02 大工と本屋
「………それなら僕に心当たりがあります」
城へ出立する朝、馬の背中の荷物に採れたての新鮮な野菜と鳥達の好む木の実や果実、葡萄酒や蜂蜜瓶を詰め込んでいたミーンフィールド卿が振り返る。
「僕の実家の近所に、二年前に旦那さんを亡くされた、大工の若奥様がいて……僕の家は母さんが家に居ないことが多いから、面倒を見て貰ってたいたんです。それで、小さい頃からお店で図面を引いたり木を切ったりを手伝ってるのを見てたから……奥様なら大体のものなら作れると思います」
テオドールが言う。赤色のくしゃくしゃの髪に指を突っ込むのは何かを考える時の癖なのだろう。
「きみの実家の近所か」
「昼なので家には誰もいないんですが」
「ご母堂は」
「郊外で療養しているので……」
『おじいさまのティーぜルノット卿なら登城すればいらっしゃるわ。挨拶しに行く?』
テオドールがちょっと悩んだ後、言った。
「まだ試合もしてないです。おじいさまにはせめてもっと、しっかりしてるところを見せないと……」
そんな少年も、館にやってきた日よりも少しばかり背が伸びた。男児というのは植物よりもずっと成長が速いらしい。
「本屋にも、布屋にも、お城の鍛冶場にも行きたいし……」
刺繍道具や教本の充実はもちろんのこと、自分用の細くて長い剣を発注するのも楽しみにしているらしい。少年らしいきらきらとした大きな瞳が、森の木漏れ日を受けて宝石のように輝く。
(良い『針』になれば良いが)
とりあえずその若奥様とやらに会いに行かねばならないが、事情を説明するにはベルモンテがいたほうが話が早いだろう、などと考えながら、ミーンフィールド卿は言う。
「城下町の本屋には私も寄ろう。第九十二席のラムダ卿がいる。少々、調べたいことがあった」
「調べたいこと?」
城下町の入口に古書店が建っている。馬を止めて降りると、
「荷物を見ていてくれるか」
「はい」
テオドールが手綱を預かってくれる。入口脇まで本が積み上がった店のドアを、ミーンフィールド卿は静かに開ける。すると、
「卿が本屋に来るなんて珍しいな!」
「久しいなラムダ卿。揃えて欲しいものがあってな」
「よしきた経費は全部ファルコの野郎に押しつけておいていいか?」
「結構」
年の頃は三十代ほどの、黒髪に丸眼鏡が特徴的であり、それでいて騎士の証でもある、鞘に紋章の入った剣を腰に佩いた中肉中背の男が入口までやってくる。
「昔近所に住んでた男でな。まさか騎士になるとは思わなかったが」
「カールベルクの騎士様達御用達の店になりゃ安泰だもんな。あの時は練習に付き合ってくれてありがとうよ。ギリギリ九十二席だがおかげさまで最高の宣伝になった。で、そこのちっこいのは?」
「私の近習だ」
荷物を預かる為に、外で馬の手綱を二頭曳いている少年を見てラムダが言った。
「珍しいな。何故か絶対に近習だのを館に入れないって言われまくってたのになあ」
「ご婦人方の使う刺繍のサンプラーがあれば『こっそり』譲ってやってほしい。才があるが訳ありでな。名はテオドール。副騎士団長のご令孫だ」
「あの副騎士団長のお孫さんが刺繍の達人とはねえ。了解した。それにしても、そういう才があるならもっとモテモテの騎士のところに行った方が実入りが良かっただろうに。で、卿の探す本は」
「帝国について知りたい。砂漠周辺までは行ったことがあるが、それももう二十年以上昔の話だ。海の向こうの『虹の島』についても何か良い本があれば、こちらは急ぎで頼む。地図も海図も手に入れにくいが、出来ればそういったものも頼みたい」
そちらの方が大事な用件だと認識したラムダ卿が、丸眼鏡の奥の目を細める。
「了解。組合の市が明後日あるから見てきておく。経費はファルコ持ちで領収書を切っておくから鳥達を寄越して欲しい。で、店の中にはあったっけな。旅行記くらいなら……」
「それでも構わない。明日また寄るからそれまでに」
本のインクの香りが快い。以前自分が手伝って『カールベルクの騎士』という肩書きを与えてやった古書店の店主が、張り切って鼻歌交じりに店の奥に引っ込んでいくのを見送って、卿は外に出る。店主が下げている騎士の剣を不思議そうに眺めているテオドールに、ミーンフィールド卿は言った。
