第10話 逆転の一手は、いつも身近に――
まさかこの命を賭けた瞬間で、裏切られるとは思わないだろう。
空白の一瞬。
突然襲って来た痛みに、俺の視界には、いくつもの火花が散っていた。
あまりにも唐突なことで思考が追い付かない。
だけど視界の端。したり顔で鼻を鳴らす九頭代の顔だけは鮮明に覚えていて、
『はは、馬鹿正直に信じやがった! 誰がテメェみたいな鈍足と一緒に逃げるかよ間抜け! 俺様たちが逃げ切るまで、テメェはそこで大人しくオトリでもやってるんだな!』
勇者の家系とは思えないほど醜い捨て台詞。
逃げていく三人の背中。
そして猛る雄たけびと共に、放たれた横殴りの一撃。
どれもコマ送りのように場面が途切れ途切れにフラッシュバックし――
「ぐふっ⁉ いま、のは――」
パリンと何かが砕ける音に目を覚ませば、いつの間にか地面に転がっていた。
どうやら一瞬だけ、意識を失っていたらしい。
あれだけの一撃。斧の柄に体がぶつかり脂肪で身体が両断されなかったとはいえ、生きているのはもはや奇跡だった。
所在なく震える手で腹部を触れば、ヌチャリと粘つく液体が指先にこびりつく。
首にかけていた『身代わりの護符』がないところを見ると、絶命の瞬間に発動して砕け散ったようだ。
さすが一つ50万はする緊急蘇生アイテム。おかげで死なずに済んだが、
(――ダメだ。力が、入らない)
壁際まで吹き飛ばされ、ボロ雑巾のように血だまりに浮かぶ俺の身体はまともに動く気配がない。
それどころか意識がところどころ飛びかけ、今にも気を失ってしまいそうになる状況を見て、俺は他人事のようにぼんやりと思考の渦に身を任せそうになっていた。
(ダメだ。今は何も考えず、この場から逃げないと)
地面の揺れからして奴との距離はそう遠くない。
早くこの場から起き上がらなければ、今度こそ殺されてしまう。
そうわかってはいるのだけど、身体は言うことを聞いてくれない。
(……こんなところで、俺は死ぬのか?)
まだ何一つ、成し遂げていないのに?
でも、俺みたいな奴いなくなったところで、誰も悲しまない。
生きてたところで、みんな俺をいらないっていうんだ。
だったらもう、こんな痛くてつらい思いしてまで頑張る理由は、俺にはない。
「もう、疲れた」
突如襲い来る眠気に、目蓋が落ちる。
すると、すぐ近くでピロンと聞き覚えのあるスマホの着信音が鳴った。
わずかに瞼を持ち上げれば、スマホと同期した視界の中に妹からのメッセージが届いていた。
『昨日から帰ってこないみたいだけど大丈夫? おにぃ、今日こそ帰ってくるよね?』
その短い文面を見た瞬間、不意に胸の内側から言い知れぬ感情が沸き上がり、無意識にスマホを握りしめていた。
そうだ。まだあきらめる時じゃない。
親父も言っていた。探索者なら最後まで生きる道を探せって。
生還は絶望的。だけど――
「こんなところで、諦めてたまるかよ」
まだ世話になった家族に何も恩返しできてないんだ。
こんなところで死んだら親父や母さんも悲しむだろうし、妹に最新の探索者装備買ってやるって約束もまだ果たしていない!
