13.【5月15日の支配】




        †


 指定されたマンションは、ごく洒落た造りで、外壁をおおうタイルははいいろかった紫色――ヒーザー色をしていた。確か、ヒーザーの花言葉は「孤独」だったはず。なんとなく、それが似合うような建物だった。


 エントランスのセキュリティで、おとからもらったメールに書かれていたナンバーを入力。自動ドアが開いたので、中に入る。目の前にはエレベーターが並んで三基。その壁には、またセキュリティ用のテンキーが埋め込まれていた。入力すると、一基の扉が開いたので乗り込む。出入口は前後の二か所。それで、これはつまり、ワンフロアには最大三室あり、目的の部屋へ向かうためには、同じフロアであっても決まったエレベーターに乗らなければたどり着けないということだと察した。初めて見る厳重な警備に唖然とする。


 ぽーんと軽い音と共に、入ったのとは反対側の扉が開いた。エレベーターを降りて、まっすぐにその廊下を進んでゆくと、廊下の右手中央あたりに、一部壁の中に引き込む形で玄関らしく設えられた部屋の扉があった。303号室。インターホンを押してしばらく待つと、かちゃりと乾いた音がした。


 私を出迎えてくれたのは、片岡かたおかさんだった。


「よう来てくれたな」


 片岡さんが着ていたのは、黒い半袖のTシャツだった。そのそでからのびる日に焼けた腕は、見たことがないような厚みの筋肉をつけていた。だけど、そんな私の視線にはお構いなしに、「こっちや」と手をふって私を招き入れると、片岡さんはすぐにきびすを返してしまった。慌てて私は自分の靴に手を掛ける。その拍子に、フローリングを踏みしめて行く片岡さんの裸足のくるぶしを見てしまった。他のどの部分よりも、ごつごつとした印象を持つ骨。それはなんというか、(大人の男の人なんだなぁ……)と、馬鹿馬鹿しいことを私に考えさせた。


 通されたテレビドラマで見るような豪華なリビングに呆気に取られていると、片岡さんは、右手の壁に埋め込まれていた扉に向かった。それが防音だということは見てすぐにわかった。そして、片岡さんが片手でいとも軽々それを開けたとたん、そこから、ギターの轟音ごうおんが流れ出て私の鼓膜に突き刺ささった。


「うっわ……」


 思わず私は身を引いた。それに気付いた片岡さんが、苦笑を浮かべつつ私のほうに手を差し伸べる。これもやはり大人の手だ。


「大丈夫やで。おととおるさんが先に来はってな、皆で声聴いとったとこやってん」


 大きくて皮の厚い手が、すっぽりと私の手を包み込んだ。片岡さんの手のひらは、実にドラムスらしい、ごつごつとした感触を持っている。なのに扱い方はひどくやわらかくて、それが私を予想以上に動揺させた。


 無骨で整った男の人の手は、私の心を総毛立たせる。思い出したくないものを、思い出させる。


 ねぇ。

 ――ねぇ、あなたは、だ。


 唐突に、ギターの合間に音希の声が絡み出した。どこかで聴いた憶えのある歌だ。どうやらそれが《WEST‐GO》の曲らしい。そしてそれは、今まで聞いたこともないような音希の歌声によって紡がれていた。


「なんや、結局合わせるんか華月のヤツ……」


 轟音の隙間で、片岡さんがつぶやいていた。

 私の手は、まだ片岡さんの手のひらの中にある。



『腕がふれる

 肩にまわされるぬくもり

 暖かいあなたの腕が背中にふれて

 さらさら髪流れて

 花がちぎれ

 春雷がいじった体を

 暖かいあなたの胸が癒してくれて

 さらさら涙流れて


 黄色い足跡が肌に刻まれた日

 空は異常なくらい青かった

 神様がいた気がした 春の日アブラナが

 この体を満たしていた

 現実全て 息がとまりそうなほど



 くちびるから

 あふれだしてくる微笑み

 春の色 あなたは「ぬくもりだよ」と言った

 ゆれてた痛みと空


 黄色い足跡が肌に刻まれた日

 空は異常なくらい青かった

 神様がいた気がした 春の日

 アブラナが この体を満たしていた

 現実全て 見えるだけ全て


 黄色い足跡が肌に刻まれた日

 空は異常なくらい青かった

 神様がいた気がした 春の日

 アブラナが この体を満たしていた

 現実全て 息がとまりそうなほど――』



「これ……なんて歌?」


 思わず、口から言葉がもれていた。


「【アブラナ】や」


 背後で、片岡さんが防音扉を閉ざしながら答えてくれた。いつの間にか、私の手は片岡さんから自由になっている。一体いつ放されたんだろう。気付かなかった。


 扉が閉ざされたとたん、閉塞感で圧迫されそうになる。ひどい圧縮感。それは一秒ごとに淡雪の如く降り積もり、脳内の気圧まで変わってしまったんじゃないかしらと疑わせる。――だけど音楽ブースにこもる時には、普段より深く自分の精神と向き合えることも、また事実だった。防音扉一枚で、これほど大きく変わってしまうんだから、嫌な話だ。


