16 待ち合わせ

 前原さんが予約してくれた居酒屋は、赤ちょうちんが軒先に下がっていて、なかなか味わいのある店だった。友達がいない僕にとって、居酒屋というのはあまり馴染みがなく、ぴったりと閉じられた引き戸越しに聞こえる声を聞いただけで、緊張で心拍数があがっていく。


 できれば店先で待ち合わせをしたかったのだが、少し前に前原さんから『先に入ってるから』というメッセージが携帯に届いていた。

 意を決して店内に踏み入ると、「いらっしゃい!」という元気のいい店主の声が出迎えてくれた。


 中は小ぢんまりとしていて、小さなテーブルやカウンター席にはずらっとおじさんたちが座っていた。みな豪快にビールを飲み交わしている。


 なんだか大人な雰囲気だ。でも、これからどうしたらいいんだろう?

 店員さんに名前を告げれば、伝わるんだろうか?


 肩にかけたショルダーバッグのストラップを、ぎゅっと強く握りしめる。

 このまま突っ立っているのも不自然だ。だけど、声をかける勇気もでない。

 ああ、もう。帰りたい……。

 緊張で心臓がバクバクする。きっと僕の頬は紅潮しているに違いない。


「なんだ、君も飲みにきたの?」


 突然声をかけられて顔をあげると、僕とそれほど年齢の変わらなさそうな女性店員が、愛想のいい笑みを浮かべて立っていた。


「一人? 予約してくれてたっけ?」

「え? え、えっと」


 あ、そうか。彼女も友達化しているんだ。

 それを悟った直後、サッと血の気が引く。

 もしかして、人が多いところで飲むのはまずかったんじゃないか?


 ちらと店内を見回す。幸い、他の客は飲むのに夢中で、僕に気づいた人はいないみたいだった。

 でも、いつ声をかけられるかわかったもんじゃない。顔を隠すように、口元に手を当てる。


「あの……人と待ち合わせをしているんですけど」

「北村さん。ここだよ!」


 名前を呼ばれたほうを見やると、一番奥の席に座った前原さんが手を振っていた。

 人懐っこい笑みにほっとする。軽く頭を下げながらいそいそと彼に近づき、向き合うように腰を下ろした。

 テーブルには、すでに半分くらいの量になったビールジョッキが置かれている。


「お、お疲れさまです。前原さん」

「サンキュ。とりあえず、君もビールでいい?」

「あ、はい」


 前原さんはさっきの女性店員を呼んで注文をしてくれた。彼女は伝票を取る間も、僕へちらちらと意味深な視線をくれる。

 友達として声をかけたいけど、立場上控えている。……そんな様子だった。


 ふと、厨房に立つ店主に目をやると、頑固そうな彼の表情が和らぎ、親しげな笑みを返してくれた。その流れで目が合ってしまった他の客も、みな僕に気づいて軽く頭を下げる。


 どうやらこの店にいる人達は、全員僕の『友達』のようだ。

 望んで契約をしたにも関わらず、いざこうして見知らぬ人と『友達』になると、妙に居心地が悪く感じて、そわそわしてしまう。

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