第2話 針の騎士は花を描く

01 目覚ましとお忍び

 カールベルク城の最上階の一室。謁見の間のすぐ真上にある部屋のドアを開け、静かな足取りで入ってきた女が、ソファで眠っていた男を数秒の間、静かに見つめる。そして勢いよく毛布を引っ剥がし、カーテンを開けた。

「おはようございますファルコ。お仕事の時間です」

「ちくしょう誰だよ……俺ぁ確かに『鳥の魔法使い』だが、鳥みてぇに早起きするのは苦手なんだ。もっと寝かせて……」

 ファルコ・ミラー。歳の頃は三十半ば。長い銀髪を適当に結んで部屋のソファで毛布を被って眠り込んでいた、女王陛下付の『鳥の魔法使い』が絶句する。

「エレーヌ………!? 陛下じゃねえか!!」

 エレーヌ・フェルメーア・リ・カールベルク、まだ気立ての良く明るい十七歳の姫君だった頃から、この魔法使いの心の片隅を密かに占有している、茶色い髪に『蜜の様な』と称される美しく明るい瞳の22歳の女王陛下が、涼しい顔で言った。

「ええ、そのエレーヌです。いいから起きなさい」

「おい待て仮にも陛下の分際でむさ苦しい男の部屋にひとりで入ってくるとはどういう了見だ。城内と国内の女王陛下信奉者どもに俺が吊し上げられちまうだろうが。侍女頭と料理長あたりに知られたら一大事だ、もれなく三食メシ抜きの刑に………」

「分際で、とはひどい言い草。聞きましてロッテ?」

 騒ぎを聞いて起きてきたロッテが、部屋の天井近くに掛けられた巣箱から顔を出す。そして何故か部屋の中、彼女にとっては眼下にいるこの国の君主を見て、丸い目を更に目を丸くしながら床に降り立って、ぴょこりと小鳥ならではの愛らしいお辞儀をしながら言った。

『おはようございます陛下! 魔法使いなんてヤクザな商売のジメジメした男にこんなにもお優しく声をかけてくださるなんて、陛下のご慈悲があまねく大陸すみずみに広がる様、私達鳥達一同も日々の努力を惜しまぬ所存……』

「うるせえぞとっととゴードンのところに行ってこい」

『言われなくたって行くわよ。おはようご主人様、最高の朝ね。伝言はある? なんなら遺言でもいいけど』

 一人と一羽のそんな『気の置けない』やり取りを微笑みながら見ていたエレーヌが、ロッテを指元に呼び寄せる。

「ミーンフィールド卿の森へ行くのですね? 爪の垢を一式送ってこい、と伝えてくれますか? この人に飲ませないと」

「劇薬じゃねえか」

『失礼しちゃうわね』

「どいつもこいつもあの唐変木ばっか贔屓しやがって。俺も髭を生やすべきかな……」

 ロッテとエレーヌが顔を見合わせて笑いをこぼす。そんな彼女達を前に、床にめり込みそうな溜息をひとつついてから、ファルコが言った。

「それで思い出した。ロッテ、こいつを届けてくれ。ゴードンからの頼まれものだ」

 寝起きの頭を掻きながら、ファルコが机の上の小さな包みを手に取った。

「………島で鳥達に集めさせた植物の種だ。あいつが育てて上手いこと育ってくれれば、例の島で何があったか草花から聞き出せる。時間はかかるが確実だ。島には海鳥を派遣した。こっそり様子を見てこい、ってな」

 小さな包みに結んだ紐を、ロッテの脚に結んでやった。

『ご主人様にきちんとお仕事させるなんて、やっぱりゴードンさんってすごい人よね。しっかり伝えるわ。まかせてちょうだい!』

 ひらり、とロッテが舞い上がる。

「爪の垢はいらねえからな!」

 微笑みながらロッテを見送り、エレーヌが『女王陛下の顔』になって振り返る。

「………周辺諸国に届けて欲しい手紙があります。内密で」

 蜜のように明るい瞳が、わずかに曇る。

「………帝国のことか」

「騎士団の一席から四席には私から今朝伝えます。三席は休養中ですが。……周りの国にも、それとなく通達しておこうと。突然海を渡ってまでの略奪行為、もしもあの帝国に今以上の金銀財宝か何かが必要になった、ということだとすれば、何かが起きる可能性もある、ということです」

