18 飯がまずくなる
「鬼塚主任っていう上司なんですけど‥…僕のことが気に入らないみたいで……。なんでいつも僕ばっかり怒られるのかが、全然わからなくて」
「ふうん」
「職場のグループチャットにも、今朝ようやく入れてもらえて……。半年も勤めていたのに、どうして教えてくれなかったんでしょうかね。每日、仕事行くのも辛くて」
誰かに胸の内を聞いてほしかったのかもしれない。
舌の先から、ぽろぽろ言葉がこぼれおちる。
今まで気づいていなかった、自分自身の『本音』。
まるで他人の悩み相談を聞いているみたいで、おかしな感じがする。
「次の更新はないみたいで……これからどうしたらいいのか」
直後、ドンッと前原さんが乱暴にビールジョッキをテーブルに置いた。はっとして前原さんの顔を見ると、彼は不愉快そうに僕を睨みつけていた。
「あのさ。飯がまずくなるから、愚痴るのやめてくれない? 嫌ならさっさと辞めたらいいじゃん」
「……あ」
ガツンと頭にゲンコツを食らったような感覚。
「ごめんなさい」
「なんか楽しい話しようよ」
「そうですね。無神経でした」
「いや、もういいよ。それより俺、結婚を考えている女がいてさ」
「……はい」
前原さんは、今の彼女と知り合った経緯を語り始めた。
適当に相槌を打ちながら、僕は前原さんをとても遠くに感じていた。
たしかに、愚痴を聞かされるのは不愉快なのかもしれない。
でも、友達というのは悩みや相談を打ち明けるものなんじゃないのか?
そもそも惚気話なんて、僕にとっても興味がない。
彼女のことが好きなら、さっさと結婚でもなんでもしたらいいじゃないか。
喉の奥で、言葉がぐるぐるに絡まった毛糸玉みたいに突っかかる。
こんな風にひねくれたことを思うから、僕には友達ができないのだろうか。
普通の人たちの感覚がわからない。
悪かったのは僕? それとも前原さん?
酔いがまわってきたのか、前原さんの顔は徐々に赤らんでいき、やがて話題は彼の学生時代の武勇伝に変わっていた。
前原さんに誘われて、ヨルを抱きしめんばかりにはしゃいでいた自分が滑稽に思える。
こんな飲みの席が楽しいはずもなく、やがて僕たちの会話は徐々に尻すぼみになっていき、沈黙の時間が増えていった。
一時間も経たないうちに、耐えきれなくなった前原さんが、
「そろそろ帰るか」
と切り出した。僕たちは言葉も少なく、淡々と会計を済ませて店から出る。
彼は「コンビニ行くから」とわざとらしい口実をつくって、そそくさと帰ってしまった。
蝋燭の炎を吹き消すような、あっけなさ。
僕は前原さんの背中を見送りながら、しばらく店の前で呆然と立ち尽くした。
どうやら、さっそく友達を一人失ってしまったようだ。
相性の問題はある、と頭では理解している。でも、どうすればもう一度前原さんと友達になれるだろうかという不毛なことを考えている自分がいる。
ヨルの魔術さえあれば、すぐに『本当の友達』を作ることができると思っていたのに、結果はこのざまだ。
もっと社交的な性格なら、うまく同調してすんなり友達になれたかもしれない。
いや。そもそも、そんな才能があれば、悪魔契約なんてしていないだろうけど。
僕はつま先で、足元に転がっていた石を蹴っ飛ばす。
やっぱり、僕は僕のままだ。
うまくいかない。
うまくいくはずって思っていた自分が、バカみたいだ。
携帯電話で時間を確認すると、十九時を少し過ぎていた。すっかり日は落ちて、辺りはもう真っ暗だ。貴重な一日目を無駄にしてしまったという後悔で、つい舌打ちをする。
すると、
「北村さん」
とんとん、と肩を叩かれ、振り返った。
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