「……昔、どうしても騎士になりたい、と言いだした古書店の店主がいてな。本人は、運動なんかとは無縁の男だったが」
「もしかして」
「ありとあらゆる騎士に門前払いされて、私のところにきたわけだ。私とファルコで猛特訓した結果、九十二席入りし、紋章入りの佩刀を許される身になった。廃業寸前だった小さな古書店も、今やこうして騎士達が使う立派な店だ。相変わらず品数も多い」
古書店の看板には誇らしげに『カールベルク騎士団御用達』と描かれている。
「騎士の才にはやや欠けるが、本なら何でも揃えてくれる。この店がいつか役立つ日も来るだろう。明日朝にまた寄るからそのつもりで。……さて、じゃあその大工の若奥様とやらの場所に行くか。案内を頼もう」
師匠と師匠の友人である魔法使いの猛特訓とはいかなるものだったのか。この師匠の日頃の鍛錬も厳しいが、おそらくそれよりももっと厳しい何かがあったのだろう。テオドールの喉がひゅっと音を立てそうになる。
深く考えるのを後回しにして、テオドールは卿に手綱を渡し直すと、自分もまた馬に乗る。普通の近習は騎士の手綱を引く係だが、城下に行くには馬に乗った方が速い、馬術の鍛錬にもなる、とあっさりミーンフィールド卿は許してくれた。
愛馬に乗って街に戻るのは久し振りだ。親に追い出されるように街を出たときとは正反対の、愉しい気分である。実家の館のすぐ隣にあった職人街は何度も出入りしていたので勝手知ったる庭のような場所だった。
「はい。かしこまりましたお師匠様!」
そして馬にまたがって気付く。目線が高くなったのか、石畳までの距離が以前と異なっている。そして、街がより遠くまで見通せるようになっていた。思いも寄らない高さで受ける町の風が、染み入るように心地良い。
(………ああそっか。僕の身長が伸びたんだ)
肩の上にロッテがやってくる。
『どうしたの? すごく嬉しそうな顔だけど』
「うん。僕、ちょっとだけ背が伸びたみたいだ」
一緒に喋っているとどことなく『姉』が出来たようにも感じる白い小鳥のロッテが、楽しげに微笑む。そして言った。
『テオドールは食べ盛りですものね。保存用のお肉もいっぱい買って帰りましょ。もちろん、鳥肉以外だけど!』
朝の光が眩しい。昔は職人達が忙しく行き来していた中庭で、ひとり静かにシーツを干しながら、ロビン・アーゼンベルガー、大工の親方の未亡人がふと息を吐く。
愛する夫を突然の病で亡くしてから今年で二年になるが、静かな朝にはまだ少し慣れない。十五歳で当時新進気鋭の家具職人だった夫に見初められてから、色んな工具が奏でる生活音と共に長年生きてきたせいだろう。昔は職人達の部屋のシーツを干すのも自分の役目だったが、今ではそれも、たった一枚になっている。
(たった一枚のシーツを洗って干すのにも、すっかり慣れてしまったよ。お天道様ってのは随分薄情だねえ)
時にはこうして朝の太陽に愚痴りたくもなる。そんな彼女も今や三十五歳。実家に帰ろうか考えたこともあるが、カールベルクは寡婦への援助も手厚かった。夫を亡くした年に即位した若き女王陛下の恩恵である。
職人達は他の工房へと移っていったが、夫が遺していった大工道具を捨てることだけは、どうしても出来なかった。使う予定もないのに、寝る前には丹念に手入れしてしまう。長年の癖なのか、夫への追憶なのか、自分でもわからない。
愛する夫を勝手に連れていってしまった晴れ渡る太陽に愚痴りながら、朝まで一人で眠っている白いシーツを干していると、聞き覚えのある馬の蹄の音がする。
「お久しぶりです、ロビンさん」
二件隣の館の『坊ちゃん』ことテオドールである。前に見たときよりも随分と大きくなった気がするが、後ろにもう一人、館の当主ティーゼルノット卿ではない大人の、見慣れない騎士が立っている。そう言えばどこぞのおっかない騎士の元に修行に出された、と近所の人達が噂をしていたが、帰ってくるには早すぎる。
「おや久し振り、テオドール坊ちゃん。修行の成果はどう?」
「はい、上々です。今日は、えっと、あなたに相談があって来たんですが……」
「私に?」
そこに、いくつかの紙束を抱えた青年が、白い小鳥を肩に乗せてやってきた。
「お久しぶりです、橘中将。ミーンフィールド卿、のほうがいいのかな」
