5 いつだって爪弾き

 最寄り駅の改札をくぐると、早朝の空には厚い雲がまだらに広がっていた。

 かすかな雨の匂いと、まとわりつくような湿気で清々しい朝とは言い難い。


 仕事終わりの気だるい体を引きずるように、小走りで自宅のアパートまで急ぐ。

 僕が生まれ育ったこの藤島市は、人口十万人程度の中都市だ。大した伝統も歴史もないが、夏になると海水浴会場が開かれるため、観光客が大勢訪れる。


 そのおかげで中心地はやや栄えているものの、観光スポットから外れたこの辺りは、ぽつぽつと古びた民家と、小さな畑が並ぶだけの寂しい土地だ。


 子供の頃は都心に出て行きたいと思ったものだが、人間関係に臆病な僕は、新たな一歩を踏み出すのが恐ろしくて、ズルズルとこの地にかじりついている。


 まあ、どこにいたって僕は爪弾きにされるのだが。


 入り組んだ路地の間を縫うように歩きながら、息をつく。


 今日はあまりいいことがなかった。いや……今日、か。


 幸い今夜は休みだが、明日からのことを考えると気が重たい。

 鬱々とした気持ちを抱えたまま急な坂道をのぼっていると、やがて大きな家が見えてきた。


 平均的な一戸建てがすっぽり三軒は入ってしまいそうなほどの広い敷地に、西洋風の屋敷がデンと建っている。まだ新築なのだろう。白い外壁が真新しい。


 絵に描いたようなド田舎の風景に、どう見てもミスマッチな高級住宅。一体どんな酔狂な人が建てたのだろうかと、僕はこの家の前を通るたびに首をひねる。


 おしゃれな表札には『浅利幸恵&冬花』と刻まれているので、母娘二人暮らしなのかもしれない。それを知ったところで、僕のような人間とは一生縁はないのだろうが。

 通り過ぎざま、何気なくフェンス越しに家の中を覗く。すると、パジャマ姿の若い女性がジョウロを持って庭に立っているのが見えた。どうやら花壇に水やりをしている最中らしい。


 顎のあたりで切り揃えられた黒髪のショートヘアから見える横顔は、化粧っ気もないのに遠目からでも美貌が際立っている。ファッション誌から切り取ってきたような、長身の美女だ。


 自分の胸がドキッと高鳴るのを感じる。彼女を見かけたのは初めてではないが、その姿を見かけるたびに、心臓がきゅっと跳ねる。


 いけないと思いつつも目が離すことができなくて、つい足を止めて見入ってしまった。

 すると、僕の気配に気づいた彼女が、不意にこちらを振り返った。


 しまった。目が合ってしまった。


 じわじわと、彼女の顔が歪んでいく。まるで気持ちの悪いものでも目撃したかのように。

 今にも叫ばれそうになって、逃げるように立ち去った。

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