「ゴードンの奴が同じことを言ってたぞ。あいつは一度だけ、帝国の連中とやりあったことがあるらしい。顔の傷もその時にやられたらしいが。俺と知り合うより前の話だがな」

「……入江姫のことは周りの国には伏せておきます。この城に来た以上、私の城に住まう大事な貴婦人のひとり。彼女と、彼女の素敵な吟遊詩人のおかげで、このお城も少しばかり華やぐようになりましたし」

「それがいい。部屋も用意できたし、そろそろ専属のお付きの侍女か何かを探さねえとな」

「任せて良いですか」

「ベルモンテとは明後日に蚤の市を案内する約束がある。うまいこと話をつけておくぜ」

 陽気でそれでいてどこか真摯な眼差しの吟遊詩人の青年。彼が突如帝国の略奪に遭った『虹の島』に住まう美しい姫君を助け出して落ち延び、この城に到着してから1週間ほどが過ぎていた。

「島との繋ぎならなんとかつけられるかもしれねえが、東の帝国の王宮は鳥達だとどうしても入り込めねえんだよな」

「あら、どうしてですか」

「向こうにも魔法使いがいるらしいからな。………俺達みてえな姑息な手段で情報をかき集める悪党どもを阻止する為に、何かしらの手はずを打ってるんだろうよ。何とか花の種の一粒でも手配できればいいんだが………」

「………あまり無理はしないでくださいね」

「朝ゆっくり寝かせてくれりゃいいさ」

 まだ三十半ばという年齢で女王陛下付になった『鳥の魔法使い』。態度も口も悪いが、決して大きくはないカールベルクという国には必要不可欠な人材だった。

 自分の父親でもある先代国王が言っていたことを思い出す。

『あの二人を大事にしてやれ。彼らが持つのは決して強い魔法ではないが、必ずお前を助けることだろう』

 自分はそんな二人がまだ『駆け出し』だった頃から知っている。出会ったのは何時だっただろうか。彼らふたりが遍歴の旅から共に城に帰ってきて、諸国の様子を面白おかしく報告するのを父王の傍らで聞いて育った。一緒に行きたい、と駄々をこねて母である亡き王妃を困らせたこともあったらしい。最近では魔法使いと共に遍歴の旅に出る騎士も少なくなってきている。

 朝日が差し込む部屋の壁にかけられている、鳥の渡りの時期とルートが詳細に描かれた地図の中心に綴られた、自分の国の名前。

「………二度寝をさし許します。ただし朝の会議までには起きてくるように。また大臣達に叱られますよ。私も叱りますけど」

 ファルコが片方の口元だけを少し吊り上げるように笑う。昔からよく知る笑い方であり、今の自分に対してもそんな『柄の悪い』笑い方をしてくれる数少ない男が言った。

「いい目覚し時計だったが、もう少しだけ寝るとするぜ。………見つからねえうちに帰れよ」

 放り出された布団を手に取って、ソファに再びどさりと横たわる。

 静かな朝だ。何事もなく、全てが杞憂で、平穏無事であればいい。まだ眠りの気配が濃い、朝の城下町を見下ろして、エレーヌが目を細める。

 彼もまた、眠る振りをしてくれているのだろう。部屋の窓辺に、一羽、一羽と鳥達がやってきては、エレーヌを前に、うやうやしく、それでいてちょっとユーモラスな仕草でお辞儀をしてくれる。そんな鳥達を一羽一羽撫でてやると、暖かい羽の感触が、少しばかり不安な気持ちを拭ってくれた。

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