、ここで出会う様々な人々の息吹こそが、いつかあの懐かしく美しい島をまたより豊かにするのだろう。その時の為だ。

 この美しく聡明な姫君とふたり一緒にいられる『魂の日々』が少しだけ長くなったことを、心の中で遠い島に侘びながら、胸の奥深くの微かな痛みを遠ざけるように、弦を一本、爪の先で弾いて答える。

 そんな横顔を静かにミーンフィールド卿が見つめ、静かに言った。

「相談事があれば、何でも言ってくれて構わない」

「………ああ、そうだね。ありがとう」

 キラキラと目を輝かせたまま沢山の図案を写し取り、そっと布地を手にとったり裏側までじっくり見ようとしているテオドールに、ロビンが聞く。

「テオドールの坊ちゃん、刺繍が好きなの?」

 はっと我に返ったテオドールが、顔を上げて真っ赤になってしどろもどろになる。

「あ、は、はい。あの、でも………」

「………つまり、お父さんやおじいさん達には内緒ってことね。そういやうちの物置に誰も使ってない古い糸車があった覚えがあるけど、いる? まあ、今どき糸なんて買ったほうが早いと思うけど……」

「本当ですか!」

「あると便利なこともあるだろう。今度運ばせよう」

 ミーンフィールド卿が言ってやる。

「蚕も羊も飼うことが出来ない館ではあるが、森の街道を北に行くとカールベルクでも有数の牧草地があり、年に一度は羊飼い達の毛刈り祭りがある。羊毛も手に入るだろう」

 ベルモンテが思わず懐かしそうに言う。

「毛刈り祭りかあ。昔はよく出向いていたものだよ」

 ミーンフィールド卿が呟く。

「いつか、皆で出向く日が来るかもしれない」

 入江姫も微笑む。

「橘中将。………我はこの国の民の有り様を知りたい」

「大変結構なことですな。諸々、準備しておきましょう」



 部屋と家具の採寸を終えたロビンと刺繍をスケッチし終えて満足げに頬を上気させたテオドールが、揃って城の廊下を歩く。

「不思議ねえ。こんなことになるなんて」

「僕もです。明日は剣の採寸があって、あと、先代陛下のお墓参りがあって……」

「このあとは? 私は一旦家に帰って、明日までに色々揃えてくる予定だけど」

「このお城の部屋に泊めていただくって」

 そんな二人の少し前をミーンフィールド卿がゆったりと、森の館と何ら変わらぬ足取りで歩く。この師匠のかつての相棒、そしてロッテの『ご主人様』である男は、一体どんな人柄なんだろうか。押さえきれない好奇心が頭をもたてくる。

「じゃ、多分また明日もお城で会えるってことね。ちょっと安心しちゃったよ。やっぱ持つべきものはご近所さんだね。……しかし、随分背が伸びたねえ。それに、なんだか逞しくなっちゃって。まさか刺繍が好きになるなんて、思ってもいなかったけど」

 自分が生まれたその日からの知り合いであり、母が不在の時は面倒を見てもらっていた身でもある。誇らしいやら気恥ずかしいやらで目が回りそうな顔で、

「ち、父には内緒でお願いします」

 テオドールは言葉を返す。

「ふふ、良さそうなお師匠さんに恵まれて良かったじゃないの」

「本当に。……でも、ロビンさんは、その、変だって思わないんですか。男の人が、刺繍を好きになるってこと」

 すると、あっけらかんとロビンは笑う。

「いつか私の作ったテーブルに、坊ちゃんの刺繍したテーブルクロスがかかっていたら、それはすごく、素敵なことだと思うんだ。まあ、坊ちゃんもいつかは立派でかっこいい騎士様になるんだから、そうだね、もっと若くて綺麗な貴婦人のハンカチとか袖とかに綺麗な模様を描くほうが、ずっと似合うんだろうけどさ」

 そんなロビンを見て、思わずテオドールが言う。

「僕、立派な騎士になっても必ず、テーブルクロス、忘れずにお贈りします」

 なんでそんなことを言ったのかわからなかったが、一度口から出た言葉を口約束にはしないようにと、家族からも師匠からも教わっている。

「必ず」

 ロビンが目を丸くする。つい数年前までは工房のあちこちを物珍しそうに見て回っていたあの小さな子が、いつの間にこんなに成長したのだろう。

「楽しみにするよ」

 傾いてきた日差しが城の窓から差してくる。前を歩くミーンフィールド卿の足音だけが、少しばかり大きく響く。夕暮れの日差しと共に、先程スケッチしたばかりの『虹の島』の美しい文様の鳥や花たちが語りかけ、いつかは自分が回す日がくる糸車の音がそこに重なって美しく鳴り響く様だ。

 そしていつの日か自分の紡ぐ糸で刺繍されたテーブルクロスが、今は人も少ない館を優しく彩り、キッチンの窓から吹く美しい夕暮れの風にはためくさまを想像するだけで、こうも胸が高鳴るのも不思議だった。

 この気持ちは一体何なのだろう。

 目の前を歩く師匠に問いかけて見たかったが、きっと大きな髭の下に意味深な笑みを湛えるだけなのは想像に難くない。

 そして、城の正面入口前でロビンと別れ、テオドールは呟いた。

「お師匠様。ロビンさんをお城に紹介してくれて、ありがとうございます」

「最初に紹介してくれたのは、君の方だったがね。こちらこそ礼を言わねばならない。さて、ファルコとロッテのところにいくか。あの部屋が片付いていると良いのだがな」

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