第2話 威嚇がトドメを知らない

 Ωは愛されていないと、生きていけない。


「なんで来たんだよ」


 病室に一歩踏み込めば、ベッドでうつ伏せの彼は、私を拒絶するように、威嚇フェロモンを撒き散らした。


「だから、番に」

「はっ……面食いのクセして」


 確かに、彼の容姿は、私の好みではない。それをとっくに見抜かれていたとは、思いもしなかった。


「このままだと、キミの寿命が保たない」

「うるせえな。さっさと婚約破棄してくれよ」



 愛をささやけば、ささやくほどに。彼のフェロモンは異様な鋭さを増す。


「だから……」

「苦痛だけの人生なら、さっさと終わらせてえよ」


 私の忠告を否定したいのか、彼は幾度となく頭をふり続けた。


「ほら、これを見ろよ」


 彼は開いたアルバムを、私の足元に投げつける。

 それは佐々木家のアルバム。長兄の樹と末っ子の和泉くんの写真に反して、由鶴を写した物は片手ほどもない。


「まさか……」

「アイツらの愛が、オレになかった証拠。こうして証拠を突きつけないと、アイツらはオレを除け者にしていたって認めないんだ」

「しかし……」


 バンっと、由鶴は拳をベッドに叩きつける。


「愛されないことを受け入れても、それをなかったことにして、オレを愛しているフリしやがる。許せねえから、オレは絶対に許さない!」


 血走った眼差しが痛々しい。私たちを隔てる沈黙を切り裂くように、彼の家族と見知らぬ青年が、病室に入って来た。


「こんちわ! ユアイーツの加藤です」

「待っていたぜ」


 彼は嬉々として、ビニール袋を受け取る。


「NACKの山盛りチキン。アンタも食う」


 あまりの変わりように、みなが呆気にとらわれた。


「由鶴、それは」

「アンタいたの。これ、オレにとって唯一の『お袋の味』なんだぜ」

「兄さんッ!」


 悪びれることなく、由鶴はフライドチキンにかぶりついた。

 

「そんな体に悪い食べ物はよしなさい」

「なんで今さら? なんか、昔の方がうざくなくてよかったのに」


 佐々木夫人は、両手で顔を押さえながら、むせび泣いた。


「兄さん。母さんに謝りなよ」

「はあ? ネグレクトの被害を被ったオレが、加害者に謝る必要あるの」


 由鶴の言葉を受けて、視線を上げた夫人の顔が青ざめる。


「オマエが中学受験の時、オレがインフルエンザに罹ったら、あの女はレトルトの粥とスポドリしか置いていかなかった」

「それがどう」

「いいか、そいつはオマエの受験メシを写真に撮って、SNSに上げていたんだよ」

「兄さん」


 どうやら、和泉くんは夫人の所業を知らなかったらしい。


「食ったことのない手料理の感想ほど、答えようがないのにな。だから、オレのお袋の味は、ジャンクフードなんだよ。今さら、ネグレクトΩの手料理なんて食えやしねえわ」


 夫人は床にへたり込む。糸が切れたマリオネットのように。


「兄さんとオマエにとっていい母親でも、オレがコイツからネグレクトされて育った事実は永遠に消えない。オレの頭から絶対に消えない」


 ボリボリと、骨を咀嚼する音が響く。


「アルバムや育児日記にも、ソイツがオレを愛していた証拠はないんだ。だから、オレは絶対に、ソイツを愛してやらない」

「えっ?」

「お互い、愛し合えないって認め合うんだよ。だから、絶対に『オレを愛している』とか、嘘をつくの許さないからな」


 もはや、我々から彼に向けた『情愛』は通じないのだろうか?


「アンタから生まれた過去は消せないが、アンタのオレに対するネグレクトを周囲にバラしてから、アンタより早く死んでやるからな! 覚悟しろよ!」

「でも、わたしはあなたを愛して……」

「うるせえなクソババア! そんなんなら、今すぐ過去にタイムリープして、ガキだったオレを愛してやれよ!」


 由鶴の威嚇フェロモンのせいで、夫人と和泉くんが倒れる。



 肩でもって息を切らせながら、

「オレを愛しているなんて、十五年遅いんだよ。いいか、オマエが謝るべき相手は成人したオレではなくて、母親の愛を信じて待ち侘びた七歳のガキのオレだ」

 嗚咽まじりに罵った。



「オレの過去は永遠に変わらない。オレは未来永劫、オマエの偽りの愛なんて、この寿命が果てるまで否定してやるからなぁ!」



 もう、私たちの存在は彼に通じない。ナースコールを受けて、看護師たちが病室に駆けつけるまで、由鶴は嘲をやめなかった。




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