「アブラナ?」

「そう【アブラナ】。俺等の……っていうか、《WEST‐GO》のメジャーデビューファーストシングルの曲な。俺とタタラが加入する前の、Psyと華月二人だけでやってたころの曲や」

「……そうなんだ」

「なんや俺、原曲に参加してへんの、悔しなるくらい、めっちゃ好きなんよなぁ、この曲」


 横から答えてくれた片岡さんは、じっと音希を見つめていた。……とても、嬉しそうに。


 そばで見ているだけでも、片岡さんが、じりじりしているのがわかる。「叩きたい」と彼の身体が全身で叫んでいるのがわかる。熱がこもっている。


 バーンアウト寸前の、私が知らない種類の音楽を、その身の内に飼っている。

 ここにいる人達は、皆そうなんだ。


 なんだか、自分だけが、ものすごく部外者に思える。だって私は根っこがクラシックだから。


 ふと見やると、部屋の中にはメンバーと音希の他に、スーツ姿の青年が一人ととおるさんもいた。彼は私に気付き、ちょいちょいと手招いてくれた。


 ああ、そうだ。澄さんは私と同じ種類の音楽の人だ。「部外者でーす」と屈託のない笑い方をしながら、床の上に無造作に脚を投げ出している。おかげで何だかすごくほっとして、私は口許をゆるめた。てくてくと近付くと、私は澄さんの隣に腰を下ろした。


「私も基本的にはそのはずだったんですけどもねぇ……」

「でもね、僕もなんか参加することになっちゃった」

「え、は?」

「今回やる歌ね、イントロのところ、「ストリングベースかチェロで」って指示書きがあったんだって。Psyさんって人、すごい人だったらしいね。さっき聞いたんだけど、オケ楽器も粗方あらかたいじれたんだって。特に弦楽器ね。チェロも結構弾けたらしい。で、僕のこと知ってたらしくて、素材で使えたらなって、もらしてたらしいんだ。やってくれないかって、さっき頼まれちゃった」

「――引き受けたんですか?」

「僕は、チェロが弾ければ環境はどこでもいいもん」 


 ――確かに澄さん有名だろうから、Psyが知っていても何も不思議はないのだろうけど。


「そう言えばねぇ、昨日みょうちゃんが先に帰っちゃったでしょう?」

「はあ」

「あのすぐ後にマネージャーさんも来てね、ハウス内に引き返して、正式に話し合いしたんだよ」


 私の耳元に口をよせて、澄さんはひそひそと説く。スーツの青年は、どうやらマネージャーだったらしい。その存在だけで事の現実味が増す。


「なんて言ってました? マネージャーさん」

「最初はやっぱり絶句してたよ。とんでもないって。確かにとんでもないよねぇ。事務所に話も通さないでほとんど本決まりしてたんだもん。いやー、ここのバンドさん、メンバー全員我が強いっていうのは比喩ひゆなんかじゃなかったんだなぁって実感したよ。そばで見ててすごく面白かったなぁ」

「面白かった……ですか」

「この発言はやっぱり不謹慎ふきんしんかなぁ。でもマネージメントとクリエイトがあんなに真っ向からぶつかるところなんて滅多に見られるもんじゃないじゃない。普通もうちょっと折れるもんだよ。幸い流血沙汰には至らなかったけれども」

「流血はちょっと……」

「結局先にマネージャーさんが折れたよ。折れざるを得ないって感じだったのも事実だけど、おとの顔見て、彼も気が変わったみたいだ」


 ああ、なるほど。


 【アブラナ】がげつさんと音希のシャウトでぶったぎるように終わると、華月さんが眼帯を着けた顔の口許だけで笑った。彼は左目が見えないのだという。しかし彼の素直な笑顔なんか想像できなかったので、私はそっちのほうに驚いた。――第一印象が悪かったからなぁ、この人の場合。


「この子怖いね。Psyよりも音域広いんじゃないかな?」


 華月さんの言葉に、「僕もそう思いますよ!」とマネージャーさんはブンブンと首を縦にふった。


「声の質や、ファルセットの掛かり方なんか、目の前でPsyが歌ってるのと全く同じに聞こえますよ!」


 そうか。マネージャーさんがエキサイトするくらいなんだから、まぁ、良かったんだろうな。それが音希にとって良いことなのかどうかは、わかんないけど。


「Psyの歌で歌わなきゃいけないんでしょ? だったら合わせるわよ」


 汗をかいて額に張り付く髪を、いかにもうるさげにげながら、音希は言い捨てた。どことなく、ぴりぴりしてる。そりゃ当然だわ。比較されてるんだから。実力を測られるのと同時に、類似性も計られてるんだから。


