29.【The verge of She’ll】



          †


 耳を疑った。


「え、と、え? 〈姫〉が? Psyサイさん、てこと?」


 私の困惑の言葉と視線を受けて、でも義仁よしひと先輩は難しい顔をしてうつむいた。


とおる

「ん」

「今回のライブ、【支配】やるんだよな」

「ああ」


 それからしばらく間をあけて、先輩が「みょう」と私を呼んだ。


「はい」

「お前、【支配】の録音は聞いたか?」

「いえ、【Reincarnation】のほうだけ、です」

「そうか……」


 椅子の上で、先輩は背中を丸めると、小さく咳払いをしてから、顔を上げた。



「妙。【5月15日の支配】のベース部分を弾いてるのは、お前の親父さん、坂井さかい らくさんだ」



 絶句した。


「お、とうさん、が?」


 先輩は、じっと私を見ながら、「そうだ」とうなずいた。


「――あっ」


 思わず口から声が漏れる。

 そうだ。佐久間さんとした話、あれ、あの話……。


(「佐久間さん、《WEST‐GO》知ってるの?」)

(『……知ってるよ。俺、一緒に仕事したことあるからな』)

(「うそ⁉」)

(『嘘なもんかよ。なんでお前知らないの? それとものか?』)


 あれは、父さんがした仕事のことを聞かされていなかったのかということだったんだ。


「父さんが、Psyさんと一緒に仕事してたなんて、私そんなこと全然……」

「――そうだな。楽さん、のかも知れないな。いや、Psyさんだから余計に、か……」


 ――Psyさんだから? よけいに?


 「そもそもの話なんだが」と、義仁先輩はつづける。


「みんな、映画の【小説・アゲハ】のことは、知ってるんだよな」


 澄さんは「一応。サブスクで見たけど半分くらい見てない」と自分も椅子に座りながら脚を組んだ。


「どういうことだよ」


 義仁先輩の質問に「曲目当てだったからさ、飯作って食べながら、ほぼ聴いてただけ」と答えた。あ、この人そういえば、つっつぁんと話してた時「結構好き」って言ってたじゃん。あれ適当だったんだな?


「あたしは映画館で観た」

「私は、観てないです」


 義仁先輩が「そうか」とうなずく。


「映画の制作が決まった時に、かなり大きなプロジェクトとチームが組まれたんだ。――その時、楽さんを殺害した連中も、そのオーディションに参加している」

「……え?」


 なに?


「先輩、それ、どういうこと? じゃあ、そいつら、父さんのことを、前から知って……」


 義仁先輩が、また、自分の下唇をぎゅっと捻る。


「プレイヤーをある程度募集したことは事実だよ。だけど、Psyさんは、楽さんを見つけてしまったんだ。いや、見つけたというか、洋平ようへいさんが引き合わせたんだ」

「佐久間さんが」

「ああ……。Psyさんあのプロジェクトの時、ベースも選抜するか、自分でやるかずっと悩んでたんだよ」


 義仁先輩は、髪を掻きあげながら眉根を寄せた。


「Psyさんと楽さんは、その切欠以来、よく二人で話し合ってたそうだ。お互いにこだわりの強いベーシストで、しかも音楽に対する考え方は対極に位置していた。多分それは、実際に《WEST‐GO》のメンバーと関わった今なら、妙もわかっていることだと思うけど」

「それは」


 ――確かにそうだ。


 親父は、「音楽」を「手段」と勘違いしていることを嫌っていた。その意見に、私も基本的には同意している。


 「音楽」その物は方法論であって「手段」ではない。作曲家コンポーザーが「どの楽器を選ぶか」、「譜面の書き方はどうすればいいか」と試行錯誤するという段階の問題ではない。それは「音楽」を具現化するための手段で、それは手段でも構わない。問題は演奏家だ。


 演奏家が「音楽」を自分の心の伝達手段におとしめてしまったら、もう「音楽」は終わりだ。観客は演奏家の主義主張なりを聴きにくるのではない。「音楽」を聴きにくるのだ。演奏家から心を伝えるのじゃない。演奏家自身こそ、「音楽」が相手の心に触れるための方法なのだ。


 私達《表現者たる音楽家プレイヤー》は、《創造者たる音楽家コンポーザー》によって遺された思いを真摯に受け取らなくてはならない。そうする姿勢を、決して崩してはならないのだ。


 私には、そんな親父の考え方が染み付いている。もう切り離せないくらいにだ。だから私は、Psyや《WEST‐GO》の音楽に、本当の意味で同調することはできない。


「そして、そのことを文章という形にしてしまった人がいる」

「え」

「《WEST‐GO》がベーシスト席の空きを持っていることは、有名な話だ。そして楽さんとPsyさんが個人的に会って、主張を戦わせていることを文章にしてしまった人がいた」

「それ、だれなの」

「【小説・アゲハ】の原作者だ」

「――あっ」


 瞬間、全てが繋がった。

 いや、繋がったと言うより、どうしようもなく絡んでいた糸が解けたような感じで、全てがはっきりした。


「つっつぁんが……もってた」


 私は、ちゃんとあの本を見ている。



(「お勧めはそのハードカバーの白いヤツだ。宮川、【小説・アゲハ】って映画、見たか?」)

(「その映画の原作者、まあ脚本もそいつが書いてんだけど、そいつが書いた舞台裏話エッセイだ。自宅には小説のほうもあるぞ」)



 つっつぁんの部屋に――音楽準備室に、あったじゃないか。

 タイトルも見た。確か……。



「――【The vergeヴァージ ofオブ She’llシェル】」



 私の呟きに、義仁先輩は「そう、それだ」とうなずいた。


「あ、あのエッセイに、父さんのことが書いてあったって、こと? それで父さんは素姓が知れて、襲われたって、こと?」

「――楽さんを襲った連中は、狂信と言っていいレベルで《WEST‐GO》に傾倒していたらしい」

「そんなの、そんな……」


 じゃあ、父さんは《WEST‐GO》の最後の席を埋める存在になるかも知れないと考えられて、それで殺されたとでもいうの? 最後の空席を奪われてしまうからって? だからって、それで殺人なんて……。


「うそ、でしょう?」


 先輩は、わずかな期待を裏切るかのごとく、首を横に振った。


「楽さんと《WEST‐GO》の間に思想上の軋轢あつれきがあったことは確かだ。だけれど、相互に音楽性やクオリティーを認め合ってもいた。そもそも、Psyさんも楽さんも、相手というはっきりした対立存在があったからこそ、互いに己の音楽理論を確立できた側面は否めないんだ。それに、彼等には相手を認めるだけの余裕があった。だから、彼等だけで世界が閉じている間は何も問題はなかったんだ。――でも、そこに世間の目が入った。楽さんが、最後のメンバーたるに相応しい実力を持っていたからこそ、周囲が勝手に、彼がラストメンバーの選抜に入っていると早合点した。――そしてPsyさんという存在は、人の理性を根幹から破綻させかねない、強力な磁場のようなものを持っていた。それが悲劇のはじまりだったんだ」


 義仁先輩は「それで……」と、膝の上で両手の拳を固く握りしめた。


「Psyさんの人格は、壊れてしまった」


「じん、かく……?」


 背中をなでる、あたたかな手の感触を思い出す。

 〈姫〉の――あの歌声が、聞こえた気がした。


十河そごう 彩子さいこは、解離性人格障害を発症していた。ステルと、それからPsyの二人に」



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る