15 ヨルのおかげ

 玄関ドアを開けるなり、テーブルの前で体育座りをしていたヨルの下へ駆け寄る。細い手を取って、ぶんぶんと振る。


「どうしたんですか、北村さん」


 興奮する僕に驚いたのか、ヨルはぱちぱちと目を瞬かせた。


「前原さんから、飲みに誘われたんだ。こんなこと人生で初めてだよ!」

「前原さんがどなたかは存じませんが、おめでとうございます」

「ありがとう。ヨルのおかげだよ!」


 そのまま勢い余って彼女の体を抱きしめようとし、寸前のところではっと我に返った。飛び退くように手を放して、後退りをする。


「ごめん! ちょっと調子に乗りすぎた」

「いえいえ。北村さんが喜んでくれたのでしたら、ヨルも嬉しいです」


 ヨルは屈託のない笑みを浮かべ、僕の手を両手で包み込んでくれた。

 浮かれていたが、ヨルの指の冷たさに驚いて、僕は反射的に手を引っ込めた。そんな僕を、ヨルは少しだけ寂しそうに小首を傾げて見つめ返してくる。

 感じ悪いことをしてしまったな。


「……っていうか、たかが飲みに誘われたくらいで喜ぶなんてどうかしてるよね」


 気まずい空気を紛らわせたくて、自嘲気味に言うと、


「そんなことはありませんよ。前原さんが『本当のお友達』になってくれるといいですね」

「だけど上手に飲めるかな? 僕、プライベートで人と飲んだことなんて、ほとんどないし」

「飲みに上手いも下手もないと思いますよ。楽しめばいいのです」

「そういうもの?」

「はい。それに、まだ一人目です。ダメで元々ですよ」


 諭すように、ヨルは僕の頭をぽんぽんと撫でてくれた。

 なんだか子供扱いされているようにも感じたが、不思議と嫌な感じはしなかった。


「ありがとう。頑張ってくるよ」

「はいっ」


 そのとき、携帯電話が震えた。画面を確認してみると、前原さんから『今日ここで!』というメッセージと一緒に、海岸近くの居酒屋の情報が送られてきた。

 見覚えのあるお店だ。このアパートからも歩いていけるほど近い。

 この程度のやり取りなんて、普通の人たちからすればただの日常なんだろう。


 それでも、僕にとっては大きな変化だ。


 前原さんは僕の人生を変えてくれる人かもしれない。

 三十分もかかって、『こちらこそ、よろしくおねがいします』という、当たり障りのないメッセージを送信すると、どっと疲れが襲ってくる。


 でも、きっと今夜は楽しい時間を過ごせるに違いない。

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