 でも、ファーストシングルの歌が歌えるってことは、全然詳しくないとか言ってたけど、やっぱり《WEST‐GO》のこと知ってたんだな、音希。気になってたんだろうなぁ……本人素直じゃあないからなぁ。入れたくなくてもチェック入れてたんだろうな。


 と、マネージャー青年が目を輝かせながら言った。


「華月さん! この娘でPsyさんの変わりに《WEST‐GO》続けられないですかねぇ?」

三井みつい‼」


 突然の怒声にびくりとして振り返ると、何時の間にかドラムセットの前にスタンバイしてた片岡さんが、椅子を倒して立ち上がっていた。マネージャーを蹴り捨てずにはいられないような勢いだった。音希も目を見張っている。不快感で満ちているのが私にも見て取れた。


「おまっ……なんちゅーこと言うねん! アホも休み休みえ! 《WEST‐GO》はPsyのもんや! ここはあいつのためにある場所であって、他の人間になんか死んでも渡したあかんねや!」

「っ……」


 タタラさんも信じられないといった調子で続けた。


、あたし達が死守しなきゃいけないんだよ。あんた一体どれだけPsyのマネージャーやってきたの? 一体、あいつの何見てきたつもりなの?」


 二人の怒気に気圧されしていると、やがて後ろで、かたんと音がした。何かと思って見やると、それはどうやら華月さんがギターをスタンドに立て掛けた音だったらしい。


 長い髪が微かに彼の顔をおおっていたけど、その眼差しが静かだったことは何となく察しがついた。身体を少し斜めにして、ギターを立て掛けた瞬間の状態の、つまり少しだけ腰を曲げた状態で、華月さんは、ぽつりと落としたような感じで言った。


「――私達は、全員、ただ彼女という存在を全力で護ったんですよ」


 ――彼女。


「Psyの魂がこの世から消えてしまっても、《WEST‐GO》と、《WEST‐GO》の音楽だけは消えない。消させない。これはね、彼女がのこした人生の軌跡きせきなんです。それを、他人の手にゆだねるなんて、できると思いますか?」


 ゆっくりと、華月さんが背筋を伸ばしてゆく。


「彼女の居場所は、音楽の中にしかなかった。それはあなただってよく知っているはずです。……彼女の遺した音楽は、なんです。私は、例え誰であっても、これに手を加えて変質させることをゆるさない。赦せない。カバーすら受け入れられない――だから、申し訳ありませんが、席を外して下さい。今あなたの顔を見ることは不快です」


 その言葉が、最後のダメしだった。


 何となくわかってしまった。

 華月さんは、片岡さんやタタラさんみたいな怒り方は絶対しない人だと――いや、できない人なんだと気付いてしまった。


 まあ、どのみちあのマネージャーさんは、三人の堪忍袋のしっぽを自分でちょんぎってしまったということだ。で、もうこれ以上ここに留まるのは、不可能というより無謀だろう。このままムリに、ここに居続けようとしたら、一体どうなるか知れたもんじゃない。うん、私は、華月さんが一番恐いな。うん。


 で、マネージャーさんは、大人しく扉を開けて出ていった。


 やがて、沈黙が底から立ち込めてきた。どうしよう、またいたたまれないタイムがやってきてしまった。どうやってさり気なく逃げ出したものか私が思案していると、ふと、音希の表情が目についた。音希は、それからもしばらく難しい顔で黙っていたんだけど、やがて不服そうにその場にしゃがみこむと、ゆらゆら身体を揺らし出した。


「それさあ、本当に……Psyはそんな風に望んでたのかな」


 ぼそりとつぶやかれた一言で、全員の意識が一気に音希に集中する。彼女は全員のそれを真っ向から受け止めると、しばらく間を置いてから、うつむいた。


「――あたしは、《WEST‐GO》について、すごい詳しいワケじゃないわよ。それはPsyに関しても一緒。確かにね、自分から意図的に目を逸らし続けてきたのは事実だよ。でもPsyって、人に伝えよう伝えよう、残そう遺そうとしてたように思うよ? それくらいはわかってたよ。変わってゆくことを達観してたように……あたしは思うよ。だってPsy、「最後はこの【5月15日の支配】で終わらせる」って《WEST‐GO》をはじめた時から決めてたんでしょ? 【支配】のインストヴァージョンの【Reincarnation】が、ファーストシングルの3曲目に入ってるのなんて、ファンの間じゃ常識だって言うじゃない。それだけで明白じゃん。

 これって転生の歌じゃない」


「――え?」


 声をもらしたのは、華月さんだった。


「転生。再生の歌だよ、【5月15日の支配】って。それ以外の意味考えられないよ。5月15日の誕生花って知ってる? 歌詞にもあるでしょ? だよ。それから支配ってreinっていうの。Reincarnationってrebirth(再生・転生)のことじゃない」




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