04 夜の来訪者
窓の外の気配がざわつく。
「こんな時間に客人か」
窓際に置かれた植木鉢に問いかける。
「………老騎士? まさか」
速やかに立ち上がり、手早く緑のマントを羽織ると、テオドールの部屋の灯りが既に落ちていることを片目で確認しながら静かに階下に降り、玄関を出る。
するとそこには、カンテラを手にした矍鑠とした老騎士が馬を連れ、背筋も真っ直ぐに立っていた。
「相変わらずじゃな。気付くのがまことに速い。聡い男だ」
「おかげさまで」
「事情は聞いたか」
「はい」
「……まあわしらもそれなりに頑張ったが、騎士が針と糸に熱中できる程度の平和な国になるかどうかは、おぬしら次第よ」
若かりし頃は『炎の如き』とも呼ばれていた剛腕の騎士だったという、カールベルク第二席にして副騎士団長、ジェイコブ・パーシファー・ティーゼルノット卿が、カンテラを片手に静かに笑う。
「テオは優しすぎる。お前のところに送っておくのが一番だと思ってな。……お前は変わり者と小さな者の扱いに長けておる」
「そう言っていただけると恐悦至極ですが」
「ま、約束通り『顔だけは』厳しい『世俗を離れた』やつのところに送ったわけで、これで息子の顔も立つわけだ」
「この面構えが役に立つとは」
「……わしの跡継ぎになれなかったことを、息子は負い目に思っているようでなあ。馬車の事故で、片方の脚を失った。ちょうど叙任式の目前だった。喪った夢を息子に託して立ち治ったゆえに、勝手に夢を託されたテオは苦労も多かったろう。わしからは、何も言えなかったがな……」
ティーゼルノット卿の息子であり、テオドールの父親でもあるクロード氏は、今は街で医師を勤めているという。荒れた時期もあったのだろう。想像するのは難くない。
顔に大きな傷跡がある騎士が微笑む。
「ご令孫の場合は、針と糸で縫い合わせるのは傷口以外のものが向いているかと」
「そうじゃな」
「先日、異国の貴人と吟遊詩人をこの館で歓待しましたが、かの姫君の羽織る上着には大層美しい刺繍が施されておりましてな。いつか見せてやらねば、と思っております」
ティーゼルノット卿が片目をつぶる。
「うむ。騎士たるもの、美しい姫君のひとりやふたりとお見知りおきになっておいてこそじゃな。吟遊詩人もな。いつか可愛い孫がたてる勲を、百年先に伝わる歌にして貰わねば」
「気になることも多いゆえ、久しぶりに城に顔を出そうかと」
「阿呆鳥と唐変木が顔を揃えるのを見るのも久々じゃな。先代の墓にも詣でるように」
言うまでもなくファルコと自分のことである。
「かしこまりました。先代陛下の霊廟の周囲の木々を手入れしにいく頃合いでしょう」
「陛下はローエンヘルムとこのわしを墓守にするつもりだったらしいが、わしら爺共は若い者をコキ使うのが仕事でな。頼んだぞ」
終身名誉第一席である騎士団長ローエンヘルム卿とは長年の友であるこのティーぜルノット卿が、夜の館を見上げる。
「いい館だ」
「母の形見でもありまして」
「『花の魔法使い』か。あの女は変わり者だが佳い薬師だった。わしとローエンヘルムが老いてもなお第一線に立てたのはあの薬師のおかげでな」
「来ていただいて光栄です」
「花の魔法使いの墓に花を供えるほど無粋ではないゆえ、あの口うるさい第二席がおまえさんの腰痛の薬を恋しがっていたとでも墓前に伝えておいてくれ」
誰の手を借りることもなく、カンテラを手にしたままひらりと馬に跨ったティーゼルノット卿が言う。そして、
「孫に、忘れ物を届けてやってくれるか」
馬の背から、一つの箱を渡す。
「裁縫箱ですな」
「よくわかったな。わしの妻の形見じゃよ。孫に預けておこうと思ってな」
そう言って、灯りの灯っていない館をもう一度見上げる。
「お呼びしますか」
「否。内密でよい。若い者の見る夢というものを、わしは邪魔しない主義でな」
そして、溜息をつく。
「……しかし、まさか刺繍に魅せられるとは思わなんだ。わしも驚いたが、それが一時の青い熱情か、生涯持ち続ける技になるかは、それこそ、育てるおぬし次第よ」
ミーンフィールド卿が少し目を細め、答える。
「……針を踊らせるように、剣を踊らせることが出来たら、きっと佳い騎士になりましょう。館の花々は、彼の花の刺繍を大いに褒め称えておりましたゆえ、私が教えることはひとつでいい」
そして、息を吐く。
「……けれど、佳い生き方を若者に語れるような生き方をしてきたか、とうとう世に問われるようになってしまいました。花や樹々以外のものを育てた事がないのに、まさか私が指名されるとは」
老騎士が馬の上で笑う。
「誰がカールベルク第五席を森で楽隠居させると思ったか。世俗を離れたように見えても実際ちっともそうでないことくらいこのわしにはお見通しじゃ。おぬしにはまだキリキリ働いて貰わねばならん、この唐変木め」
そして珍しく、穏やかに微笑んだ。
「……花や木々がおぬしに優しく語りかけるように、おぬしもまた、誰かに語りかける番になるのだろう。先代陛下はよく仰っていた。『それもまた世の定め』だと」
翌日の早朝、館の庭の片隅に剣の練習中に踏んでしまわない様に木々や花を移動させるべく植え替えているミーンフィールド卿の隣で、剣を振るうテオドールが、呟いた。
「………針や糸が、お師匠様とお花みたいに、僕にも語りかけてくれたらいいのにな」
どうやらテオドールは自分のことを『お師匠様』と呼ぶことにしたらしい。朝起きたら枕元に置かれていた愛用の祖母の裁縫箱のこともあるのだろう。
ミーンフィールド卿が、少しの間の後に振り返る。色んな生き方をしてきた故に、どことなく面映い呼ばれ方だが、近習を持つ騎士として、恥じることのないようにせねばならない。
そう思ったのが掌を通して伝わったのか、植え替えている最中の花達が掌の上で優しく、穏やかに微笑む。
「……ああ、そうだな。いつか、語りかけて来る日もあるだろう。君次第だがね」
そして、重そうな剣をぶんぶんと振っているテオドールを見て、ミーンフィールド卿は言った。
「………軽い剣に替えるか。随分と、体格よりも重いものを持っているように見えるが」
「………はい。父が医師になる前に使っていたものです」
「父親は背が高いのだろうな。少し軽く、そして長くしたものを用意しよう。ちょうど城に行く用事があった。城内に良い鍛冶場がある」
そして言った。
「正しい場所に刺すのは、剣も針も変わりはしないだろう。そう、針に糸を通すように正確に剣を振るえるようになれば、三十席入りも夢ではなくなる」
「本当ですか」
「……カールベルク城には母の描いた細密画もまだあったはずだ。今度立ち寄ったら持ってこよう。見れるか、見れないかは、もちろん、そう、それもまた、君の努力次第だがね」
「はい! 頑張ります!! お師匠様!」
テオドール・パーシファー・ティーゼルノット。その類まれなる精緻な剣技と、貴婦人達がこぞって求め、吐息を漏らす程の美しく斬新な刺繍で後世に『針の騎士』と讃えられるようになるのは、もうすこし後の世の話である。
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