それに――
「俺はみんなが憧れる最強の探索者になるんだッッ!」
血反吐をまき散らし気道を確保すれば、俺は無意識に残りの煙玉を全て地面に投げつけた。
視界が真っ白に染まり、困惑した唸り声が聞こえてくる。
そして真っ白に染まった煙幕の中、指の感覚を頼りに這うようにして進めば、曲がり角で物陰に隠れるように息を顰めた。
(よし、とりあえずこれで時間は稼げた。あとは――)
プルプルと震える両腕に活を入れ、アイテムポーチから応急薬を取り出し、一気にあおる。
修復されていく痛みに、うめくようにして歯を食いしばった。
本来、絶命状態の身体を無理やり仮死状態に近づけ、蘇生可能状態にするための応急薬だ。飲んだところで傷は回復しない。
それでも気休めにはなったのか。少しずつ痛みが遠のいていくのがわかる。
よし、わずかでも足が動くようになった。
どうやらミノタウロスは煙幕の影響で完全に俺の姿を見失っているらしい。
ここから第10層の入り口まではそう遠くないはず。
(そこまでたどり着ければ、俺の勝ちだ)
カメのようなノロノロした足取りで、壁伝いに進んでいく。
出血の影響で体が思うように動かない。
だけど無情にも背後から死の足音が近づいており――
『GUMOOOOOOOOOOOOッッ!!』
標的を見失った苛立ちからか。暴れ狂うミノタウロスの雄たけびと破壊音が衝撃波となって煙幕を圧し晴らした。
くそ、あと少しで10層の入り口にたどり着けるのに。
(くそ、時間がない。なにか! なにかこの状況を何とかできる手は!)
アイテムポーチをひっくり返し、策はないかと考えるも、この状況では役に立たない補助アイテムと、視界の端に映る【残高1000億リソース】という残高ばかり。
こんなところで【リソース】を使っても意味がない!
いま必要なのは対抗手段! 金じゃないんだ!
「くそ! 結局、賞金を手に入れても、探索スキルが上がらないんじゃなにもできないのかよ」
俺にも、アキラみたいな英雄十三家の力があればこの状況を何とかできたかもしれないのに――
すると視界の中央に【リソースが足りません。リソースを『課金』してください】という謎の表示が現れた。
くそ、こんな時に限って怪しい広告メッセかよ!
【ダンジョン運営機構からのお知らせ】
ダンジョン宝くじでリソースを手に入れて以降、ダンジョンに潜り続けている間、定期的に現れる謎のアナウンスだ。
最初はスマホと視界同期したステータス画面のバグかと思ったが――
「うん? 待てよ。リソース、魔力、攻撃魔法!」
そうだ! リソースだ!
リソースは、地上でアイテム作成をする際に、高ランクのアイテムの材料として使われるほど高純度の魔力結晶体だ!
一気に開放してやれば、それだけでも強力な魔法攻撃になるかもしれない!
だけど通貨として以外の使い方なんて、これまで試したことない。
迫りくるミノタウロスは、あと10秒もしないうちに俺を殺しに来る。
もう、こうなったら一か八かの賭けだ――ッ!
「ああ、くそ! この状況を何とかできるんだったらいくらでも払ってやるよ!」
もうヤケだ。1000万くれてやる!
だから――
「この状況を何とかしやがれえええええええええええええええ!」
そして迫りくるミノタウロスに向け、勢いのまま両手を突き出せば、闇を焼く極光が大斧を振りかぶるミノタウロスを一瞬で飲み込み、跡形もなく消し飛ばした。
あとに残ったのは、極光が放たれたであろう真っ赤に焼け付く大穴だけで――
「うそ、だろ」
あまりの光景に力が抜け、俺はその場にへたり込む。
これは、俺がやったのか?
すると血が足りなくなったのか。急な立ち眩みを覚えた俺は、急激に痛みだす胸を抑え、力なくその場に倒れ伏した。
胸の奥が、焼けるように熱いッッッ!
すると頭の奥。本来誰もいないダンジョンで妙な幻聴が聞こえてきた。
【リソースの入金を確認しました。これより『マスター』を仮登録者として認識し、ダンジョン機構への転移を実行します】
そして足元から立ち上がる謎の光のなか、俺を見下ろす誰かと一瞬だけ目が合い、
【おかえりなさい、『マスター』】
どこか柔らかい女の幻聴を最後に、俺の意識は光と共にきれいさっぱり消え失せるのであった。
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