「どちらでも構わない。それで、図面は描けたのかね」
「僕は客人だったし、大体の記憶でしかなかったけど、入江姫のおかげでなんとか形になったよ」
図面と聞いて、思わずエプロンを脱いで中庭の植え込みの合間から外に出ると、そこにはテオドールと、顔に大きな傷と髭のある威圧感たっぷりの騎士、そして見慣れない不思議な形の竪琴を背負った金髪の吟遊詩人らしき若者が立っていた。
「………それで、『虹の島』の調度品、ねえ」
目の前に広げられた絵図面の数々を亡き夫が見たらさぞ喜んだことだろう。夫は家具を作るのが一番好きだった。
「遠い島からやってきたお姫様がお城に住んでいるって話は噂で聞いたけど……ベルモンテ君、だっけ、あんたがそのお姫様の……」
「えっと、そうだね、『保護者』みたいな感じかな」
テオドールが不思議そうな顔をし、ミーンフィールド卿がそれを見て微笑む。見た目の威圧感の割には穏やかに微笑んだこの騎士が、生まれたその日から知っているこの『テオドール坊ちゃん』のお師匠様らしい。ロビンが目を丸くする。
「どうか、ご助力を」
つまり、城に住まうお姫様が暮らしやすいように色々作ってくれる職人が入り用であり、それを知ったテオドール少年が、自分のことを紹介してくれたらしい。確かに自分であれば、むくつけき大柄の男大工の連中を遠い島から来たお姫様の部屋の中に送り込んで、無闇に驚かすこともないだろう。二年ほどブランクはあるものの、適役と言えば適役である。
「……遠い国から来たお姫様、ねえ。どんな人? やっぱ人を知っておいた方が家具って作りやすいんだ。旦那も言ってたけどさ」
壮年の騎士と青年の吟遊詩人が顔を見合わせる。
「僕に語らせると小一時間リサイタルになるけどいいのかな」
「ならば今から城に来て貰った方が、話が早いのではないだろうか」
「入江姫も喜ぶよ。女性の職人さんがいてくれて本当によかった」
「えっ、わ、私がお城に!? 今からってそんな、いいの? 服だって普段着だよ」
ミーンフィールド卿が言う。
「問題はありませんな」
ぎょっとして思わずあたふたと顔の前で手を振るロビンに、テオドールが頭を下げる。
「お願いします。あなたしか、思いつかなくて……」
「………坊ちゃんの頼みならしょうがないね。じゃあ道具を取ってくるよ。巻尺と他にはえっと……ああ、こいう準備はなんか久し振りでびっくりだよ。例のリストもいるかな……」
「リスト?」
「この街のどこの誰がいい建材扱ってるのか、うちの旦那が遺していった一覧表みたいなやつがあってさ。珍しい家具を作るならちょうどいいかもね。すぐに取ってくるから待っててくれるかい?」
駆け足で館へ戻っていったロビンを見送りながら、ミーンフィールド卿は静かにテオドールの肩に手を置いて言った。
「礼を言わねば。随分良さそうな人材を紹介してくれた」
テオドールが真っ赤になって答える。
「僕、この家にはずっとお世話になってて……」
世話になっていた頃にはこの家の主人も健在だった。若き妻同様の陽気な笑顔が思い出深い、在りし日のアーゼンベルガー氏に工房のあちこちを見せて貰ったことを思い出す。
自分がものを創ることに興味を持った初めての場所は、もしかするとこの工房かもしれない。改めて、中庭からもう一度工房に視線を投げる。あの頃は工具や木材を抱えた職人達があちこち忙しく出入りしていたが、今は足音も工具の音も聞こえてこない。木の香りももっと濃く漂っていたはずだ。
まるで、毎日頑張って刺繍していたその糸が全て抜かれてしまった後の、ただただ真っ白になって針の跡だけが残る白い布のようだ。
あの奥様は、ここでひとり暮らしていて、寂しくはないのだろうか。そんなお節介なことなど恥ずかしくて聞けないが、初めて目の当たりにするただただ静かな工房を見つめ、もう一度少年は呟いた。
「だから、お役に立てるなら……すごく、嬉しいな」
その言葉は誰に向けたものなのか、テオドール本人は理解しているのだろうか。しかしミーンフィールド卿は静かに目を細めてそんな自分の近習を見つめ、大きな髭の下の唇に、ほんの僅かに微笑みを浮かべた。
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