05 鳥の魔法使い
「我らがカールベルクの城へ行かれると良い。女王陛下宛の紹介状と、道中の通行手形を、私の名前で発行しよう。陛下であれば、高貴な出自の姫君を無下に扱うことはなさるまい」
心ばかりの衣類と道中の食料を積んだ馬車が館の前に用意されていた。夜の間に静かに準備を整えていたらしい。そんなミーンフィールド卿の書状を受け取り、ベルモンテが言葉を詰まらせる。
「本当に………ありがとう。何から何まで、本当に」
「落ち着いた頃に適当に知らせをくれれば良い。困ったことがあれば城にいる我が友『鳥の魔法使い』を尋ねるように。このロッテの主人でもある」
『私、一足先にご主人様に知らせてくるわね。二人共、何かあったらすぐに駆けつけるから、なんだって言ってちょうだいね』
入江姫が微笑む。
「我の島には『一宿一飯の恩義』という言葉がある。我からは、これを」
そして、帯を飾っていた小さな飾りを外す。親指の爪ほどの大きさの緑色の硝子玉に、白い花が彫られている。
「………そなたらと語らうと、故郷の館の門の脇で白く小さな花を咲かせていた常緑の薫りよき樹々を思い出してな。『橘』は、我が島では縁起の良い樹」
入江姫がロッテを指先に呼び寄せると、緑の帯飾りを優しく白い小鳥の首にかけてやった。
「橘中将、そしてその小さな姫御前よ。そなたたちのおかげで、美しいものをひとつ、思い出せるようになった」
橘中将、という異国風の呼ばれ方に、ミーンフィールド卿の口元がほんの少し緩む。
「………入江姫、貴殿はその名の通り、美しい港に相応しい佳い舟を持たれた。この先、その心にはたくさんの美しいものが運ばれてくることだろう。私達はこの森で、港が美しいもので潤う日を心待ちにしていよう。貴殿らの友として」
雨の上がった後の湿った土の香と、森中の緑が潤い喜びさざめく感覚が、朝の光と相まって何とも心地よい。小さな緑色の硝子玉を首にかけたロッテが、卿の人差し指に羽を下ろす。気心の知れたこの小さな『姫御前』の羽根をもう片手で静かに撫でながら、ミーンフィールド卿は、二人を乗せた馬車が見えなくなるまで静かに見送り続けた。
『というわけなの。詳しくはご主人様宛のこっちのお手紙にあるから諸々よろしく頼んだわ』
遠い国から吟遊詩人を連れてやってきた高貴な身分の姫君が、女王陛下への謁見を申し込んだという。森から一通の手紙を携えて戻ってきた己の『使い魔』からの詳しい話を聞き終えて、
「ゴードンのやつ、泣く子も泣かすおっかねえツラのくせして、長年こじらせた筋金入りのお人好しはちっとも治ってねえらしい……」
歳の頃は三十半ば。壮年に差し掛かる前くらいの年齢の男が、長い銀髪を後ろ手に無造作に束ねながら、机の上に置かれた自分宛の手紙に視線を投げる。
「まあ、吟遊詩人達だが、あいつの紹介状ならなんとかなるだろ。それで、どうせ住む部屋だのなんだのを適当に手配しろとかいう話だろ? ま、うまいことやってやらあ。城内に常勤の楽師がいりゃあこの城にも箔がつくってもんだ」
男が髪を結び終え、小鳥でも運びやすいように薄く軽い紙に綴られた手紙を手にとって、眉を寄せる。
「………で、『虹の島』、か。あの帝国がこうも突然動くのは、うちの国にとってもあまり良くねえ話だ。陛下にも伝えておくぜ。島の様子も、海鳥や渡り鳥達に聞いてみるとすっか………」
城仕えらしからぬ伝法な口調の男。かつてミーンフィールド卿と冒険の旅を共にした10歳年下の親友、『鳥の魔法使い』ファルコが言った。
「あいつは元気か。まあ元気だろうな。陛下ときたら毎回毎回俺経由であいつにお見合い用の肖像画を送りつけようとして困る。騎士団皆の意向らしいがな。………お前だって困るだろ?」
『……そうね』
ファルコが片方の眉をちょっとあげて、自分の『腹心の部下』でもある小さな小鳥をちょいちょいと指先で撫でてやる。
「難儀な奴だなあ」
『知ってるわ。いつかご主人様がこの世で最高の魔法使いになったら、私を最高に可愛い人間の女の子にしてくれるって約束よね?』
「おうよ。その日が来たらお前の肖像画を着払いであいつに送りつけてやる。それにしても、あのお人好しで喰えない堅物のどこがいいんだか」
『ご主人様だって陛下のこと……』
「それはバレたら死ぬしかねえやつだな」
二人が顔を見合わせる。エレーヌ・フェルメーア・リ・カールベルク。二十二歳の若き女王陛下。花や鳥をこよなく愛する心優しい姫君だった頃から、ファルコとゴードンはこの女王陛下をよく知っていた。堅物な騎士と伝法な魔法使いを引き立ててくれたのは、二年前に亡くなった彼女の父でもある先代国王である。
『今年でおいくつだったかしら』
「二十二だ。即位してもう二年か。全く、この俺としたことが、まあ、うん、そうだな………。おいロッテ、いい酒がある」
『鳥が飲んだら死ぬと思うんだけど?』
「恋で死ぬより酒で死んだほうがマシだろ。飲もうぜ」
『ご主人様のくせにいいこというのね。適当に薄めてちょうだい。付き合うわ』
階下から異国の琴の音色が聴こえてくる。謁見室は自分達の部屋の真下の階だった。きっとあの吟遊詩人が奏でているのだろう。
「いい音色だ」
明日は二日酔いだろうか。この伝法な主人との付き合い酒は程々にしておかないと、『いつもの』窓辺へ飛んでいくのも叶わない。ロッテがそっと、歌声に耳をそば立てる。
『心があるなら 言葉はいらぬ
ただ唇を あわすだけ……』
ベルモンテの異国風の節回しの歌声が、夜の城を静かに優しく彩る。白い小鳥が窓の外に視線を投げた。鳥にとって夜は眠る時間だが、こうして異国の美しい恋の歌を聞きながらお酒を飲むのも悪くない。
「いいもんだなあ。こちとら唇を合わせた日には間違いなく首が飛ぶんでな」
『ほんと残念よね。私、唇じゃなくって嘴しか持ってないの』
「あのでっかい髭を『乗り越える』つもりなら、唇よりは嘴のほうがいいだろうよ」
『わかっているわ。でもやっぱり、柔らかい唇に憧れちゃうの。………ご主人様も、首より先に恋の翼を飛ばすべきじゃないかしら。陛下のお部屋はすぐそこよ? 森まで通う必要もないし、きっと言葉もいらないわ』
即位前から互いをよく知っていた若く美しい女王陛下と、今やその腹心の『鳥の魔法使い』が相互に抱いているであろう『想い』を見抜き、こっそりロッテに教えたのは、他ならぬミーンフィールド卿である。
「はは、違えねえ。そろそろ縄梯子を用意すっかな……」
それぞれに密やかな思いを胸の内に抱えながら、それを押し隠すように軽口を叩きあう一人と一羽の夜が、傾く月と共に静かに更けていった。
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