15.〈本質〉





「まだ信じられないんだよ。Psyが死んだって。だって、こんな風にさ、ちゃんと動画の中では生きて歌ってんだよ」


 音希おときの目は、何も映し出していない液晶画面を見つめていた。そこに、ゆるくにじんだ音希の顔が映る。Psyに酷似こくじした、音希の顔だ。


「現実の、ナマのPsyなんか見たことない。映像のPsyしか知らない。あたしにとっちゃ、今までと何にも変わらないのに……」


 うつむいた音希が、ひどく遠く感じた。


「ねぇ音希、Psyってどんな人だった? 音希は、Psyのこと、どう思ってた?」

「――あたしとは、生き方が違う人だったな」

「具体的に?」

「なんていうか、パッと見、全力で感情を吐きだしてるカンジするじゃん? だけど、何か結局他人のことしか作ってないような、そんな気がするんだよね。自分のことは歌ってない感じ。自分の本音は何にもオープンにしないで、仮面被ってるようなとこ、あった気がするんだ」


 意外な意見だった。さっき私が思ったことの対極にあるような発言だったからだ。でもそんな内心は敢えて無視して、音希の言葉を受け取った。私のとらえ方は私だけのものだ。人とは違って当たり前。それに、意見なんてものは人に大声で吹聴するためにあるものじゃない。もってないのは少々問題があるけれど、あるからといって、わざわざ大声で「これがただしいよな」と見せびらかす必要はないものだ。


 そうして私は、ある程度の思考はしたような顔をして、適当に人に合わせて笑うのだ。

 そんな自分を、時々抹消したくなる。


「音希は自分の内臓吐きそうなぐらい、真っ向からさらけ出してるもんね。でも、プロって言うのは、そういうものなんじゃないかな?」

「そうだとは思うけどさ……なら、あの熱は一体何なんだろって思うじゃないか」

「それを生み出せるのがクリエイターなんじゃない? それができるからこそ、崇拝されるんじゃないの? 音希だって私に言わせればそうだよ? だからこそ片岡さんも音希を見てPsyと間違えたんだと思うけど」

「――あたしは、そんなふうに見られるの嫌だ」


 小声だけれど、強い語調で音希は言い切った。


「……どうして?」

「賭けてもいいけど、あの人、片岡さん。私の考えてることなんか絶対見えてないね。そんでもって外見だけは、この上ないほど凝視してるっしょ? こんな気持ち悪いことってない。見られまくってるのに何一つ見られてないんだぞ? あの人があたしの中に見てるのは、あたしじゃなくってPsyなんだ。そりゃ、仕方ないことなんだろうけど、すごい不愉快。確かに、Psyの歌に共感はしてる。ものすごくね。だけど――だからこそ、あの歌は見透かされてる感じして、すごい嫌だ」

「それって、音希とPsyさんの歌う〈真実〉が同じってことじゃないの?」

「だから辛いんじゃないか。それってつまり、今更あたしが曲作って歌う意味ないってことじゃん。それに〈真実〉と〈本質〉って別物だろ? あたしにとっての〈真実〉と、Psyが歌ってる歌の〈真実〉とじゃ、そもそも全然違うじゃないか」


 ああ。そうか。


 〈真実〉というのは、その人が生み出す答えであって、その人自身ではない。そして、その人の〈本質〉こそが、その人自身のことなのだから。


 もし、Psyさんが歌っているのが、音希のいう通り他人の――つまりオーディエンスの感情だったのならば、Psyさんの楽曲は音希の〈真実〉ではあっても、Psyさんの〈真実〉ではないってことだ。音希はそれが辛いのだ。音希が真剣に吐き出そうとしてる〈真実〉は、Psyという強烈なアーティストにとっては、あくまで他人の感情をかてとした「作品」に過ぎなくて、そしてそれがすでに作られて歌われてしまったのなら、確かに音希が歌う必要なんてない。……でも仕方ない。ある意味、こういうのは早い者勝ちの世界だから。


「つまり、Psyさんの楽曲がもってる〈真実〉は、音希にとっての〈真実〉だけど、片岡さんはPsyさん自身の〈真実〉を音希の中に求めてきてるって感じるんだね?」

「――……。」

「――音希は、そのどっちもが嫌なんだね」


 音希は、こくりとうなずいた。


「あたしは……あたしだ。いくら似てたって、共感してたって、あたしはPsyの作品でもないし、Psyでもない」


 やっとわかった。音希は――二重に嫌だったんだ。


 音希の歌いたかったことを、すでに形にしてしまったPsyも、そのPsyを音希の上に映し見ている片岡さんも。


「Psyって存在を自分の中に植えつけられてる気がするんだね。Psyっていう他人を」

 感じというか、その通りなんだろうけど。


 え?


「片岡さんは、って?」

「片岡さんよりも、華月さんの目のほうがもっといや」


 ――華月さんが?


「あの人は、Psyの〈本質〉をあたしの中に求めようとしてくるから。もっと辛い。さっき合わせて思ったよ。……なんていうか、ミョウの中身をあたしに求められてる気分だった」

「――え?」


 不機嫌な美人の視線が、私に突き刺さった。


「あたしはPsyのこと直接には知らないから、本当はどうとかは上手く言えない。今言ったのだって、しょせんは憶測に過ぎないよ。――でも、Psyの歌をまじめにいてるとわかるんだよ。Psyがあんたとそっくりだって」


 予想しない言葉に、一瞬動作がとまった。


「……Psyが? あたしに? どのへんが?」



「自分で自分のことを投げてるとこ。自分に対して執着がないとこ。他人の代わりにされても全然平気なとこ。他人のために自分のことを後回しにしたりはできるくせに、結局のとこ最終的には自分のことは隠しっぱなしなとこ。一匹狼で、人を頼りにしない」



 ずきり、と胸が痛んだ。


「やだな。私ってそう見えるの?」

「「見えるの」じゃなくて事実だよ。それに、他でもない華月があんたにベース弾かせるのを認めるなんて……。気付かなかった? あの人、あんたがベース弾いてる時、すごい顔してた。これまで、あの人が一番ベースについて妥協しなかったんだ。ベースこそがPsyの〈本質〉だと思ってたからね、あの人は! その華月が認めたんだよ? これってどういうことだかわかってる? あの人は、《WEST‐GO》のサウンドとして、あんたを認めたんだよ。あんたの中にPsyの〈本質〉を見出したんだよ華月は! あんたが一番Psyの代理扱いされてるんだよ、今!」

「それは、たまたま――」

「あんたってさ!」


 音希は、吐き出すように言って、私の顔をにらみつけた。


「あんたってさ、頼らせるけど頼らない。受け入れてくれるけど受け入れさせてくれない。こんだけあたしが言いたい放題言ってるのに怒りもしない! ――あたし、正直何時になったらあんたと本当の友達になれんのかわかんないよ!」

「――……おとき」


 音希は、荒々しくスコアを手に取ると、完全に私に背を向けてしまった。


「おと……」

「うわサイアク。あたしこんな逆Cが二つも並んだみたいな記号知らないんだけど」


 独り言を言いながら、音希の指が鍵盤をたどるように、紙の上を、とんとんと走る。その指が、あまりにも物哀しかった。決して振り返らないと、叫んでいるようで。


 私はそれ以上彼女の背中を見ていられなくて、さっき見ていたファイルを片手に、そっとPsyの部屋から出た。


 多分、今痛いのは私の心じゃなくて音希の心なんだと思う。


 彼女が言ったことは、紛れもない事実だったから。






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