第3話 兄だった人が亡くなってから、こんな目に遭うなんて
Ωのボクは、『佐々木商事』の創業一族の本家の生まれ。大学卒業寸前までは、何不自由なく暮らしていた。
本当に幸せだった。
『だった』って変な表現だけど、そう言わざるを得ない事情があったから。
『行こうか和泉』
『うん』
名門大学の医学部に通う、幼なじみの狩野 肇とは番婚を前提に交際中であり、この幸せがずっとずっと、続くと信じていた。
次兄の由鶴が、番欠乏症で亡くなるまでは……。
限られた親族のみの密葬。父方の伯母が次兄を嘲った途端、烈火の如く怒り出した母が、伯母の髪を掴んで床に引きずり倒す、そんな由々しき事態が起こった。
「やめてやめて」
「うるさいッ! 出戻りのクセに!」
母が口汚く伯母を罵った直後、
「アンタの言いなりで、阿婆擦れの子供なんか引き取りたくなかったわ。それも二人!」
一瞬、我が耳を疑う言葉を、大声で放った。
その時、ボクは肇と一緒に、狩野家の方々に挨拶回りしていたから、突然の出来事に、互いの顔を見合わせるばかり。
「えっ……母さん? 今、なんて言ったの」
髪をふり乱して、母がゆっくりとこちらに身を向ける。
「実家のこともあったから、仕方なしに引き取って育てたけど、血を分けた我が子に疎まれる未来を知っていたなら、由鶴を連れて離婚すればよかったわ」
そんなこと、急に言われても困ってしまう。ただ、ボクを睨む母の姿は、威嚇フェロモンを暴発させた次兄とよく似ていて、気の利いた慰めの言葉なんか思い浮かばなかった。
「だから、あなた方には由鶴を死なせたこと、私以上に苦しんでもらいますから」
そう言って、母は一枚の封筒を手提げバッグから取り出す。
「なんだこれは」
「樹と和泉が、あなたの息子ではない証拠です」
さらなる響めきが、一帯を呑み込む。今、この人はなんて言った。
「彩花は俺の運命……」
「ふふふ……」
父の言葉を遮るように、葬儀場で母の高笑いが木霊する。
「違うわ。彩花の運命は、宮堂會総帥の相模礼司よ」
「バカな……」
母はにたりと笑う。まるで、兄がこの世に存在するかのように、生き写しと言ってもいいくらいだった。
「わたしと彩花が通った私立に、相模もいたの知っているわよね」
「結衣」
「彩花があなたに近づいた訳、相模の身代わりになってもらうためよ。彼の母親は、あなたのお祖父様の隠し子だから」
「はあ?」
「あら、公然の秘密じゃない。一番上の子が、あなたに似ていた理由はそこよ」
急なめまいに、ボクは肇に縋ろうと……。
「どうしたの」
隣にいたはずの彼が、ボクから一歩二歩と後ずさる。
「悪いがキミと息子の婚姻は、なかったことにしてくれ」
「あの……」
さっきまで、ボクを慰めてくれたはずの、狩野のご両親や、肇の兄妹でさえボクを蔑む視線を投げかける。
「反社勢力トップの身内を、うちに入れる訳にはいかないからな」
あんなによくしてくれたのに、肇は一度もボクを見ることなく、出口に向かって歩いた。
長兄とボクの父親が、反社勢力のトップだって?
多くの企業が反社勢力との繋がりを忌避する。そんな政略上の都合によって、ボクは呆気なく運命に捨てられた。
次兄の葬儀から八年が過ぎた。佐々木家を放逐されたボクは、番のいないアラサーΩだ。
「今年も一人ぼっちか……」
大企業の御曹司と言う、恵まれた立場を失いながら、どうにか大学を卒業したものの、まともな就職にありつくことは叶わなかった。
それは長兄も例外ではなくて、アルバイトで食いつなぐだけで精一杯の日々。番を亡くした富裕層αを相手に、春を鬻ぐようになってから、二年近くが経過する。
だけど、あと三年もしたら、売春で生活を賄うのも、流石に難しいかな。
「はあ」
アパートまでの道のりが遠いような。ああ、体が非常に怠くて……。
「また、出来たのかな」
ボクはそっと、お腹に手を当てる。
僕たちみたいな立場のΩを、ボランティアで診てくれる医師にも、これ以上の堕胎は無理だと……。
「でも、兄さんの借金を返さなくちゃ……」
ボクを連帯保証人に仕立てた兄が、今、どこで何をしているのか、考えるのも億劫だ。
「肇……寂しいよ」
道行く恋人同士の戯れを目にするたび、ボクの心が張り裂けそうだ。
どうしたら、こんな惨めな思いをしなくてすんだのか。答えをくれる相手なんて、この世のどこにもいなかった。
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